アーティスト

    9月11日にDVD『Live at TOHOKU AIR JAM 2012』をリリースするHi-STANDARD。彼らの2日間に及ぶステージが収められた本作は、ハイスタというバンドの本質、そしてAIR JAMの熱量を余すことなく伝えてくれる。この度、約14年ぶりとなる3人揃ってのインタヴューが実現した。震災からの復興を掲げ、約11年ぶりにリスタートを決めた3人は、東北の地で何を見たのか? そして、なぜハイスタにとってAIR JAMはなくてはならず、切っては切れないものなのか? さらに噂をされているハイスタの新作はあるのか、どうなのか? すべてに正面から答えてくれた。

    Hi-STANDARD
    ハイ・スタンダード
    メンバー:
    難波章浩(Vo&Ba) / 恒岡 章(Ds&Cho)/ 横山 健(Gu&Vo)

    オフィシャルサイト:http://hi-standard.jp/


    INDEX

    みんなが肩組んでモッシュしてる光景を見て、『AIR JAM、仙台に持ってこれてよかったなあ』って思いました(難波)

    ――今回、東北で開催されたAIR JAM 2012のDVDがリリースされるんですけど、改めてあの日のことを振り返っていただきたいなと。いかがでしたか?

    難波章浩「まずは、自分の、そしてHi-STANDARDの、できる限りのパフォーマンスをみんなに観てもらえるように、頑張んなきゃなっていうことしか考えられなかったですね。で、だんだん後半に向かって、みんなが肩組んでモッシュしてる光景を見て、健くんも言ってたけど『AIR JAM、ここに持ってこれてよかったなあ』って思いました。"MOSH UNDER THE RAINBOW"をやる時ぐらいは、手放しで自分も盛り上がれたけど。それまでは必死でしたね」

    恒岡章「AIR JAMを開催するってことに関しては、気持ちはみんなと同じではあったんですけれども。ただ2012に関しては、気持ちはあるんだけれども、心と体のバランスがすごく崩れていたので、演奏するだけで必死だった。正直僕は、答えられることがそんなに多くないんです。でも今改めて思うのは、DVDの編集作業をしている時に、それこそ自分が景色を見る余裕もなかった時に、お客さんが楽しんでいる様子とかを見て、改めて良かったんだなって、思えてきたんですね。去年に関しては、演奏することだけで精一杯だったんで」

    横山健「僕は、めっちゃめちゃ楽しかったです。笑っちゃうぐらい楽しかったです(笑)。でもさっきツネちゃんが言ってたけど、彼には彼自身の抱える問題があって。Hi-STANDARDとして、この3人の集団としても、そこを考えざるを得なかった。でもそういうのを全部ひっくるめて──それ以前の話かな。たとえば俺とナンちゃんがずーっと不仲だったとか、ハイスタとして11年間、活動が空いてしまったとか、そういうことも全部ひっくるめて、Hi-STANDARDをやりたい、AIR JAMを東北に持っていきたい、元気づけてあげたい、その思いが結実した日だったんで。すごく楽しかったし、嬉しかったですね」

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    僕はね、肩に力は入ってなかったんですよ。背負っていたのはむしろ2011のほうで。2012はね、もっと、自分のためにやってもいいんじゃないかなというのもあった(横山)

    ――まさに東北にAIR JAMをという大義名分があったんで、果たしてHi-STANDARDは、一体どういう表情で出てくるのかなって。シリアスなモードなのか、それともニュートラルなモードなのか。でも1曲目が終わった瞬間、とにかく笑顔で。この時点で勝ちは約束されたと思うんです。

    横山「うんうん。僕はね、肩に力は入ってなかったんですよ。そんなに背負ってなかったというか。背負っていたのはむしろ2011のほうで。2012はね、もっと、自分のためにやってもいいんじゃないかなというのもあったし。復興のためのイベントっていう、それもあるけれども、一方で、ハイスタを無邪気に楽しむ自分がいたっていいじゃないかっていう。1年半かけて、そうなれたんですね」

    難波「やっぱり音楽ってすごいなと思ったね。あそこに立った瞬間もそうなんだけど、もう、AIR JAMの熱量がハンパない。自分たちでやっていながら思うんだけど、単純にイベントがおもしろかったから。ものすごいパワーだったんですよ、どのバンドも。ちょっと他のフェスに類を見ない熱量があそこにはあったと思うんで。RIZEがMCで言ってたんですよ、『こんな草原にディズニーランド来ちゃったね!』みたいな。『やっぱハイスタすげえなあ、こんなの持ってきちゃうんだね!』って。ああ、そういう捉え方もあるのかと。そういう楽しい一日を提供できたっていう意味では、ものすごくいい一日だったし。もちろんそこにはいろんな意味があって。みんなにそのいろんな意味が、気持ちが届いたのが良かったなと思いましたね」

    ――僕は2000年のAIR JAMにも参加しているんですけど、今回の東北に行って、正直「こんなに快適なAIR JAMがあっていいのか?」と思いました(笑)

    横山「ははははは」

    難波「あ、それは俺も思った。新しいなあと思ったし、ああできちゃうんだなあって思ったね」

    ――健さんもMCで言ってましたよね。「AIR JAMって都市型って言われてるけど、野外でもできるじゃん」って。

    横山「そうなんですよ。なんとなく僕らの中でも、今後、スタジアムでやっていかなきゃAIR JAMっぽくないのかな、みたいなとこもあったりしたんだけども。結構、場所選びも考えたんでね」

    難波「ね? サッカー場もあったんだよね」

    横山「そう。でも、サッカーの試合をするだけでも、近隣との交渉が大変みたいで。音鳴らすフェスティバルって、どんなに交渉しても難しくって。それで、消去法で野外になったんだけども。でも、あとはお客さんが熟してきたのかな」

    難波「ほんとだね。子連れ多いしね」

    横山「それはもしかしたら、AIR JAMがない間、いろんなフェスが育んでくれたものかもしれないし」

    難波「ね?」

    横山「僕らがAIR JAM始めた頃は、フェスのフェの字もなかったけど、もう今、フェスって定番じゃないですか。そういうものを作ってくれた人たちのおかげかもしれない」

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