Bandcampに関するこのブログの記事で以前紹介したが、フリート・フォクシーズのギタリストであるスカイラー・シェルセットがソロ作を発表した。
彼の新作『Back In Heaven』は、先週末8月28日に発表され、すでにBandcampで全曲ストリーミングできる。
フリート・フォクシーズも日本文化に何かしらの影響を受けているが、例えば、前作『クラック-アップ』のジャケットも日本人アーティスト濱谷浩による作品だ。
今回のスカイラーの作品も、YMO、ユーミン、三島由紀夫、吉本ばななや、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』などにも影響を受け、さらに、日本にいた際に録音したサウンドなどもアルバムの中で使っている。
「“cobalt”は、松任谷(荒井)由実の『COBALT HOUR』に影響を受けた曲で、この曲を書いている時に一番聴いていた作品だった。歌詞には三島由紀夫、谷崎潤一郎からの影響も受けている。また『エヴァンゲリオン』の影響を受けている歌詞もある。“Sayoko”は、三島由紀夫の『春の雪』の登場人物の名前を少し変えたものだ。
YMOのそれぞれのメンバーに影響を受けた曲もあるし、日本を旅行していた時に録音した音も使われている。例えば“V C”のサビで使われている電車の音がそうだ」
つまり、日本文化へのラブレターとすら思える作品なので、今回特別にお願いしてインタビューに答えてもらった。彼は、フリート・フォクシーズ以外ではビーチ・ハウスなどのツアーにも参加しているが、この作品は、ビーチ・ハウス的なドリーム・ポップ、シューゲイザー的なサウンドと、彼が影響を受けたという日本のポップ・ソングの影響とが混じり合い、彼なりのユニークなサウンドを生み出している。Dr. Dogから、ザ・ウォークメン、フリート・フォクシーズのメンツも参加していて、ところどころフリート・フォクシーズ的なサウンドも聴こえてくる。
また、最近ではマック・デマルコや、ヴァンパイア・ウィークエンドが細野晴臣の作品をカバーしたりサンプルしたりしているので、USバンドがなぜ彼に惹かれるのかも訊いてみた。
最後にもう完成していると思われるフリート・フォクシーズの4枚目のアルバムについても訊いている。衝撃の発言をしているので、ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しい。
●ユーミンやYMOが、いかにこの作品に影響を与えましたか?
「2016年の秋に、僕と同じようにティン・パン・アレーとか、サディスティック・ミカ・バンドとか、YMOとかが好きな友達が『COBALT HOUR』を紹介してくれて、すぐに夢中になった。僕が大好きで何年も何年も聴いてきたようなミュージシャンや、YMOなどのプロジェクトにも参加していたようなミュージシャン達が彼女の作品にも参加していて、彼らの音楽をまた違う形で聴けて最高にクールだと思った。それで本当に夢中になって、その年の終わりまでこのアルバムを何度も聴いていたんだ。中でも一番好きだった曲は“雨のステイション”で、ああいう曲が書きたいなあと思ったんだ。それが“Cobalt”になった」
「それから、このアルバムの中では“The Angel”や“Sayoko”のモーグのベースサウンドも、『COBALT HOUR』の影響を受けている。それは彼女の“花紀行”みたいなサウンドを出してたくて作ったものだったからね。
YMOに関しては、グループとしてもメンバーひとりひとりからも多大なる影響を受けてきた。彼らがいかに新しい方法で曲を書こうとしたかということのみならず、いかに様々な種類の音楽を評価していたのかということについても。坂本龍一に関しては、彼がいかにメロディを書くのかと、ハーモニーのコード進行、シンセサイザーでの声の使い方について。細野晴臣については、アレンジにおける風通し、心地良さ、ベース演奏でいかにその声を確立したのか。高橋幸宏に関しては、作曲法のみならず、いかに彼特有のリズミックなサウンドを確立しているのかについて、それぞれ影響を受けている」
ちなみにスカイラーは、ACEホテルのイベントの際に、坂本龍一にインタビューしている。
●三島由紀夫、谷崎潤一郎、吉本ばなな、『新世紀エヴァンゲリオン』からの影響について。
