チャンスが挑む、生涯一の難関にして高貴な祝典

チャンス・ザ・ラッパー『ザ・ビッグ・デイ』
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ALBUM
チャンス・ザ・ラッパー ザ・ビッグ・デイ

チャンス・ザ・ラッパーの満を持してのデビュー作、『The Big Day』(=重大な日)がとうとう発売された。デビュー作とは言え過去3本のミックステープを発表し、その中でも『Acid Rap』は傑作と位置付けられているし、前作の『Coloring Book』では、ストリーミングのみのリリースで、グラミー賞を3部門受賞するという史上初の快挙を達成。シカゴの最重要ラッパーから世界的スーパースターになり、地元の学校には100万ドル(約1億円)を寄付するなど、我々の魂に歓喜と高揚感を与え続け、すでにミュージシャン以上の存在になっていた。なので、今“デビュー作”というのも奇妙だが、このアルバムへの期待値がマックス以上になっていたことは間違いない。今作にはこれまで同様にソーシャル・エクスペリメントからフランシス・フェアウェル・スターライト、ボン・イヴェールなど彼のサウンドを支えたメンツが結集し、そのプロダクションは相変わらず最高。しかも今回はなんとデス・キャブ・フォー・キューティーショーン・メンデス、さらにはランディ・ニューマン!!までもが参加するという驚きの豪華ラインナップで作られている。

今作のテーマは、彼がこの3月にずばり人生最大の“The Big Day”を迎えた、つまり、結婚したこと。さらに、3歳の娘さんもいて、今からもう1人の誕生を控えている父であること。そしてチャンスがこれまでも描いてきたように、シングル“65th & Ingleside”の続きから始まる成長物語なのだ。サウンド面では、チャンス曰く、結婚式に生涯一というくらい踊りまくったDJプレイがインスピレーションとなったということで、これまでも作中で歓喜を鳴らしてきた彼が、これまで以上の歓喜を鳴らしたような祝福のダンスを展開する。ゴスペルや、ソウル、“Eternal”ではシカゴ・ステップ・ダンス、“BallinFlossin”ではハウスなどが次々にミックスされていく。よりメインストリームで開けた、心地よく王道感のあるサウンドになっているのも特徴だ。ただそれでいて、決め手はやはり彼が得意とするノスタルジーが炸裂する“We Go High”。ミシェル・オバマのスピーチの有名なフレーズから取ったと思われるこの曲はアルバムの中でも最高の名曲で、シンプルなピアノに合わせて、結婚する前に浮気をしたことが正直に告白される。《嘘の息/彼女はその匂いに耐えられないと言う》でも《彼女が僕らからセックスを取り上げたので》《クラブに行けば皺だらけのパンツの中が硬くなる/想像以上に速く堕ちていけるものなんだ》と。また、《ダイヤモンドは大きなプレッシャーだ》と語りつつ、《新たな繋がりを築きたい/だから神よ、どうすればいいか教えて欲しい》と締め括られる。これを、『ドラゴンボールZ』、『くまのプーさん』などを引用し、彼らしい子供っぽいイノセントな視点と混ぜ、さらに信仰深さから聖書の引用も交えた、複雑かつ絶妙な彼一流のストーリーテリングが展開される。『Acid Rap』の“Pusha Man”や、“Paranoia”でも発揮された天才的な才能がここでも証明されているのだ。さらに、“5Year Plan”には、彼が大好きな『トイ・ストーリー』のサントラを手がけたことで起用されたに違いないニューマンが参加し、過去のドラッグ中毒を告白するスピリチュアルでエモーショナルな曲になっている。しかもその前のスキットでは、《キッドには大きな計画があるようだが》《健康保険はあるのか? 退職の準備は? 貯金はあるのか?》と問われる。つまり、彼は今作で夫になること、父になること、5年後の計画を持つこと、貯金をすること、責任を持つこと、大人の男になること――普通ポップ・スター、またはラッパーがテーマにしてきたとは言えないことに果敢に挑んでいる。それなのに、この祝福すべき瞬間にチャンスが「みんな僕が自殺でもしたほうがいいと思っているんじゃないかというクレイジーな空気を感じる」と心が張り裂けるようなツイートをしていて驚いた。どうしてかと思ったら「新婚さんのオヤジ・ラップ」(ピッチフォーク)とか、「離婚した時は凄いアルバムを作ると思う」(NYタイムズ紙)などというあまりにお粗末なツイートを見付けたからだ。彼は、確かに伝統的にはクールとは言えない難しいテーマを題材にしながらも可能な限り正直に告白した、むしろ高貴な姿勢を貫いた作品を完成させたと思うのだ。最後もチャンスらしく《それは可能だ》と希望を掲げて締め括っている。

ただ今作において唯一残念なことがあるとすれば、22曲という長さだ。彼が永遠に踊り続けた祝祭がもう少し短く終わっていたら、再び傑作になるポテンシャルがあったと思うのだ。ただそれは彼の幸せ度とは関係ないことだ。 (中村明美)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』10月号に掲載中です。
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チャンス・ザ・ラッパー ザ・ビッグ・デイ - 『rockin'on』2019年10月号『rockin'on』2019年10月号
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