モリッシー、処女小説『List of the Lost』への批判は個人攻撃でしかないと語る

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  • モリッシー、処女小説『List of the Lost』への批判は個人攻撃でしかないと語る - モリッシー『List of the Lost』

    モリッシー『List of the Lost』

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モリッシーは9月に出版した初の小説『List of the Lost』が酷評を浴びていることについて、こうした論評が作品についてのものではなく自分個人への攻撃だと切り捨てている。

『List of the Lost』は1970年代のアメリカを舞台とした作品で、陸上のリレー走チームの4名が主人公となっており、選手の一人が雑木林である男を殺してしまったために、4人全員が呪われてしまうという筋を追っている。作品のそれぞれの登場人物の性格描写、作中の性描写や会話のやりとりと、あらゆる要素が評論家からの酷評の対象となり、ザ・ガーディアン紙のマイケル・ハンはこの本は買わないようにと読者に訴え、「すぐに読めそうだといくらそそられても、この本に手を出して自分をわざわざ貶めることはない」と忠告し、「ただのごみ」とまで言い切ってみせている。また、オブザーヴァー紙のエド・カミングはこの小説を出版した版元のペンギンは恥を知るべきだとまで断じている。

こうした評についてモリッシーは、評論家は本の書かれ方が気に入らないからといって、所詮「道徳的な憤慨ぶりなどを表現することはできないのだ」とチリの音楽サイトのコンタクト・ミュージックとのメール・インタヴューで語っている。

「単にその本はその評論家に向けて書かれたものではない、ということに過ぎないんだよ。その作品が実際に作者が書いたものとは違ってどのように書かれるべきであったのかなどといったことなんか、わかるはずもないのだから」

「ぼくは表現の自由というものを強く信じているし、だから評論家はいうべきことをきちんといわなければならないと思う。でも、実際に書かれている批判はぼく個人に向けられたものであることがほとんどで、評論家が実際に読んでいるものに向けられたものではないんだよ」

さらに評論家は作者と読者の関係を歪めているのかという問いには次のように答えている。

「たいていの評論家はなんかしらの形で注目されたくてけしかけてくるわけで、それはその記事を自分のことや、自分の趣味性についてのものにしたがっているからなんだよ。そういう世界ではなにも進歩しないんだ。一般読者にこの本を買うなと呼びかけたところで、そうすることで自分が望んでいないよう注目をその本に浴びせることになるだけなんだからね」

なお、タイムズ紙のメリッサ・カツーリスは次のようにモリッシーのこの小説を評している。

「評者諸氏は一体なにを期待していたのだろう? 現代における結婚生活の落とし穴をめぐる優雅にして冗長な作品ならよかったのだろうか。それとも田舎へと引っ越したばかりに味わわされるさまざまな失敗についての悲喜劇的な描写が読みたかったのだろうか。この作品はむしろゴチック的なファンタジーなのである。遊びに満ちた内容はジョイス的でさえあり、喪失と老いをめぐる筆致に至っては絶妙な瞬間もある。これは文壇を占めている有象無象といる創作科出身の書き手らによる、生真面目で都会的な大作の数々への祝祭的な反語なのだ。これは唯一無二にしてほかにはありえない作品だ。モリッシーはこれからも長く、その芸をわたしたちの目の前で嬉々としてちらつかせていくことであろう、わたしたちがそれを好もうと好まざろうと」
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