ビリー・ジョエル、これが最後の来日公演となってしまうのか? 一夜限りのドーム公演徹底予想と1975年『ピアノ・マン』時代のインタビューでビリーの全貌に迫る

ビリー・ジョエル、これが最後の来日公演となってしまうのか?  一夜限りのドーム公演徹底予想と1975年『ピアノ・マン』時代のインタビューでビリーの全貌に迫る - rockin'on 2024年1月号 中面rockin'on 2024年1月号 中面

現在発売中のロッキング・オン1月号では、ビリー・ジョエルの来日特集において、名盤『ピアノ・マン』でブレイクした直後の1975年インタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。



「僕はロックンロールスターを大勢知ってるけど、彼らは本当にそれだけなんだ ――
ただのロックンロールスター、他には何もない。
だから僕はハリウッドから離れることにしたんだよ」


これは何ともみっともない告白で、とりわけ事情通であることが当然とされるこの手の誌面で書くには誠に恰好がつかないこと甚だしいのだが、ほんの9ヶ月前まで、ビリー・ジョエルは私の意識の中ではほぼノーマークと言っていい存在だった。

彼に関して私が覚えていたことと言えば、こちら(英国)でリリースされた彼のファーストアルバムのおぼろな記憶と、フィラデルフィアにおける異様な人気ぶりを詳細に伝えた古いローリング・ストーン誌の記事くらいのものだったのだ。アルバム『ピアノ・マン』が全世界でゴールドディスクを射程圏内に収め、そのタイトルトラックがトップ10に食い込む勢いであるという事実は、私を含むほぼすべての英国人たちの情報網を見事にかいくぐることに成功していた。

まあ、私の愚かな先入観についてはこれくらいにしておこう。実のところ『ピアノ・マン』は素晴らしいアルバムだ――あまりに良かったので、ジョエル氏とその歴史について深掘りしてみたいという抗いがたい衝動を抱いたのだ。我々は今ロンドン中心部のどこかにあるホテルのほの暗い廊下を進み、味も素っ気もない一室へ通されたところだ。給仕が遅い朝食を片付けている最中で、ウェストポート・アカデミーに対する忠誠を謳ったスウェットシャツを身に着けた我らが若きヒーローは、まだいささか眠たげな様子だった。

●聞くところによると、あなたは偽造IDカードを使って相当若い頃からバーなどでプレイしていたようですね。元々ソロアーティストとしてスタートしたんですか?

「いや、まともなレコーディング活動を始める前に、地元のバンドを幾つか経験したよ。大体65年から66年あたりの話だね」

●その挙句、バンドなんてものはクソだという結論に達したと。

「あー、最初に誘われたのはザ・ハッスルズっていう当時ロング・アイランドでは結構ホットなバンドだったんだけど、オルガンを弾いてくれないかってね。彼らはレコードを出してたから、僕は『お、こいつはイケる!』と思って加入を決めたんだ――あの頃はレコード契約を持ってるってだけで大物扱いだったからね」
(以下、本誌記事へ続く)



ビリー・ジョエルの記事の続きは、現在発売中の『ロッキング・オン』1月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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