ビリー・アイリッシュはなぜ「世界最大のアーティスト」になりうるのか? 音楽との出会いから、彼女にとっての「正念場」までを語る

ビリー・アイリッシュはなぜ「世界最大のアーティスト」になりうるのか? 音楽との出会いから、彼女にとっての「正念場」までを語る

またビリー・アイリッシュは、色々な意味で「家族経営事業」でもある。アイリッシュの曲は、彼女と21歳の実兄フィネアスが作詞作曲とプロデュースを手掛けており、フィニアスは、しばしば彼女の前座やバックバンドも務めている。2人は両親と離れたことがほとんどなく、ほぼ全ての楽曲を、良い具合に雑然とした実家の子供部屋でレコーディング。母マギー・ベアードと父パトリック・オコンネルの両者は俳優で、端役や、地域劇場、吹き替えやナレーションなどの仕事で、長年苦労を重ねてきた。

近年、ベアードはアイリッシュのアシスタントとしてツアーを回っているが、実際には彼女のチーフ・スタッフであり、母であると同時に、マネージャー的な役割も(無償で)担っている。大工仕事や手仕事もしていたオコンネルは、現在ツアー・クルーの一員で、少人数で回していた時代にはバンの運転手を務めており、現在は照明ディレクターを担当している。それでもどういうわけか、いわゆるステージ・ママ/パパによる抑圧といった不安の種は、全く見受けられないようだ。

とはいえ、Instagram時代のパートリッジ・ファミリーとも言えるこの一家に、計画的な部分が全くなかったというわけではない。オコンネルによると、子供達がホームスクール(*米国で公式に認められている教育方法で、学校に通わせずに自宅で学習させる)で教育を受けることになった理由の一つに、フィネアスが誕生した年に、3兄弟から成るハンソンが“MMMBop”で大ヒットを飛ばした件があった。

「あの3兄弟に、完全に圧倒されてしまったんだ」と、回想するオコンネル。「彼らは宗教的に熱心なオクラホマの家庭でホームスクールの教育を受けていた。にもかかわらず、だったからね。明らかにあれは、子供達が興味の対象をとことん追求するのを許されたおかげで起きたことだったんだ」。

ベアード自身は音楽家として大成したわけではなかったが、結局のところ、ビートルズなどを試金石として用いながら、2人の子供に初心者向けの作詞作曲の授業を行うようになっていた。そして子供達は概ね、自らの情熱に従うことを奨励されていたのである。大学進学が彼らの目標だったことはない。(また彼らはベジタリアンとして育てられ、フィネアスが10歳頃になるまでは4人家族用のベッドで眠っていた。より最近では、ベッドルーム2室と風呂場1室という間取りの自宅で、両親が自室にしていたのはリビングルームであった)。

当初、ダンスや乗馬、そして歌に興味を持ったアイリッシュは、ロサンジェルス・チルドレン・コーラスに参加し、歌を歌っていた。だが本質的にD.I.Y.唯美主義者である彼女は、やがて自ら複雑なプロジェクトを考案。友達を集めては、衣装や小道具を一から作るようになった。「信じられないくらい、あれこれ皆に指図してたのよね」と語るアイリッシュ。 (彼女の生涯の友人であるゾウイ・ドナヒューが、そばでこう声を掛けた。「彼女はただ、自分が何を求めているのか分かっていただけよ」)。

最初に音楽に情熱を傾けたのは、フィアネスだ。しかし彼が自身のバンドのために書いた“Ocean Eyes”を歌ってもらおうと、当時13歳だったアイリッシュに協力を要請した瞬間から、一家の人生は一変。兄妹がそのトラックをSoundCloudにアップロードしたのは、アイリッシュのダンス教師に振り付けをしてもらうためだったが、そこから人気に火がつき、非公式なリミックスやアルゴリズムの魔法に煽られる形で、業界からの注目が拡大したのである。

2016年夏までに、アイリッシュは<ダークルーム>(Darkroom)と契約。元々マーケティング会社として立ち上げられ、28歳のジャスティン・ラブライナーが運営している同レーベルは、<インタースコープ>(Interscope Records)と提携関係にある。インタースコープの最高経営責任者であるジョン・ジャニックは、アイリッシュについて次のように回想していた。

「彼女のスタイル感や、考え方、話し方——とにかく彼女については、何もかもが誰とも違っていたんだ。特に彼女は、14歳とは思えない強力な視点を持っていたよ」。彼女を「新種のポップスター」と考えていたライブライナーは、セレーナ・ゴメスやカミラ・カベロのような、より伝統的なシンガー達との競い合いには無関心であった。

R&B風味を微かに帯びたインディー・ポップとして、滑らかに流れる“Ocean Eyes”。アイリッシュのチームは、この曲をTop40ラジオ局にプッシュするのではなく、よりじっくりと、そしてより慎重に事を運んでいこうと誓った。「曲を一人歩きさせたいとは思っていなかったんだ」とグッドマン。彼はダニー・ルカシンと共同で、アイリッシュとフィネアスのマネージャーを務めている。 「アーティストとしての等身大のビリー以上のものを、我々は決して求めてはいなかった」。

単発の楽曲がストリーミング配信で着実に人気を得て急速に広まって行くのを受け、翌17年夏、同レーベルは9曲入りEP『Don’t Smile at Me』をリリース。ラッパーの場合、インターネット先行でトラックを発表し、ラジオが後から追いつく場合が(もしくは追いつかない場合も)しばしばある。だが全体論で言えば、ストリーミング先行という方針は、ポップ界の有力新人にとっては当時ほとんど前例のないことであった。

「この2年間、周りからよくこう言われたよ、『おいおい、こいつはどこからともなくやって来て、突然頭角を現したな!』とね」と、グッドマンは語る。その過程で、アイリッシュは当初見込まれていたよりも、遥かに不可思議で個性的なアーティストへと成長を遂げた。彼女の声は天使のようにピュアである一方、彼女の書く歌詞のテーマは、例えば連続殺人鬼や、支配、ベッドの下の怪物など、不安に満ち、荒涼としている。また彼女の新しいアルバムでは、不安定なビートや、耳障りな回音、不気味な効果音が好んで用いられ、それがソーシャルメディアや彼女のビデオにおける映像的な美学と共に、シームレスに流れていくのだ。
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする