今月号のJAPANの宮本浩次の写真はすごい写真です。
これまで何度も宮本の写真は掲載されてきましたが、その中でも群を抜いていると思います。
いままで見たことのない、宮本の狂気のようなものが写っている。
言うまでもなくこれまでJAPANでは30年間に渡って何度も何度も宮本浩次を撮影して掲載してきました。
もちろん20代の頃の写真にも、若さゆえの狂気が写っています。
でも、今回の写真のこの表情は今まで見たことのない狂気のようなものを放っています。立っている写真からも、座っている写真からも、寝ている写真からも、引きの写真からもアップの写真からもそれが感じられる。
この「狂気のようなもの」は、怒りとか憎しみではないです。苛立ち、ともまったく違うと思います。
すべてから解き放たれ、全解放になって、喜びも、悲しみも、恐れも、残忍さも、愛も、何もかもが留まることなく溢れ出ているような状態に見える。
あるいは、自分の身を守るものなど何もなく、直にその身をヒリヒリと晒してあえてその痛みや冷たさを味わい尽くしているような面構えにも見える。
いずれにせよ、これが、ソロ・宮本浩次なのだと思います。
その「ソロ・宮本浩次」の本質を一発で見抜き、何もない白ホリゾントのスタジオで、シンプルな光だけで写真として捉えた半沢克夫はやはり偉大なフォトグラファーだと改めて思います。
撮影は約1時間でしたが、あっという間に何枚もの決定的ショットが撮れていくそのスピード感は、ロックのライブで感じるスピード感そのものでした。
どの一瞬も決定的な瞬間に感じるような、リアルな時間の流れ。
もう10年以上も前に、「なんで半沢さんはそんなすごい写真が撮れるのですか?」というとんでもない質問をバカのふりをして真正面から聞いたことがある。
そしたら半沢さんは、
「そこに在るものを、そのまま在るように撮ればいいんだよ」
と答えてくれました。
確かに、半沢さんの写真のすごさはまさにその「そこに在るものが、そのままそこに在るままに写っている」ことで、僕はその時にものすごく納得したのを憶えています。
そこに宮本浩次がいる、という写真。
そこに宮本浩次の狂気がある、という写真。
今月号の宮本の写真はそういう写真です。
そして、それがソロ・宮本浩次なのだと思います。
これほどまでに魂をさらけ出して歌う男が他にいるか? と30年間にわたって思わせてきた宮本が、さらに、もはや皮膚の一部にすらなりかけていた「ロック」「ロックバンド」という衣すら脱ぎ捨てて剥き出しの魂そのものとしてゴロッとそこに転がっている。
撮影スタジオにいた宮本は僕にはそう見えました。
そんな宮本がこれからどんな歌をうたうのか。
半沢さんが撮った写真に写った宮本の尋常じゃない目つきを見れば、その新たな物語にとてつもなく期待せずにはおれない自分がいます。(山崎洋一郎)
ロッキング・オン・ジャパン最新号
コラム「激刊!山崎」より。
ソロ・宮本浩次が見せる狂気について
2019.01.13 16:51