まだツアーの折り返し地点にも至ってないので詳細は明かせないが、『HUMANIA』収録曲をすべて演奏しつつ、ライブ定番曲や過去のシングル曲もバランスよく盛り込んだセットリスト。いきなり“衝突”“業々”を連打したアグレッシヴなオープニングから、随所で駆使されていた視覚効果も含めて、『HUMANIA』の濃密な世界観を全19曲2時間半にわたってじっくりと堪能させてくれる内容だった。サウンド面で言えば、野間康介をサポート・キーボードに加えたバンドはすっかり磐石といった印象。ときに歌うような情感に満ちあふれた古村のテクニカルなギター、ぶっといグルーヴを生み出す坂倉のベース、ダイナミックなビートを叩き出す対馬のドラムはどんどん躍動的になっているし、なにより超音波みたいな鬼気迫るシャウトをブチかましながら一音一音に魂を吹き込んでいく光村のヴォーカルがすごい。各々が確実にスキルアップしていることで、華やかなソロパートとソリッドなジャムセッションの連鎖でオーディエンスをカオティックな興奮に引きずり込んでいくNICO流バンドサウンドのスケールが、さらに増しているように思えた。
しかしなんと言っても驚かされたのは、曲ごとの世界観とメッセージの多彩さだ。たとえば、メンバー紹介を展開したブレイクを含め15分以上にもわたる演奏でZepp Tokyoを快楽的なダンスホールに変えた“極東ID”の肉感性。たとえば、日々の何気ない幸せを優しく照らし出すような“恋をしよう”のリラクシンな空気。たとえば、メランコリックな言葉と透明なギター・アンサンブルが螺旋状に絡み合いながら荘厳な光の中へと上り詰めていく“endless roll”のめくるめく昂揚感……それらまったく異なるエモーションを宿した楽曲群を次々と提示していくことで、満場のフロアを多方面から揺さぶっていた。しかも曲ごとの触れ幅がものすごく広いのに、すべての曲が圧倒的な熱量と濃度を保っているのがすごい。それは、バリエーション豊かな世界観を高水準でカタチにするバンド・クオリティの高さもさることながら、すべての曲で「聴き手と共鳴したい」という衝動をガムシャラに爆発させようとするバンドの情熱に他ならない。陽性エネルギーをこれでもかと放出させた“バイシクル”では、貪欲なまでにオーディエンスと繋がろうとするバンドの気迫がビシビシと伝わってきたし、Zepp Tokyo一丸のハンドクラップに包まれた“手をたたけ”では、そんなバンドの思いがオーディエンスに伝播してプリミティヴで祝祭空間が生まれていた。
まるで人間の生き様を浮彫りにしたような、めくるめくエモーションが花開いたアクト。2時間半のライブ中にずっと考えていたことは、「そもそも人間ってこんなにも多面的で未整理なものだよな」という思いだった。もちろん、怒りや哀しみといった負のエネルギーをひたすらに焼きつけたロックンロールもある。逆に、とにかくポジティヴに弾けて快楽のツボを突きまくるピースフルなロックンロールもある。しかし、今のNICO Touches the Wallsがやろうとしていることは、人間であれば誰しもが抱く喜怒哀楽の感情をまんべんなく曲に投影させ、さまざまなアプローチから聴き手とコミットしようとすることだ。しかも、その背景には「幅広い聴き手にアピールしたい」とか「表現の幅を広げたい」という野心よりも、「人間のありのままを表現したい」という、ものすごく人間くさくてシンプルな思いが透けて見えるのが面白い。
ライブ前半では、「今回の『HUMANIA』というアルバムは、いろんな人間模様をここぞとばかりに詰め込んだアルバム。いろんな角度からいろんな視点で描いた人間模様を、聴いてくれる皆と分かち合いたい」というようなことを言っていた光村。アンコールでは、「今の時代ってヒーローみたいなバンドって現れないじゃない。ひとつのバンドが100万枚売れるみたいな。でもこういうカオスな時代を俺は認めたいし、そんな中でも俺らなりに感じたことを音楽を通して吐き出したいというのが、俺らのモチベーションの99%を占めているわけですよ」というようなことも言っていた。そんな、思慮深さと熱い意志に裏打ちされているからこそ、NICOのロックはどんどん深く、豊かに、そして強靭になっていく。
3月には、キャリア史上最大規模のハコとなる幕張メッセ公演を含む追加公演も開催予定。ツアーをやるたびに目に見えてスケールアップしていくその様は、見ていて本当に清々しいほどだ。(齋藤美穂)