「三島は僕が一番好きな作家で、彼の本を収集したりもしているくらいなんだ。彼が美やその願望を形容する方法は、彼以外にはどこでも読んだことがないようなものだ。彼自身も影響を受けてのことだということは知っているけど、恋愛や美に関して愛おしい状況の時のみならず、非常に危険な状態にある時ですら、それを躊躇無く表現し、自由に評価している。そんな彼の勢いにもすごく魅了されたんだ。彼がいかに美に敬意を払うのかを通して、究極的にはその良し悪しに関わらず人生における何もかもを評価し、尊重していると思う。
このアルバムの歌詞全体を通して、彼の言葉遣いのみならず、物語自体にも影響された。例えば『豊饒の海』の全4巻や、『スタア』、『太陽と鉄』からはかなり直接的な影響を受けている。
吉本ばななについては、このアルバムでは喪失からの前進を多く描いていて、喪失と言っても必ずしも友達や家族を死で喪失するということではなくて、それよりも感情的な意味、また経験における喪失を描いている。彼女が『キッチン』で試みた、その両方との対峙の仕方が、ずっと好きだった。ものすごく美しい本だと思った」
「『エヴァンゲリオン』はテーマが好きだったんだ。とりわけ、『他の誰かの心に存在できた時、自分は本当に存在できるんだ。自分が本当に心を開いた時だけ愛が何なのかを理解できる』というようなところ。碇シンジが人生を諦めないように説得したところだね。そこに僕はすごく若い時から共感していたんだ。だけど、こうやって大人になってさらに強く共感するようになったと思う。というのも、このアルバムを書いている時に自分自身の現実との向き合い方に対峙していたからね」
●日本で買ったパーカッションが使われていますが、それ以外にも日本で集めたどんな音が使われていますか?
「おもちゃとか、お土産屋さんで買ったベルなんかが使われているんだ! それから日本の野外で録音したサウンドも少し使われている。電車が通る音とか、川が流れる音とか! でもそれ以上詳しく話さない方が良いように思う。アルバムには少しミステリーがあったほうがいいと思うからね!」
●フリート・フォクシーズの来日公演の際に、YMOの“ビハインド・ザ・マスク”をカバーしていましたが、すごく特別な瞬間でファンとしても嬉しかったです。あなたがそれ以前から日本の音楽、カルチャーに興味を持っていることをファンは知っていましたが、ここ数年、マック・デマルコやヴァンパイア・ウィークエンドらが細野晴臣や日本のポップ・ミュージックに影響を受けていて、ある種それがトレンドになっていることについてはどうでしょうか?
「あのカバーは僕も大好きですごく楽しかった! 僕の記憶が正しければ、あれは、偶然にも坂本龍一の誕生日の翌日だったと思う(※ライブは1月18日で、坂本龍一の誕生日は1月17日)。でもあのカバーをするのは、ツアーの始めから話していたことだった。実はあのツアーはすごく大変だったから、自分達がそれぞれ楽しめることをやる必要があったんだよね。だから、僕としてはそれが実現してすごく嬉しかった。
(トレンドについては)恐らく僕らはみんな同世代なんじゃないかと思う。だから、彼らがこういう音楽に夢中になっても驚かない。僕は高校生の時に、まだストリーミングとかYouTubeで聴けるようになる前のことだけど、ブログとかナップスターから日本のシティ・ポップをたくさんダウンロードしたし、彼らも絶対同じようなことをしたんじゃないかと思うよ。でも、誰が最初に紹介したのかとかカバーしたのかってことになると、音楽は競争ではないし、誰かが独占するべきものでもないと思う。だからミュージシャンが影響されたものを紹介することで、より多くの人達が聴く機会になるというのはすごく良いことだと思う」
●実際に細野晴臣と坂本龍一と対面してみてどうでしたか?
「最高だったよ!2人ともすごく優しい人だった。2人に僕のこのアルバムも聴いてもらえたら嬉しい!
細野晴臣さんにはすごく短い間だけど2回会ったんだ。1度は彼の(LAの)ライブのバックステージで、もう1回はLAのドーバーストリートマーケットで会ったんだ。僕は彼のドラマーの伊藤大地とネット上で友達になって、ギタリストの高田漣と一緒にワインを飲みに行ったんだ。その時初めてみんなと実際に会ったから、その翌日僕がランチを食べている時に、偶然また全員と会ってしまって笑っちゃったよ。たぶんその時細野さんは車で昼寝をしていて、もう出発するところだったんだと思うけど、大地が優しくて、わざわざ細野さんを起こしてくれたんだ。それで自己紹介できた。それでその日にLAでライブを観て、ライブの後にまた『こんにちは』と言いに行けた。彼は本当に優しい人だよ!
