12月3日、クリープハイプのニューアルバム『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』発売。リリースまで、このブログで毎日1曲ずつ、レビューをしていきます。
リリースまで7日、6曲目は“百八円の恋“です。
■映画のために作りたいと思って書いたけど、書きながら『これ、自分のことだな』と思った(尾崎世界観)
映画『百円の恋』の主題歌としてシングル・リリースされたこの曲。以下の予告編を観てもらってもわかるとおり、映画の世界にぴったりと寄り添うような楽曲だ(ちなみに、この『百円の恋』、本当にクリープハイプな映画です。12月から全国順次公開)。
歌詞の《痛い痛い》とか《立ってるだけでやっとで》とか《ぼやけた視界》という表現が映画の題材になっているボクシングから連想された言葉なのはいうまでもない。だが、上の尾崎の発言にもあるとおり、この曲で歌われていることは、そのまま彼自身の感じている思いでもある。《痛い》のはほかならぬ尾崎であり、《居たい》のもそうなのだ。
前にもこのブログで書いたけれど、尾崎世界観という人は、「誰か」とか「何か」とか、具体的な対象や歌うべき相手や明確なお題があると、すごくまっすぐに曲を作るという性質をもっている。というか、表現というものはそもそもそういうものだということもいえるのだが、こんがらがっている思考がひとつの矢印によって整理され、素直に流れてくる。このアルバムに入っている曲でいえば、「同世代に向けて書いてほしい」というはっきりとしたオファーをもらって書いた”二十九、三十”などはいい例だ。
この曲はとても素直で、ほとんど不器用といってもいい。サビは《痛い》《居たい》と繰り返しているだけだし(いや、サビは《終わったのは始まったから〜》のところでしょ、と思う人もいるかもしれないが、僕はこのリフレインこそがサビだと思っている)、曲全体の構成も最後に向けて一直線に進む。アレンジも導入部こそアコギの弾き語りでニュアンスを付けているが、陣太鼓のようなタムが鳴り響いた後はギターもベースもドラムもまっしぐらだ。尾崎の歌も鬼気迫っている。
痛くて痛くて、ボロボロになって、フラフラになって、悲しくて悔しくてやりきれなくて、でもやっぱりここに居たい。そのありのままの現状を、不器用に叫ぶ“百八円の恋”はやはり尾崎世界観とクリープハイプの本質論だという気がする。名曲。
明日は7曲目”本当”について書きます。
クリープハイプ、ニューアルバム全曲カウントダウンレビュー! その6:百八円の恋
2014.11.26 19:00