1月21日、すでに解体の決まっている東京・中野サンプラザホールで、ウリ・ジョン・ロートの東京公演を観た。事前告知ではあまり明快には打ち出されていなかったが、今回の公演は3つの大きな節目の到来が重なった「TRIPLE ANNIVERSARY SHOW」だった。
まずは彼がスコーピオンズの一員として1978年に初来日し、今夜と同じ中野サンプラザホール(そう、会場がここであることが大事なのだ)での公演時に収録された名盤の誉れ高きライブ・アルバム『蠍団爆発!!スコーピオンズ・ライヴ~トーキョー・テープス』が同年発表された時点から数えての満40周年。ということは、同じ年のうちにスコーピオンズを脱退した彼がエレクトリック・サンを立ち上げ、最初のアルバム『天地振動(EARTHQUAKE)』(1979年)が誕生した時期からも同様に40周年ということになる。
しかも彼が初めてステージ上での演奏を体験したのが、50年前のことなのだそうだ。正直なところ、彼自身のライブ初体験が13歳当時のことだった、などというマニアックな知識は持ち合わせていなかったが、1曲目の“Sky Overture”を披露し終えた時点で、ウリ自身がそうした事実や今回のライブの意味合いを、スクリーンを用いながら説明してくれた。
ライブは2部構成によるもので、7時過ぎに始まった演奏すべてが終わる頃には10時を過ぎていた。ウリ自身を含むトリプル・ギター編成で、キーボード奏者も伴う形でのバンド演奏を基盤とし、楽曲に応じてゲストを招きながら彼の音楽人生を追っていく、というのが基本的な内容ではあった。
ゲスト陣のなかでもっとも目をひいたのは、スコーピオンズ時代の盟友であり、今なおバンドの看板であり続けているルドルフ・シェンカーだったが、ウリ在籍時にほんの2年ほど同バンドのドラマーだったルディ・レナーズといったレアな人選も。さらに、昨年11月にボン・ジョヴィの一員として来日していた超絶ギタリスト、フィル・Xまでもが登場。彼がボーカルのみでスコーピオンズの楽曲に加わるという、誰にも予測できなかったはずの場面もみられた。
そうしたゲストの1人に、マイケル・フレクシグがいた。ウリの実弟にあたるジーノ・ロートが率いていたバンド、ジーノのボーカリストだった人物だ。ジーノ自身は、残念ながら2018年2月に他界している。今回の公演ではそのマイケルの歌唱によりジーノの楽曲も披露されたが、ウリのステージ上での発言によると、彼は元々この集大成的ライブにジーノを参加させるつもりだったようだ。
他にも彼ならではの壮大なスケール感を伴った楽曲群や、41年前のスコーピオンズ初来日時にも演奏された往年の名曲たちはもちろんのこと、ウリ自身が13歳当時の初ライブで実際に用いたギターを使用しながらのシャドウズの“Apache”(50年前のライブでも演奏したのだという)など、実に聴きどころの多いライブだった。また、第二部の幕開けとなったウリの独演場面で、クイーンのあの曲のメロディがさりげなく取り入れられていたことも印象的だった。
22日の名古屋、23日の大阪での公演、さらに24日には東京でのアコースティック・ショウも控えているだけに、これ以上具体的な記述をすることは避けておくが、とにかく濃密なひとときだった。その密度の濃さ、感情の色濃さ、音楽的な情報量の多さゆえに、観る側にとってもかなり体力を要するライブだったといえる。が、オーディエンスの大半は、心地好い疲労感とともに帰路に就くことになったに違いない。(増田勇一)