それから坂本さんについては、彼がLAのエース・シアターでライブをすることになった時に僕が観に行ったんだ。そこでエース・ホテルの雑誌“Ace Reader"から坂本さんにインタビューしてくれないかと頼まれた。僕はその時すごく忙しくて、LAでライブを観るのもその1週間前に決めたことだった。だからすべては、素晴らしい偶然が重なって起きたことだった。彼はすごくクールな人で、良い会話ができたように思う。しかもすごく優しくて、今度家でビーガンのラーメンを作るから遊びに来て、とまで言ってくれた!」
●そもそも日本文化に興味を持つようになったきっかけは?
「僕が中学生の時に母がアート・スクールに通っていて、母が授業のために『AKIRA』を観なくちゃいけなかったんだ。それでVHSをレンタルしてきてくれたのがきっかけだったと思う。シアトルには日本人も多く住んでいるから、ラッキーなことに僕の学校では日本語のクラスをとることができた。それで18歳の時に初めて日本に行って以来、ずっと日本に行ったり来たりしている。場合によっては何ヶ月もいるようなこともあるし、1週間だけいるようなこともある。僕の第二の故郷のように思っているし、このコロナ禍で正直言って、日本に里心すら抱いている感じなんだ。そんな風に思えてラッキーだと思う。1年に、3、4回は日本に行くようにしているおかげだね」
●フリート・フォクシーズの作品にも日本文化が影響しているけれど、それはロビン・ペックノールドと長年の友人でお互い影響し合っているからですか?
「それはどうか分からないな。ロビンと僕が歴史とかアートにすごく興味があるのは間違いないんだ。それで日本ってその両方に関してすごく豊かだからね。だからその影響かな? でも正直言ってなぜ2人一緒に日本に興味があるのかはよく分からないよ!」
●フリート・フォクシーズとはまるで違うサウンドのアルバムだけど、物事を深く追求するスペースを作るという意味で似ているところがあると思います。
「正直言って、あまりに長い間このアルバムを作っているから、どんなサウンドのアルバムになったのか自分ではよく分からない。だけど、このアルバムがフリート・フォクシーズのアルバムと似たものになるかどうかについてはまるで心配していなかったし、フリート・フォクシーズと似たサウンドにならないように気をつけたということもなかった。それよりも曲に相応しいと思えたことをやろうとした。でも、もちろんどれだけあのバンドで曲を書いたのかを考えると、無意識のうちに影響していても不思議じゃないよね」
●歌詞について:「人生はジョークに思える」に始まり、「こんな風に生きるのはファッキング・ジョークに思える」と、アルバム全体を通して夢と現実の間を行き来する旅路となっていますね。
「歌詞はレコーディングを開始するまで全然書いていなかったんだ。だけど、曲を書いていた2015-2018年というのは僕の人生にとってすごくエモーショナルな時期だった。過去の経験と状況から前進しようと、新しい経験と旅を体験していた。新しいものが入ってきて、古いものが出て行くところだった。だけど歌詞を書いている時には、怒りや傷心を拒否することなく、そこで僕が何かを得たのかと、学んだことに感謝して、探求したいと思っていた。だからこのアルバムを作るというのは、すごくカタルシスな体験だった。
ここ数年、僕はすごく酷いパニック発作を煩っていて、そのせいで現実世界と切り離されて感じることが多かった。本当に確実で有機的なものにすら、本当に存在するのかと疑ったりした。『僕って本当にここに存在しているのか?』とか、『彼らは本当にここに存在しているんだろうか?』とか。それが『夢と現実の間』というこのアルバムのテーマが生まれた理由だと思う。すごく長い間僕にとっては人生が現実に思えなかった。今もそうなんだ。でもそれが大丈夫になるように、可能な限り頑張っているんだけどね」
●このアルバムがコロナ禍で出たことが興味深いです。または、トランプ政権下で生きることに関係していますか?
