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    坂本真綾『レプリカ』についてのコラム的な文章と宣伝

    坂本真綾『レプリカ』についてのコラム的な文章と宣伝

    坂本真綾さんは、先週末、2度目に登場となったROCK IN JAPAN FES.2014のステージで新曲”レプリカ”を初披露してくれました。

    ”レプリカ”。
    ものすごくいい曲だ。
    この曲についてちょっと書いてみようと思う。

    andropの内澤が作ったメロディは飛翔感がハンパなく、坂本楽曲としても新鮮、内澤楽曲としても真骨頂というような、素晴らしいコラボレーションになっていると思う。
    ま、とりあえず聴いてみてください。

    さすがに坂本真綾らしいなと思うのは、《認めて ただ存在を》という呼びかけに続いて綴られる、《僕こそがオリジナル あるいはそのレプリカ
    僕らの証明はどこにある》という、どこか哀しくリアルで思索的な歌詞――もそうなんだけど、そんな楽曲を”レプリカ”と名付けたセンスだと思う。
    センスというか、そもそも彼女には、この曲は”レプリカ”しかあり得なかったのだろう。
    主題歌になっているアニメのテーマありきではあるが、自分はオリジナルな存在、という確信ではなく、「あるいはそのレプリカ」における「あるいは」の裏腹な可能性に感情移入してしまう。
    ファンはきっとわかってくれると思うが、それは非常に坂本真綾的なスタンスだ。

    自分は何者なのか。私は誰なのか。
    そんなテーマを、声優から舞台女優からシンガーまで色々やってきた彼女の経歴に重ね合わせることは簡単だが、そんなことは重要ではない。
    それは「鶏が先か卵が先か」という話であって、坂本真綾がそういう人だったからいろんな仕事をやっているのか、いろんな仕事をやってきたから思索的な人になったのかは、本人もたぶんよくわからないと思う。
    何しろ8歳からキャリアを積んできた人だ。
    アイデンティティは気づけばあっただろうし、あるいは、まだ果敢に、何からも目を逸らさずに探し続けている、ということだろう。

    ただ、「レプリカ」というモチーフにまつわる思索を、こうして前向きでポジティヴな歌として書き、歌える人はそうはいない。
    過剰した自意識と息苦しさの匂ってこない思索、というのはちょっとすごい、と僕は思う。
    変な言い方になるが、「あるいは」というテーマ、あるいは「レプリカ」というモチーフが示す哀しみと常に対峙し、そのもどかしさとやるせなさを自分の中に取り込んで生きてきた人でなければ、このようにまっすぐな歌にはできない。

    ”レプリカ”。
    この曲は、言葉に宿った言霊のようなパワーを、歌うことで昇華し、成仏させる――そんな歌を歌ってきた坂本真綾だからこそ歌うことができた、素晴らしい曲だ。
    言ってしまえば、「歌が歌ってほしいように」歌ってあげることができる、そんなシンガーだからこそ、坂本真綾が歌う”レプリカ”は、レプリカとしての哀しみ以上に、飛翔するメロディの喜びと躍動感ががんと前に出てくる。
    そんなふうに思う。
    そして、この表現には、誰も真似のできない大変な品があると思う。

    とまあ、重い話になりましたが、そもそもはちょっと宣伝させてもらおうと思ってたんでした。
    そんなニューシングル『レプリカ』の発売を記念した、坂本さんのUstream特番がありまして。
    その司会をやらせてもらいます。
    詳しくは、こちら。
    http://ro69.jp/news/detail/107346

    配信は8月20日、シングルの発売日です。21:00頃〜22:00頃みたいです。
    上記のようなことも含め、いろいろお話聞いてみようと思います。

    よろしくです。
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