ELLEGARDENの復活に寄せて

ELLEGARDENの復活に寄せて
ELLEGARDENが復活した。
新木場スタジオコースト、仙台PIT、ZOZOマリンスタジアムの3か所でライブを行い、これ以上ないほどの熱い声援に迎えられて、言うまでもなく素晴らしい盛り上がりで大成功に終わった。
僕は仙台PITは観れなかったが、ROCK IN JAPAN FESの楽屋でナッシングスで出た生形が僕に「仙台やばかったっす」と言っていたから、間違いないだろう。
新木場もZOZOマリンも本当に素晴らしかった。
そりゃあエルレのライブなんだからいいに決まってるじゃねえかと言われるかもしれないが、それを何十回も観てきた上で、やっぱりこの復活ライブは、言ってみりゃ歴史に残るような特別な素晴らしさに満ち溢れたライブだったと僕は言い切れる。
 
その素晴らしさについて、僕は今月号の「細美+Taka対談」の中で「光のようなライブだった」と口走ってしまった。
アーティストでもない一介の雑誌編集者が口にするには耽美的すぎる言葉で、言ってからすぐ恥ずかしくなったが、横にいたTakaが深く頷いてくれてホッとした。
というか、他に言葉が見つからないのだ。
今考えても、それ以上の言葉がどうしても見つからない。
 
10年前の、あるいはそのもっと前のエルレのライブは、メンバーも客もそれぞれが思いを持ち寄り、それを与え合って奪い合って、お互いがお互いを求め合う、そんな抜き差しならない磁場そのものだった。
ぐちゃぐちゃの思いを持ち寄ってそれがライブハウスでぶつかりあって爆発して放っていた得体の知れないエネルギーそのものだった。
でも、この復活ライブはそうではなかった。
インタビューでも語っているように、細美は客になにかを求めたりはしなかった。
「客席のみんなが何より楽しけりゃいいなって。俺が家族だと思ってる連中が誇らしけりゃいいなとか。雨降んなきゃいいなとか。そんなことしか考えてなかった」
 そして観客も、穴が空いた心を埋めるためのなにかや傷ついた心の痛みを忘れるためのなにかを求めてあの場所に集まったのではないと思う。
いやそういう人も何人かは間違いなくいただろう。
でも、ライブが始まったら、そんな思いは消えたはずだ。
 
 細美も生形も高橋も高田も、10年ぶりに復活するELLEGARDENで自分がやれること、やりたいこと全てを全力で全うして、観客もELLEGARDENの10年ぶりの復活を全力で祝って、楽しんで、目と耳に焼き付けて、そして・・・それが全てだったのである。
そんなELLEGARDENのライブは、休止前にはなかった。
ELLEGARDENとファン、ではなくて、みんなの思いそのものがELLEGARDENになった日。
その光景を言葉で言い表すには、僕には「光のようなライブだった」という言葉しかやっぱり思い浮かばない。
 
「たぶん4人ともそうだと思うけど、結局、おとといみたいな日がいつか来んのはわかってて。10年かけてしっかり準備してたんじゃない? 心んなかで。高橋もブログに、必要な10年だったんだなって書いてたけど、そういうことじゃないですかね。潜在意識のなかでは、その日に必要になりそうなものを毎日毎日ずっと探して拾い集めてたんだろうと思うから」(細美武士)

当たり前だけど、この10年間もELLEGARDENはずっと続いていたのだ。
そして、もちろん、今もまだ続いている。(山崎洋一郎)



ロッキング・オン・ジャパン最新号 コラム「激刊!山崎」より
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