リンゴ・スター&デイヴ・グロールのドラマー対談。ジョンやカートを失ったこと、歴史的なバンドの後の人生について語る

リンゴ・スター&デイヴ・グロールのドラマー対談。ジョンやカートを失ったこと、歴史的なバンドの後の人生について語る

ローリングストーン誌が、ビリー・アイリッシュ&ビリー・ジョー・アームストロングの“ビリー”対談に続き、リンゴ・スターとデイヴ・グロールのドラマー対談を掲載している。その中で、ジョン・レノンカート・コバーンを失ったことや、歴史的なバンドの後の人生について語っている。リンゴが「40年も前のことなのに」と言いながら、ジョンの言葉を思い出して喉を詰まらせているのがなんとも切ない。


2人は、ドラマーとして歌うことから、“Yellow Submarine”についてなど様々なトピックについて語っているが、ここではカートとジョンについて語った部分を要約した。



●カート、ジョン、ジョージの最期について

リンゴ「(ニルヴァーナを)本当に最高だと思っていたし、彼(カート・コバーン)がものすごいエモーションを抱えた人だと思った。それが一番好きなところだった。僕もエモーショナルな男だからね。ニルヴァーナに疑いを持つ人って絶対にいないと思う。それに彼があんな風に終わるなんて誰も思っていなかったと思うしね。勇気を持って音楽を聴く人なら、彼に疑いを持ったりしなかったと思う。彼は本当に勇気のある人だったと思うから。

ただ、あの終わり方については何と言っていいのか分からない。でも彼だけの問題ではなくて、この業界では若い人達が多く亡くなる。みんな『どれだけ辛かったんだろう?』とか、『なぜ連絡しなかったんだろう?』と思うと思うけど、分からないものなんだ。有名な27歳のシンドロームというのがあるからね。もしかしたら神の計画なのかもしれないけど。

ジョンが亡くなった時、僕はバハマにいた。LAにいた義理の子供達から電話がかかってきたんだ。『ジョンに何か起きた』ってね。それでまた彼らから電話がきて、『ジョンが亡くなった』と言われた。僕はどうすればいいのか分からなかった。今でもくそ野郎がジョンを撃ったと思うとこみ上げてきてしまう。だけど、僕は『飛行機に乗らなくては』と言って、NYに向かった。行ったところで何ができるのか分からなかったけど。それで、アパートに着いて、『何かできることはある?』と訊いたら、ヨーコに『そうね。ショーンと一緒に遊んでいて。ショーンは何かすることがあった方がいいから』と言われたから、そうしたんだ。だけど、『これから一体どうすればいんだ?』と思った。

面白いのは、今年になって、プロデューサーのジャック・ダグラスが、ジョンのトラックを僕のところに持って来たこと(ジョンの1980年『The Bermuda Tapes』デモの“Grow Old With Me”)。これまで一度も聴いたことがなかったものだった。だから彼はいまだに僕の人生にいるんだ。それは僕の新作に収録されている。それで、なぜ彼がこのCDを僕のところに持ってきたかと言うと、ジョンが、その曲の始めに『これはリチャード・スターキーにすごく良いと思う』と言っているからだった」

「彼が僕のことを話していると思うと、いつもこみ上げてしてしまう。彼は、(ジョンの真似をしながら)、『ヘイ、リンゴ。これは君にすごく良いと思う』って言ってるんだ。もう本当に耐えられないよね(喉を詰まらせる)。40年前に彼が僕のことを思って語っているテープのことを考えるだけで、エモーショナルになってしまう。僕ら4人は本当に素晴らしい友達同士だった。ちょっとした問題はあったけどね」

「ジョージも同じだ。(目が涙で一杯になり声が震える)僕は本当に年寄りで涙もろい。彼は病気が重くて横になっていた――もう長くはなかったんだ。だけど僕は娘の手術でボストンに行かなくてはいけなかったから『もう行かなくちゃいけない、ジョージ』って言ったんだ。そしたら彼が『僕に一緒に行って欲しい?』って言ったんだよね。彼はもうすぐ亡くなるという時期だったのに。『僕に一緒に行って欲しい?』なんて人のことを気遣える偉大な人ってどれだけいると思う?」

●カートが亡くなった後、ニルヴァーナの曲を演奏したことについて

デイヴ「カートが亡くなった時に、正しい悲しみ方も、間違った悲しみ方もないと分かった。ただ面白かったのは、何も感じなくなってしまったこと。それから、良いことを思い出す時もあれば、ダークな時期を思い出す時もある。それで俺はしばらくは音楽から離れて、ラジオすら付けなかった。だけどそのうち、音楽が自分の気分を良くしてくれるんだと気付いた。だからここから抜け出すには音楽が助けてくれると思った。それで自分で曲を書き、レコーディングし始めたんだ。

大変だったのは、自分の本当に親しかった友達が、他の人達にとっては、人間以上の存在になっていたということ。だから、インタビューの時に普通、知らない人には絶対に訊かないようなすごくエモーショナルなことを訊かれるようになった」

「お兄さんが亡くなってどうですか?とか、家族が亡くなってどうですか?とか会ったばかりの人には普通は訊かないよね。だからそれがしばらくはすごくキツかった。だけど俺はそのまま生き続けるのが大事だと思ったし、俺の命を救ってくれたのは音楽だった。それより前にも、音楽は何度か俺の命を救ってくれたんだ。

俺はこの26年間に、ニルヴァーナの曲は数回しか演奏してない。残念なことにそこにはどうしても立ち入れないんだ。だけど、ロックの殿堂入りの時と、2年前にも演奏した。すごくおかしな感じで、昔のバンドの仲間と一緒に演奏しているわけだけど、何かが足りなかった。ポール(・マッカートニー)と曲をレコーディングしたんだけど――俺と、パット・スメアと、クリス・ノヴォセリックとね。3人で演奏するのはすごく簡単だし、クリスと俺で演奏すると、すぐにニルヴァーナみたいなサウンドになった。誰もこんな音は出せないと思った。それで20分間、クリスと、パットと演奏して、まるで夢のようだった。そこで、『そうだ、ポールもいるんだった』ってハッと気付いたんだ」

ポール・マッカートニーもボーカルとベースで参加しているリンゴの”Grow Old With Me"はこちら。

この曲が収録された新作『ホワッツ・マイ・ネーム』は発売されたばかり。
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