アイルランドのブルース・ロック・ギターの名手、ゲイリー・ムーアが他界

  • アイルランドのブルース・ロック・ギターの名手、ゲイリー・ムーアが他界
  • アイルランドのブルース・ロック・ギターの名手、ゲイリー・ムーアが他界 - 2008年作 『バッド・フォー・ユー・ベイビー』

    2008年作 『バッド・フォー・ユー・ベイビー』

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  • アイルランドのブルース・ロック・ギターの名手、ゲイリー・ムーアが他界 - 2008年作 『バッド・フォー・ユー・ベイビー』

ブルース・ロックをベースにしたギターの名手として知られていたゲイリー・ムーアが他界した。享年58。シン・リジィ在籍時にマネージャーを務めていたアダム・パーソンズもBBCにゲイリーが2月6日朝に亡くなったことを認めている。

ゲイリーは北アイルランドのベルファスト出身だが、ちょうど休暇でスペインに滞在中だったところ、睡眠中に息を引き取ったとされている。

1952年にロバート・ウィリアム・ゲイリー・ムーアとして生まれたゲイリーは69年に弱冠16歳でダブリンで活躍していたブルース・ロック・バンド、スキッド・ロウに加入し、ギタリストとしての定評を固めていく。

1971年にスキッド・ロウを脱退して以降は基本的にソロ活動を続けていくことになるが、スキッド・ロウを先に脱退していたボーカルのフィル・ライノットが率いていたハード・ロック・バンド、シン・リジィに何度かギタリストとして参加したことでもよく知られている。最初の参加はギターのエリック・ベルの脱退を受けてツアーのギタリストとしてのもので、その後、バンドと数曲レコーディングしたものの、バンドへの本格的な加入には至らず脱退した。

2度目はやはりギターのブライアン・ロバートソンの脱退を受けてのもので、この時も代理のギターとしてシン・リジィのツアーに参加し、さらに『ブラック・ローズ』のレコーディングも参加した。しかし、『ブラック・ローズ』のアメリカ・ツアー中、ゲイリーは突然、脱退した。

ソロとしては1973年の『グラインディング・ストーン』以降、20タイトル発表していて、フィル・ライノットとの共作曲“パリの散歩道”でのヒットなども誇っていた。最新作は2008年の『バッド・フォー・ユー・ベイビー』だった。

何度もキャリアがゲイリーと交錯しているエリック・ベルはBBCに驚きを隠せないというコメントをしている。「本当に屈強なやつでね、いわゆるロック的な不健全さとは無縁なやつだったからね。本当に健康だったんだよ。卓越したプレイヤーだったし、献身的なミュージシャンだったよ」。

なお、1980年代にアメリカで結成され、今も活躍するグラム・メタル・バンドのスキッド・ロウはデビューする際に、「スキッド・ロウ」というバンド名の使用料をゲイリーから3万5千ドルで買い取ったというエピソードも残されている。

(c) NME.COM / IPC Media 2011
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