【ライブレポート】HIT ME HARD AND SOFT: THE TOUR――3年ぶりの来日公演で目撃した、ビリー・アイリッシュの進化

【ライブレポート】HIT ME HARD AND SOFT: THE TOUR――3年ぶりの来日公演で目撃した、ビリー・アイリッシュの進化
今年8月に3年ぶりの来日を果たしたビリー・アイリッシュ。昨年リリースした『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』を携えたツアーの来日公演レポートを公開! ポップシーンの最前線を走るビリーは、ステージで何を表現したのか。ビリー・アイリッシュの「今」を知るための、必読のレポートです。
(rockin'on 11月号掲載) 



【ライブレポート】HIT ME HARD AND SOFT: THE TOUR――3年ぶりの来日公演で目撃した、ビリー・アイリッシュの進化

文=粉川しの

3年ぶりのビリー・アイリッシュは、驚くほど「素」だった。ステージ狭しと跳ね回り、笑顔でファンに語りかけ、空中で足をパタパタさせながら、自分のベッドルームでくつろぐかのように寝っ転がりながら歌う様はどこまでも自然体で、彼女の肩から「ビリー・アイリッシュ」という名の重荷が、ついに下ろされたのだと感じた。「これまでで最も自分に正直なアルバムで、ここに全てを曝け出すことができた」とビリーが語る、最新作『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』が、彼女をかくも自由にしたのだろう。会場のさいたまスーパーアリーナは、ビリーの来日公演では過去最大規模だが、これほど彼女を近くに感じられたライブも初めてだった。

たまアリに入場し、真っ先に目に飛び込んでくるのは真っ白な長方形の巨大ステージだ。『ヒット・ミー〜』ツアーは360度ステージを採用。どの角度からでも視界を遮られることなく、アリーナ中央に鎮座するステージ上のビリーの姿を捉えることができる。3年前の有明アリーナではステージに灰色のスロープが設置され、ステージと客席の間に結界を張るかのような威容を示していたのと対照的だ。中央にはLEDビジョンを張り巡らせたキューブが設置され、上部には四つ角に巨大スクリーンが、フロアにもLEDが埋め込まれている。一見してシンプルなセットだが、ショーが始まるとビジュアルが立体的に構築され、ビリーの作る世界が会場全体へと拡張されていく。シンプルだけれど、実は多彩で多面的なセットであり、それは今回のパフォーマンスと共通したテーマだったと言える。

会場が暗転するとキューブが宙に浮き、中からビリーが登場するや会場は一気に大歓声に包まれる。1曲目は“チヒロ”で、全世界共通のオープナーではあるものの、この『千と千尋の神隠し』の国ではちょっと特別に感じられて嬉しい。「東京、調子はどう?」との掛け声と共に、“チヒロ”の重低音をさっと払うようにバンドが軽快な4ビートを刻み始め、そのまま“ランチ”へ。ステージを全力で駆け巡るビリーの勢いは瞬く間に会場中に伝染、今日は未だかつてないほどポジティブでジョイフルなビリー・アイリッシュに出会う日なのだと、早くも確信したファンも多かったのではないか。一方、ビリーを閉じ込める檻を想起させるダウンライトも印象的だった“NDA”は、この日最もハードでダウナーなナンバーだった。いや、むしろ唯一、ハードでダウナーであることを意図してプレイされた楽曲だったと思う。ハードでダウナーなナンバーには事欠かないビリーだが、今回のパフォーマンスは最後に暗闇に光が差し込み、奈落の底から彼女が浮上するのを、常に感じられるものだったからだ。

友達気取りの周囲を拒絶することについて歌った“ゼアフォー・アイ・アム”を、ビリーは驚くほど無防備に、ナイーブなままで歌いあげ、4万人が手にしたスマホの眩い光が、彼女を守るように包み込んでいく様も感動的だ。そんな“ゼアフォー・アイ・アム”から“ワイルドフラワー”、そして“ホエン・ザ・パーティーズ・オーヴァー”へと続く流れは前半のハイライトで、何が凄かったかと言えば、何をおいてもビリーの声! 最初に書いたように彼女が素になったことで、最もラディカルに変化したのが彼女のボーカルであったのは間違いない。こんなにも表情豊かで、ビリーの感情と直結した歌声を聴いたのは初めてだったし、「抑揚レスで不機嫌なウィスパーボイス」というデビュー当時のトレードマークが、彼女を覆う硬い殻と化してしまっていたことに、改めて気づかされた。そしてその殻を突き破り、「これが本当の私なんだけど」と言わんばかりに歌い始めたのが、『ヒット・ミー〜』ツアーのビリーなのだ。

「1分だけ、完璧な静寂を私にくれる? 今ここで声をループさせたいんだ」とビリーは言うと、水を打ったように静まり返ったアリーナで、“ホエン・ザ・パーティーズ・オーヴァー”のヴァースの歌声を何層にも重ねていく。それは聖なる儀式のようであり、彼女と私たちの秘め事のようでもあり、いずれにしても一期一会の体験だ。真っ白なステージの上で胡座をかいたり、寝転がったりしながら歌うビリーは、今の彼女の声の象徴だ。また、切ないエレジーのように響いた“ザ・ダイナー”は、23歳の大人になった今のビリーだからこそ歌えた境地だと感じた一方、アニメーションをバックに無垢な歌声を響かせる“マイ・フューチャー”は、ポップアイコンとして10代を過ごした彼女が、真の少女期を追体験しているようにも感じた。

