映像ソフト化によりさらに深まる『ボヘミアン・ラプソディ』探求の旅へ。空港シーンの謎、字幕と吹き替えによる台詞の違いとは?

映像ソフト化によりさらに深まる『ボヘミアン・ラプソディ』探求の旅へ。空港シーンの謎、字幕と吹き替えによる台詞の違いとは? - (C)2019 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved. (C)2019 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

4月17日に発売を迎えた『ボヘミアン・ラプソディ』のDVD/Blu-rayが猛烈な勢いで売れている。映画自体が興行収益記録を塗り替え続けてきたのと同様に、この映像作品もまた、さまざまな記録を更新していくことになるに違いない。

映画は、基本的にはやはり劇場で観たいものではある。が、自宅で、気になる場面で映像を止めてみたり、字幕と吹き替えを照らし合わせて確認しながら見ることができることには、また別の楽しみがある。僕自身、字幕監修を担当させていただいたこともあって、吹き替え版の台詞がどうなっているかについては興味があったし、いくつかのシーンについては繰り返し見ながら確認する必要を感じていた。

まずは物語の冒頭、フレディ・マーキュリーがロンドンのヒースロー空港で働いていた当時の場面だ。ベルトコンベアーを流れてくる乗客の荷物を引き上げ、車に積み替える仕事をしていた彼が、あるスーツケースを抱えた瞬間に作業の手を止めてしまい、どやされるシーンがある。いったいあの荷物に何の意味があったのか。そこが気になっていた読者も少なくないはずだ。

実はあのシーンには当初、あの荷物がエルトン・ジョンのものであることを示唆するような字幕が伴っていた。実際、物語のなかにはエルトンのマネージャーでもあったジョン・リードも登場する。だから僕は、空港でのシーンはそこに向けての伏線なのだろうと考えていたし、スーツケースに彼のバックステージ・パスが貼られていたのだろうと捉えていた。ところが、該当の場面を改めて一時停止を繰り返しながらよくよく確認してみると、ニューヨークのJFK空港からヒースローへの荷物であることを示すもの以外にそこに貼られているのは、世界の有名ホテルのステッカー3枚だった。具体的に言うとニューヨークのサンモリッツ・ホテル(現リッツ・カールトン)、リオデジャネイロのコパカバーナ・パレス、そして日本の富士屋ホテルだ。

富士屋ホテルはジョン・レノンとヨーコ・オノが滞在したことでも知られており、「もしかしてエルトンではなく彼の荷物だったのか?」とも思わされたが、夫妻が同ホテルに滞在したのは70年代半ばの話だから、「1970年、ロンドン」という設定のこの場面には適合しない。ちなみに、この歴史あるホテルは、英国のジョージ6世がアルバート王子時代に宿泊したことでも知られている。ならば「王の荷物がクイーンの手に渡る」というような示唆とも解釈できるが、ジョージ6世が没したのは1952年だというから、これまた時代的に大きな隔たりがある。

ただ、のちに日本がクイーンとフレディにとって所縁深い国になったことについては説明するまでもないし、リオについては、初の南米ツアー時に、言葉が通じるかどうか不安だったにもかかわらず“ラヴ・オブ・マイ・ライフ”が大合唱になった、というシーンが映画内にも描かれている。当時、もしかするとバンドが泊まったのがコパカバーナ・パレスだったのかもしれないし、同様に、ニューヨークのサンモリッツへの宿泊歴があってもおかしくない。しかもサンモリッツといえば、まず連想されるのはスイス。晩年のフレディが好んだスイスのモントルーには彼の銅像がある。

日本、アメリカ、ブラジル、そしてスイス。このシーンは、彼がのちに訪れる場所を予見するものだったのかもしれない。蛇足ながら付け加えておくと、エルトン・ジョンが初来日公演を行なったのは1971年のこと。当時の彼はまだ超一流ホテルに泊まるほどの大物ではなかったし、その年以前に日本を訪れて富士屋ホテルに宿泊していたとは考えにくい。あの荷物の持ち主はいったい誰なのか? それは今も僕のなかでは特定できないままだが、もしもおわかりの読者がいらしたらご教示いただければ幸いだ。


字幕版と吹き替え版の台詞の違いについても、二つほど例を挙げておこう。まず、『オペラ座の夜』の制作中、スタジオの食堂で“アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー”の歌詞をめぐる揉めごとが起きた際、ロジャー・テイラーがキッチン内にあったコーヒー・メーカーをブライアン・メイに投げつけようとする場面。ここでブライアンやジョン・ディーコンは「Not the coffee machine!」と言ってロジャーを制止するわけだが、文字数制限の都合により字幕では「それは駄目!」といった具合になっている。そして字幕よりも情報量のある吹き替え版では「コーヒーメーカーはやめろ!」となっている。

また、“ウィ・ウィル・ロック・ユー”の原型が生まれたシーンで、遅刻常習犯のフレディが他のメンバーたちに対して口にした言い訳は、字幕上では「俺はパフォーマー。時計じゃない」となっているが、吹き替え版では実際の台詞に忠実に「スイスの車掌じゃない」となっている。字幕が「時計じゃない」となったのは、これまた字数制限のために「スイスの」といった記述が叶わず、単純に「車掌じゃない」としてしまうと、時間に正確じゃないことの言い訳にはなりにくかったからだ。ロンドンの地下鉄では、ちょっとした遅延などは日常茶飯事。そしてスイスで有名なのは、あくまで時間の狂いがない精密な時計のほうであり、車掌ではない。


そうやって字幕と吹き替えの違いを楽しんだうえで、改めて原語のまま字幕抜きで見てみるというのも面白いし、字幕を英語に切り替えることで新たな発見がもたらされるケースもきっとあるだろう。そんなわけで、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画についての深堀り作業は、まだまだ終わりには辿り着きそうもない。(増田勇一)
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