アマチュア・アーティスト・コンテストRO69JACK 2012で優勝を果たし、ROCK IN JAPAN FES.2012に出演(そのときのクイックレポートはこちら。 http://ro69.jp/quick/rijfes2012/detail/71300 )、その勢いで、冬のCOUNTDOWN JAPAN 12/13にもレギュラー枠で登場(そのときのクイックレポートはこちら。 http://ro69.jp/quick/cdj1213/detail/76669 )、まだまだ無名の存在ながら、COSMO STAGEをいきなり数千のオーディエンスで埋めたさよなら、また今度ね(以下、さよ今)。今夜は彼らにとって初めてのワンマン・ライヴである。
この夜のライヴは、1月16日にリリースしたミニ・アルバム『菅原達也菊地椋介佐伯香織渋谷悠』のレコ発、というもの。チケット発売当日即完で祝福されたメモリアル・ライヴは、詰めかけた観客(なんと三重県から駆けつけたという人もいた模様)とファンシーなぬいぐるみたち(ステージ前列にしこたま並べられていた)、そしてスルメ(バンド側の意向で、入り口のカウンターで無料提供されていた)で軽いカオスと化していた。
オープニング・アクトを務めたのは、さよ今がこれまで何度も対バンを重ねてきたヒゲとボイン。長年の友好関係もあってか、ボーカル/ギターの徹平はさよ今のギター/キーボード/ボーカル菅原と銭湯にいったときのエピソードなどを披露しつつ、おなじくさよ今のベース佐伯を取り上げた「酒さえ呑まなきゃいいオンナ(さよ今さえきVer.)」も演奏するなど、まさに場をぐっとあったかくしていく。男の哀愁がシブくエロくやるせなく響くソウルでブルージーなロックを聴かせて、ヒゲとボインはさよ今を迎え入れた(*以降のテキストでは、この夜演奏された曲目が書かれています。3月4日の追加ワンマン・ライヴに行かれる人はご注意ください)。
さて、最初に書いてしまうと、この夜のさよ今は、夏のひたちなかで鮮烈なフェス・デビューを飾ったときのさよ今ではなかった。そしてさらに言うなら、大晦日の幕張で、未知のバンドをチェックしに来た数千のオーディエンスをすっかり虜にしてしまったときのさよ今でもなかった。もっとすごかったのである。
それは、登場するや、初ワンマンの挨拶もそこそこに菅原が叩きだしたカシオ・キーボードのサウンドがすでにそうだったのだ。オープナー「瑠璃色、息白く」から、シームレスに繰り出された「ギンビス~頭3才未満の唄~」と、たった2曲で実現されていたのは、現在のさよ今が、猛烈なスピードで進化の上昇曲線を疾走しているということだった。少年の持つ臆面のなさとせつなさが無造作に同居した菅原のボーカル、独学で凝りまくったようなエフェクティヴなサウンドが鋭い菊地のギター、さよ今のキャッチーな唄メロの陰で、実は恐ろしくメロディアスなフレーズを忍び込ませている佐伯のベース、そして、何かに突き動かされるようにリズムを放り出しながら、一言もそのカエルのカブリものの説明をしようともしない渋谷のドラム。悪夢(「瑠璃色、息白く」)やつけっぱなしのテレビ(「ギンビス~頭3才未満の唄~」)が、なにげなかった日常を慄いてしまいそうな錯乱に誘うこれら2曲で、さよ今の毎日がエキセントリックなスナップ・ショットのスライド・ショウであることが観客に告げられる。
そして、RO69JACK優勝曲である「踏切チック」へ。ここまでの3曲で、さよ今が、どんな世界に立ち、どんな世界を望んでいるかがあっけないほど赤裸々に提示される。簡単に言ってしまえば、それは、こんな風な毎日にあって、それでも僕はアナタに会いたい、ということである。この奇天烈で不可思議な世界の只中で、奇天烈だけど不可思議な愛を交わしたい、ということである。それはだから、大河ドラマが語り倒す大上段な愛ではない。せめて、「あの娘とレシートの裏に絵を描きたい」(「踏切チック」)と願う、つつましやかで、だからこそ心の奥底からリアルであると確信する類の渇望なのだ。