360度ステージは、ギミックを削ぎ落とし、歌そのものをオーディエンスに届ける今回のツアーコンセプトにぴったりだ。演出も一方向的に「見せる」のではなく、そこにファンを「誘う」、「引き寄せる」といった感覚で、私たちの真ん中にビリーが求心力として立っている意味は、あまりにも大きいのだ。かと思えば急にスタンド側にビリーがポップアップしたりする仕掛けもあり、洗練された装置や演出の中で、ダボダボしたTシャツを重ね着し、これまたダボダボしたチェックのハーフパンツ姿で飛び跳ねるビリーは、あくまでもフレンドリーであり続ける。凝った演出に遮られることなく、ビリーは私たちの前に立ち続けていた。フレンドリーと言えば、ヘヴィベースの刺激をビリビリ感じながらの大合唱となった“バッド・ガイ”で、ビリーが笑顔を見せたのも驚きだった。

ビリーの声の変化に加えて、もう一つの大きな変化は、やはりフィニアスの不在がもたらしたものだろう。『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』と『ハピアー・ザン・エヴァー』のツアーは、どちらもビリーとフィニアスが二人きりで作り上げた創造物の延長線上にある表現であり、極端にミニマルだったり、唐突にラウドだったりするパフォーマンスの歪さは、兄妹の共謀の産物だった。翻って今回は、フルバンドに加えて女性コーラス隊まで引き連れた、極めてオーセンティックな演奏だったと言っていい。これもまさに、「歌を届ける」ことに特化したフォーマットであり、ビリー自身もギターにピアノにと、これまで以上のミュージシャンシップを全面に発揮している。そして、ビリー・アイリッシュが衒いなくバンドミュージックをやった時、こんなにも素晴らしいものが生まれるのだという証左が“ザ・グレイテスト”だった。空中のブランコに腰掛けたビリーの歌声に柔らかく重なり合っていく女声コーラスが、いつしか荘厳なオーケストレーションを纏い、素朴なアコギの爪弾きが、ドラムの強烈なアタックを合図にエレキギターの荒ぶるリフに転じる、そのカタルシスたるや! こんなにもリアルな、というか実存的なギターをビリーのライブで聴けるとは思っていなかった。『ヒット・ミー〜』収録曲中で最もライブで化けたのは間違いなくこの曲だった。

そんな“ザ・グレイテスト”の興奮の余韻が漂う中、コーラス隊の2人とアコギを抱えたビリーだけがステージに残り、“ユア・パワー”が始まる。「ここはみんなが安全で、自分らしくいられる場所だって感じて欲しい。それがあるだけで、どれだけ救われるかっていうね。私にとってもここでみんなと過ごせるのは素晴らしいことで、最高に楽しいんだ」と彼女は言った。自分のライブはある種のセーフスペースである、というのは昔からビリーが言っていることだが、これほど相互的にその概念を実感できたライブは、少なくとも日本では初めてだったと思う。

思い返せば、3年前はコロナの影響が未だ残っていた時期だった。観客の多くはマスクをしていたし、それでもできる限りの歓声を上げていたつもりだったが、ビリーに「ソークワイエット!」と冗談交じりに言われてしまう一幕もあった。でもこの日は最初から最後まで温かく親密な空気に満ち、ステージの彼女と客席の私たちは寄せては返す大きな波のように、常に呼応していた。ファンが求めるのはビリーとの物理的な近さ以上に心理的な近さであり、共感、共鳴の場としてのライブなのだということを噛み締めた一夜だった。

後半は一転してダンサブルなナンバーが連打され、ホラーなビートメイクで容赦なく揺らす“ベリー・ア・フレンド”、「みんなしゃがんで!」との指示から一斉に立ち上がってジャンプする“オキシトシン”、そしてBratカラーである緑のレーザーが交錯する中、チャーリーxcxとやった“Guess”が始まると、会場はレイヴのような熱狂に包まれる。 “エヴリシング・アイ・ウォンテッド”でフロアに下り、観客とハイタッチしながらステージに戻ると、そこで待っているのは“オーシャン・アイズ”、あのメロウで幻想的な群青の世界だ。

「15歳くらいから来日しているけれど、日本に来ると、自分をより感じられるんだよね」とビリー。彼女の自分らしくいられる喜びに満ちた、今回のライブを目の当たりにした日本のファンにとって、これほど嬉しい言葉はなかったんじゃないだろうか。海老反りになってギターを掻きむしり、歌い叫ぶ“ハピアー・ザン・エヴァー”でビリーが放つ生々しい熱は、ファンにがっつり受け止められ、全員が熱に浮かされたような状態になったところで、“バーズ・オブ・ア・フェザー”のセレスティアルなメロディが投下され、4万人は見事に昇天。輝く紙吹雪が舞い降る中、360度全ての方角のファンに感謝を伝えたビリーは、満面の笑顔だった。今日の彼女は、微笑みが絶えなかった気がする。


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