同題の映画の主題歌として書き下ろされた、あいみょんのシングル『空の青さを知る人よ』のリリースから2ヶ月近くが経とうとしている。
この曲を初めて聴いたときの感動は、それまであいみょんの音楽に触れてきたなかでも感じたことのない種類のものだった。そこに描かれた情景の瑞々しさもさることながら、物語の輪郭を丁寧になぞり、そこに慎重に色を乗せていくようなあいみょんのメロディと歌は、これまで以上に大きく優しい視線で包み込むように響いていたからだ。これまでの彼女の曲とは、ソングライターとしての視界の広さがまったく違う、と感じた。
“空の青さを知る人よ”は、あえて思いっきり単純化するならば「青春を乗り越えていく」歌だ。
《青く滲んだ思い出隠せないのは/もう一度同じ日々を/求めているから》
というフレーズに文字通り「滲んで」いたパーソナルなセンチメントが、《いつも いつも》という叫びのようなDメロで溢れ出す。そして主人公はそれを乗り越え、遠くにいってしまった《君》を追いかけ、そして《届け》と願う。
主人公は悲しみの中で記憶に封じ込めたあの頃の美しさを発見し、それを抱きしめて明日へと進む。すべての悲しみと喜びが、最後に歌われる《届け》という言葉に集約され、解き放たれていく。どこへ? 「普遍」のほうへだ。《届け》という言葉が響いた瞬間に、ここで歌われた青春の「私性」は青く広がる空のように広い世界へとつながる。“空の青さを知る人よ”は、そのメロディの素直な美しさと歌詞に描かれる物語の結末において、あいみょんがこれまでとは違うレベルのポップミュージックの領域へと足を踏み入れたことを証明する楽曲なのである。
『第69回NHK紅白歌合戦』での“マリーゴールド”歌唱で終わった2018年から2019年へ。あいみょんは文字通り「普遍」のほうへ――言い換えるならJ-POPのど真ん中へと突き進むポップアイコンとしての自分と、半径の小さなリアリティからテーマと題材を見出して歌を紡ぐシンガーソングライターとしての自分のあいだのバランスを取りながら、その距離を詰めてきたように思う。2月にリリースされた『瞬間的シックスセンス』はまさにそのバランス感覚の賜物のようなアルバムだったし、そのリリース直後に行われた初の日本武道館公演も、全編弾き語りというスタイルを含めてそのスケール感に対して信じられないほど親密でパーソナルな匂いのするライブだった。
そしてその後リリースされた2作のシングル、『ハルノヒ』と『真夏の夜の匂いがする』を比べてみればその振れ幅は一層明らかだろう。いずれも映画とドラマの大型タイアップ曲でありながら、そこから受け取る印象はまるで両極端だ。さらにいえばDISH//に提供した“へんてこ”、映画『さよならくちびる』の挿入歌として提供されたハルレオ(小松菜奈・門脇麦)“誰にだって訳がある”と“たちまち嵐”、菅田将暉のアルバムに収録されたデュエット曲“キスだけで feat. あいみょん”、木村カエラのアルバムに提供した“Continue”といった作家活動もそうだ。「求められる」という状況に対して、もしかしたら今自分で歌う以上に素朴な楽曲を、あいみょんは提供している。
そんな2019年の帰結として、堂々としたJ-POPなメロディに乗せて青春の私性を普遍へと解放してみせる“空の青さを知る人よ”が生まれたことは必然なのだ。この曲のミュージックビデオが、Tシャツにデニム、スニーカーというシンプルなスタイルで空の下で弾き語りをするというものになっているのも象徴的だ。そこにはあいみょんというアーティストの原点と未来が同居しているのである。そして2020年、その未来はますます大きく、広く、そして確かなものとして我々の目の前に現れるだろう。(小川智宏)
あいみょんがさらなる飛躍を果たした2019年を象徴する名曲“空の青さを知る人よ”を改めて語ろう
2019.11.22 10:00