カート・コバーン公式映画『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』最速レヴュー
2015.06.04 12:15
先月アメリカでも放映され、絶賛を呼んだカート・コバーン初の公式ドキュメンタリー『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』がついに日本でも公開される。監督のブレット・モーゲンなどはドキュメンタリー作品としてこの作品が画期的であると自ら宣言しているわけだが、確かにこれは滅多にお目にかかることはできない、生々しくもドラマティックなドキュメンタリー作品に仕上がっていて、題材がカートであるだけにまだ癒えぬ傷口を見せつけられるような生々しい体験となっている。文句なしにカートとニルヴァーナを扱ったドキュメンタリーとしては最高峰の内容になっている。まずなによりもありがたいのは、ドキュメンタリーの語り手として登場する関係者がカートの肉親、バンド・メンバー、交際相手、妻などとごくごく近い人間に限定されており、しかもその発言がかなり本質的なものだけにとどまっていることだ。こうしたロック・ドキュメンタリーはややもすると、「証言者談」をただ無数に繋ぎ合わせただけのものになりがちだが、そのような発言を極力抑えつつ、物語を巧みに綴っていくモーゲンの演出は見事としか言いようがない。
その一方でカートの物語とニルヴァーナの物語については数多くの書籍なども刊行されていて、ある意味で消費され尽くした感もなきにしもあらずで、これを今更どう語るのかというのがこの作品を観る前のぼくの気になっていたところだったのだが、実はこれがこの作品の一番すごいところなのだ。かねてからモーゲン監督は、カートが遺した創作ノート、書きつけ、絵画、落書き、カセット・テープなどすべての遺品をこの作品に投入したと語っていたが、この作品におけるカートの物語はまさにそれらの遺品によって綴られるものになっているのだ。たとえば、カートは子供時代からさまざまなイラストや絵画を描き残していることでも知られていて、これはなにもこの作品で初めて公開されるものではないし、むしろ、さんざん観てきたといえるものでさえある。基本的にどれも薄気味悪い絵が多いのだが、モーゲンはこうした絵がいつ、どういう状況でどういう心境で描かれていたのかということも想像的に捉えて、それをそれにふさわしいタイミングで語りのひとつとして映し出していくのだ。すると、こうした数々の怪物や胎児などを描いた気味の悪い絵は、ただ「病んでいたんだな」というこれまでの印象をほのめかすものではなく、カートからその時々に直に発された叫びとして伝わってくるわけで、こうした数々の絵の文脈をモーゲン監督が捉え直した手腕には感銘を受けた。あるいはカートが黙々と制作していたミックス・テープの不気味な語りの使い方といい、折に触れてカートの様子や佇まいをアニメとして再現していくところなども、どこまでもカートの歩みを俯瞰するものではなく、カートと同じ目線で追体験するものになっていてそこが非常に迫力に満ちているのだ。
また、子供時代から死の直前まで、ビデオや8ミリフィルムなどの映像もふんだんに使っているところも作品の肉付けとなっていて、その視覚的な映像だけでも圧倒的な情報として迫ってきて、やはり活字だけで追ってきたカートの生い立ちと生き様の知識とは迫力が違うのだ。ただ、こうした素材を使っていくにあたって、やはりどうしても気になるのがカートの妻、コートニーがどういう心境でこうした映像などの使用を許したのかということだ。ある意味で、このドキュメンタリーの終わり方は衝撃的なもので、見方によってはコートニーにとってはあまり気持ちのいいものにはなっていない。場合によっては、観る者がコートニーに対して悪意を持った解釈をすることも可能なものになっている。しかし、それでもコートニーがこの作品に一切口を挟まなかったというのが、コートニーがこの作品に賭けた決意を表してもいる。そして、モーゲン監督もそれに応えて、ぎりぎりのところまで描写と語りを突き詰めてみせているのだ。
なお、当たり前の話だが、このあまりにも悲しく切ない物語を爆音として鳴らしたのがニルヴァーナの音楽だったわけで、であればこそ、この作品で使われる音源の数々は6月27日からの一般公開で映像とともに劇場で体感することをお勧めしたい。
(高見展)