アグレッシヴな冒頭から一転、ローファイな「いいわけの鉄拳」、そして、ヘヴィな「窓娘」への展開でも、その根底にあるのは、そういうことだ。わかりあえないことへの行き場のない苛立ちがセンチメンタルかつエモーショナルに描かれたこの2曲でも、引き裂かれた場所に佇むさよ今の悲鳴は、やっぱりアナタへと向かっているのだ。
いや、もっと大事なことを書こう。ここまで書いてきたようなテーマを抱えたロック・バンドは、言うまでもないけど、さよ今だけじゃない。世界の裂け目に対峙し、それでもアナタと触れていたいと願う唄は、実際のところ、それこそたくさん書かれてきたし、歌われてきた。しかし、それでも、さよ今は、特別なのである。それはなぜか。
その理由は、彼らのバンド名にシンボリックに言い表されていると思う。さよなら、また今度ね――。目の前の誰かに向けて呼びかけるこのバンド名が成立するには、当然ながら、僕だけでは不可能である。少なくとも、アナタと、アナタが立っている空間がなくてはならない。さよならと現実を受け止めて、それでも、また今度ねと不安げな未来を祈る、時間が流れていなくてはならない。ちょっと抽象的な話だけど、これはつまり、そこには「関係」がある、ということだ。つまり、「閉じていない」ということだ。さよなら、また今度ねとは、僕だけが世界に怯えているのではない。僕だけが居もしないアナタを妄想しているわけでもない。自分を閉じ込める自意識などかなぐり捨てて、他ならぬこの世界で、つまりは、アナタのいるこの世界で、他ならぬアナタとの「関係」に焦がれるように向き合っている「僕とアナタのこと」なのである。そう、これはコミュニケーションである。そして、それが、言うまでもなく、愛なのである。そして、だから、眩しくなるほどポップなのである。
僕だけでは到底ありえなかったような奇跡が起きるのは、アナタがそこにいるからだ。そんな力いっぱいの祝福を高らかに鳴らす「in布団」。あるいは、僕だけでは決してそうはならなかったはずなのに、なぜかみんながいるからみんなで泣いてしまう。そんな不可解になすすべ無く押し流されてしまう「砂かけられちゃった」。さよ今の唄は、そんなふうに、アナタがいてくれることで歓喜し、アナタがいることで泣いてしまう、「関係」の中で揺さぶられる僕のエクスタシーがとめどなく溢れている。
中盤には、これまでのライヴでは観たことのなかったアコースティック・セットが登場。ステージ下手から、ピアニカの佐伯、タンバリンの渋谷、アコギの菅原、同じくアコギの菊地が並び、ラヴ・ソングだらけのさよ今においても出色のせつなソング「早苗とギター」、そして、バンドに菊地が加入した際の喜びが綴られているという友情ソング「ヘビメタ」が演奏される。
ふたたび、メンバーが定位置に戻っての新曲「2秒で手に入る」がこの夜最速のドライヴで会場をあらためてピークにもっていくと、たたみかけるようにスペイシーな「信号の奴」へ。そして、本編最後を飾ったのは、「僕あたしあなた君」。ここでのアナタは、もはや恋人ですらない。僕に嫌味を言ってくるような人だ。それでもいいのだ。そんなアナタだからこそ、世界は美しいのだから。
舞台袖に引っ込んだメンバーがすぐさまステージに戻ってきて、アンコールへ。サプライズをほしがる恋愛じゃなくて、「定期的な何かが欲しい」と歌う「マリオピーチクッパ」、そして再び「瑠璃色、息白く」が演奏され、さよなら、また今度ねの初めてのワンマン・ライヴは終了した。
さよ今は、ライヴの途中、予告通りに、自分たちの「いらない服」を配り、ライヴが終わると事前の呼びかけに応えて観客が持ち寄ったお菓子を丁寧に配り直し、そして、菅原と佐伯による「機長とCA」と題されたラジオ・ドラマ(?)と「いろんな人たち」と題されたモノマネ集が収録された無料のCDと、菊地と渋谷による「時限爆弾」と「菊地を追う渋谷」2本の超短編映画(?)が収録された無料のDVDを配布した。さよなら、また今度ねは、ここまで含めて、さよなら、また今度ね、なのであった。
来る3月4日には、この夜の2倍強のキャパシティとなるSHIBUYA deseoでの追加ワンマン・ライヴも行われる。こちらもソールド・アウトになったそうだ。(宮嵜広司)