「コロナ禍になったばかりの時期は、まだこのアルバムのミックスをしていたんだ。それで急ぐ理由もなくなってしまったから、ゆっくり作業するようになって、結果、このアルバムの『夢と現実の間』にいるような感覚が、奇妙に思えた。外出禁止になってから、自分が音楽を演奏している映像とか、ツアーをしている映像を観る度にものすごく混乱した。だから、そういう意味でこの作品で描いていることと今の状況はすごく似たところがあると思う。でもそれは純粋に偶然だった。
それから、現在の大統領に自分の内面の平穏を占領されないように可能な限り努力している。彼は、恥ずかしいし、負け犬だし、人間としても最悪だからね。だから彼の酷さが僕のクリエイティビティに影響しないようにしているんだ。僕の精神的なエネルギーを費やす価値がない人だからね。でもそれは簡単ではない。アメリカというのはその他の国同様に、抑圧された場所だと思うからね。国民は、資本主義や想像だけで、実現不可能な、自分勝手な夢に目くらましになっている。だから、僕がどれだけ努力しても、絶対に目に見えない方法で影響は受けていると思うんだ」
●"Sayoko"ができた過程
「"Sayoko"はアルバムの中でも最後のほうに出来た曲で、個人的に最も難しいハーモニーを書いてみようとした曲だった。このアルバムでこれまでになく伝統的な方法で曲を書いてみようとしたから、僕としてはすごく啓示的な体験となった。そうやって書くのがコード進行上いかに難しいのかに気付いた。この曲を書いている時は、スティーヴィー・ワンダーの“Sir Duke"のコード進行がいかに美しいのかを考えていた。いかにしてあの奇妙なコードから美しいサウンドを生み出したのかを考えていたんだ。最初のコードは、BからFmin7なんだ。そんな風に曲を書きたかった。それでいざギターを弾く時間違えてメジャーの代わりに、minor7を弾いていたんだ。でもそれに気付いた時はもうメロディを見つけていたから、そのままにすることにしたんだ!
この曲のタイトルが”Sayoko"なのと歌詞自体にはあまり関係がない。このアルバムを書いている間、三島由紀夫の作品を何度も参考にしていて、元々はこの曲も『春の雪』の登場人物の名前"Satoko"にしていたんだ。それでアルバムを作っている間に参考にしたことが多すぎると思って、違う名前に変えたくなった。それで、最近山口小夜子の写真集を買ったから、彼女の名前を取って”Sayoko"に変えたんだよね」
●アルバムの最後の曲”Yamaha"と、嶺川貴子の参加について。
「”Yamaha"はたぶん一番古い曲で、2014年にビーチ・ハウスのバンド・メンバーの1人としてツアーした時に、僕のソロを毎晩前座で演奏していた時に作った曲だった。あの時は毎晩毎晩、長い即興を演奏していたんだ。
それでいつからか、その中にメロディが埋まっていることに気付いて、ある時から歌詞を歌い始めた。その1曲が”Yamaha"だった。このメロディは、東京にいたとき、ある朝に書いたんだ。その前の晩、高円寺のUFOクラブでMerzbowと灰野敬二を観て二日酔いだったんだけどね。そのメロディは僕が半分眠っている時に、頭の中で聴こえていたもので、眠る前に携帯に歌を録音しておいたんだ。長い間、サビとメロディしかなくて、インストのメロディのあるリフもなかった。だけど、TVゲームの『クロノ・クロス』の光田康典が書いた”Time's Scar" のようなリフを書いていて、それがここで一緒に使えたら面白いと思ったんだ。スタイル的にはすごく違うものではあったんだけどね。
”Yahama"は少し攻撃的な曲で、嶺川貴子のスタイルをそのまま象徴するような曲ではなかったけど、でも、貴子は最も美しくて優しい声をしているので、その相反するスタイルが交差すると、最高なんじゃないかと思ったんだ。幸運なことに、彼女は僕の友達でもあったから、訊いてみたら、すごく優しくてこの曲の参加に、『イエス』と言ってくれたんだよね!」
●フリート・フォクシーズの新作について衝撃の事実。ロビンが、インスタでアルバムが完成し、9月25日に発売するというようなことを匂わせている件について。新作がどんな挑戦があったのか訊いた。
「ロビンは、4枚目のアルバムを1人で作ってしまったんだ。残りのメンバーは、アルバムではまったく演奏していないし、何もしてない。だから新たな挑戦もなかったよ。去年の9月にロビンが新作の準備に取りかかった際に、初期のセッションをやって、そこには僕もいたんだ。でもそれ以降は彼は全部彼だけで作ってしまったんだ」
ええええええええ??
日本との関わりのある作品についてこんなに丁寧にインタビューに答えてくれたスカイラーに感謝。もっと他にも訊いていて全部は紹介しきれなかったのだけど。
またアーティストに100%利益が支払われるBandcampデーが9月4日にくるので、とりわけその日に聴いてもらえると嬉しい。スカイラーは、予約段階のお金はすべてACLU(アメリカ自由人権協会)に寄付していた。
スカイラーどうもありがとう!
相当長くなったけど、読んでくれた方もありがとうございます。