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    人はなぜ遠くへ行きたいと歌うのか――について書いたコラム的な文章(前編)

    人はなぜ遠くへ行きたいと歌うのか――について書いたコラム的な文章(前編)

    先日、大阪出張に行った。そして、その帰り道、新幹線に揺られながらふと思った。

    「遠い場所、って一体何なんだろうなぁ」って。

    いやね、大阪に行って帰ってくるたびに思うんですよね。
    「近いよなあ」って。
    新幹線ってすげえよなあ、去年一年間の平均遅延時間ってなんと54秒なんだって――
    という話でもあるんだが、ここでいう「距離」というのは、何キロメートルという物理的な距離のことではない。
    『母をたずねて三千里』で言うところのガチの「三千里」ではなくて、「会いたくて会えない」概念的距離及び心理的距離のことだ。
    ちなみに、三千里というのは、リアルにいうと、11 781.8182キロメートルらしいけど、それがどのくらい遠いのかどうかはよくわからない。
    確か、マルコ少年はイタリアにいて、確か、お母さんがいるのはブエノスアイレスだったと思うから、三千里というのはなんとなく「世界地図のはじからはじ」くらいの距離なのかもしれない。

    何はともあれ、遠くへ行きたい、と思うこと。
    それはとても甘美な概念だなあと思うわけです。

    みんなよく言うじゃないですか。
    「あー、どっかいきてーなー」とか「あーどこか連れてってほしい!」とか。
    あるいは、人によっては「誰か白馬の王子様わたしをどこかへさらってくださる日を待ってます」とか「ああ……もうそんなしたら心がどっかいっちゃうわあん」とか言ったりもするんだろう。
    最後のほうの心の内、というか体の内のことは僕はよくわかんないけど、みんないつだってなんとなく思っているものなんじゃないかと思う。
    いやいやわたしは思わないわ、だってわたしの人生すでにステキなんですもの――という既得的幸福状況及び素直な自意識をお持ちの方は引き続きその穏やかな幸福に浸っていてもらえればな、と思う。
    僕には白馬の王子様もこないし、心がどっかいっちゃうような関係も身の回りにないので、そのかわり、と言っちゃなんだが、「どっか遠くへいきてーなあ」とわりと頻繁につぶやいたりしている。
    そんなわけで、僕は(きっと多くの人もそうなんだと思うけど)そういう歌をよく聴く。

    「遠くへ行きたい」系楽曲の原典は言うまでもなく、永六輔作詞/中村八大作曲、ずばりの”遠くへ行きたい”だろう。
    「知らない街を歩いてみたい」という、小学校の合唱で歌ったあれだ。
    大人になってからはあれだよね、日曜日の早朝、なんとなくスイッチオンしたTVから不意に流れ出してくるあれだ。
    日曜朝までの痛飲を経て、またやっちまった的チミドロ状態の脳みそにゆるゆると飛び込んでくるあの曲である。
    「まったくもう、行けるもんなら、俺だってどっか遠くへ行っちゃいたいもんだよおまったくもう」なんてやけくそテンションで聴くあの幽玄のメロディ、というのもそれはそれでオツなものだ。
    逆に、「遠くへ行きたい」系楽曲の最終形態は、遠くでも近くでもない、とにかく果ての果て、地平線の彼方にまで思いを飛ばした歌――その名も、”ここではない、どこかへ”
    by GLAY、だろう。
    両楽曲とも、あらためて聴くと異常的にいい曲である。
    いや、「いい曲だ」なんて範囲をはるかに超えた、超絶普遍的、人間の心理の真理の心裡を食ったもはや形而上学的楽曲、なんてふうに思ったりもする。

    「どこか遠く」、あるいは「ここではないどこか」という概念には、かように、いくつになってものっぴきならない思いを馳せさせる何かがある。
    ま、そんな話だ。

    そんな密かな「ここではないどこか」欲望所有者である僕が、最近、人から教えられて以来、何度も何度も聴いているのがこの曲である。
    POLTAの楽曲で、その名も”遠くへ行きたい”という。

    POLTAがどういう人たちなのかはみなさん各々検索してみてください。
    素晴らしいアーティストであることは僕の責任において保証しますので。

    こうして本稿はようやく本題に入る。
    といいつつ、いつもどおり長くなってしまったので、本題は次のエントリーでアップします。
    すんません。
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