韓国と日本にルーツを持つラッパー/シンガーとして、10代のうちにデビューを果たしたちゃんみな。彼女は、20歳を迎えてから初の音源となる配信シングル“PAIN IS BEAUTY”を11月30日にリリースする。歯に衣着せぬ、強烈に的を射たリリックの数々を投げかけてきた彼女が、その20年の歩みを振り返りありったけの思いを詰め込んでみせたような、強く優しいニュークラシックの誕生である。彼女がこの曲に込めた思いを受け止めるには、彼女の半生について訊き、どのようにして現在にたどり着いたのかを確認しなければならないと思った。“PAIN IS BEAUTY”と同日発売の『ROCKIN’ ON JAPAN』1月号にはインタビュー記事が掲載されているが、そこからこぼれたエピソードを含むリミックス版のテキストをお届けしたい。今こそ知っておきたいちゃんみな、“PAIN IS BEAUTY”の真意を語るちゃんみなに、出会ってほしい。
インタビュー=小池宏和 撮影=伊藤元気(symphonic)
私が思っていたよりも愛されているんだな、と感じた(20歳のバースデイ)ライブだったので……ありがとうって思いました
──配信シングル『PAIN IS BEAUTY』がリリースされるということで、もちろんそのことも伺いたいんですが、今回はまず、ちゃんみなさんの人となりについても伺いたいです。
「よろしくお願いします」
──近いところでいうと、10月に20歳のバースデイライブがあって、ひとつの節目になったんじゃないかと思うんですが、そこでの感慨や、考えさせられたことはありましたか。
「20歳という面では、ずっと尖っていたい、より尖っていく20代にしたいなあと思います。あと、私が思っていたよりも愛されているんだな、と感じたライブだったので……ありがとうって思いました」
──ということは、今までは愛されている実感があまり無かったんですか。
「嫌なことを言ってくる人の声のほうが大きく聞こえてきて、愛してくれる人の声が聞けなかったような気がしていたんですけど、最近になって、いろいろ考えながらそういう人たちの文章を読むことができたり、目の前にいるときに表情をゆっくり見られるぐらいにはなったな、って」
──20歳になったちゃんみなさんの音楽的なバックグラウンドを振り返ると、そもそもどういうきっかけで音楽を好きになって、シンガー/ラッパーを目指そうと思ったんでしょう。
「めっちゃ遡ると、ママが歌手をやりたかったらしくて、バレリーナをやっていたんですけど。私がお腹の中にいるときに、この子は歌が上手くなりますようにって、ずっと言っていたらしいんですよ。で、私が一歳半ぐらいのときに、歌手になっていい?ってママに言ったのがきっかけで」
──それ、自分で覚えてるの?
「なんとなく覚えてます。誰かは分からないんですけど、テレビでキラキラした人が歌っていて。それをママが本気にして、ピアノやバレエを習わせてくれて、歌って踊れる人になりたい、と思うようになったんです。ラッパーになりたいとは全然思わず、ずっと生きてきたんですけど。小学校5年生のときに、ダンスの先生に、歌いたいんですけど、って相談して。次の発表会で初めて人前でいきものがかりさんの“じょいふる”を歌ったんです。で、めちゃめちゃ音痴だったんですよ(笑)。そこで心が折れたんですけど、でも、もっとやってやろうっていう気持ちで、それがまた強みになって、練習しまくって。もともと、韓国の音楽がルーツだったこともあって、韓国でデビューするのが夢だったんですよ。ずっと韓国語で作曲もしていて、韓国の事務所のオーディションを受けたりして、高校2年のときに上手く行きそうだったんですけど、話が来たときに、なぜか、1カ月考えようと思ったんです。昔の自分だったらすぐサインしていたはずなのに。普通にラップも得意で、韓国のラップのアイドルとしてやっていくのも良かったんですけど、考えてみたら、それってたぶん二番煎じになっちゃうのかなって。韓国にはそういう人たちが溢れていたので。そのときに、日本で戦ってみようかなって思うようになって。たまたま見つけたのが『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』。それまで、日本語のラップをやったこともなかったし、フリースタイルもやったことなかったんですけど、自分の限界を知りたい、と思って駄目元でオーディションを受けて、出場したんです。それからラッパーって呼ばれるようになって、それがなんか居心地悪かったんですけど、歌も歌うし、ラップもするんだというのがあったので、最近はラッパーと呼ばれても、シンガーと呼ばれても、全然平気です」
嘘がつけないんですよ。作り話ができないんです。だから、性格悪い部分が全部見えちゃう(笑)
──小5でいきものがかりを歌ったときに、苦い経験になって。早い時期から自己評価が定まっていたんだと思うんですよ。それで、ラップをしようとか、日本で戦ってみようとか、ひとつずつ考えながら進んできたのかな。
「うーん、自分では意識しなかったんですけど、韓国のシーンを目標にして頑張っていたときに、韓国のアーティストは作詞・作曲ができるのが当たり前だし、韓国語を話せるのが当たり前だし。そこにプラスαで私に何ができるのかと言ったら、ラップのスキルは分からなかったんですけど、日本語が話せるし英語も分かる。それで目標を日本のシーンに切り替えたときに、自分の強みが見えたんですね。日本の音楽シーンで韓国語と英語が分かるアーティストなんていないよ、女性ラッパーなんていないよ、って言われるし。運命が味方してくれたのかな。だから、恵まれていたのかなって、最近気づいて。小学生のときの自分に、拍手を贈りたいですね」
──あと、ちゃんみなさんの、言いたいことを率直にリリックに書く覚悟と技術って、どんなふうに身についたんだろうって思うんですよ。
「逆に、嘘がつけないんですよ。作り話ができないんです。だから、性格悪い部分が全部見えちゃう(笑)」
──以前の“Princess”という曲にいじめを受けた経験を書いていて。ちゃんみなさんの場合は、それを言わなきゃ始まらないんだよっていうスタンスだと思うんです。それって、どんなふうに培われたんだと思いますか。
「えーっ……ヤンチャだった頃じゃないですかね、やっぱり。中学生のときにちょっとドロップアウトしたんですけど、そのときに学ぶものが多くて。礼儀だったり、人に対する変な正義感だったり。喧嘩してマブ、みたいなのがあるじゃないですか(笑)。正直であることが礼儀だし、っていうのを学んだんですよね……でも私は、誰かが聴いてくれると思っていなかったので。誰かに向けてというよりは、私を知って、という気持ちが強かったです。今もそうですけど」
──いつ頃から、自分の気持ちを歌詞にしたためるようになったんですか。
「小学校の頃からやっていましたね。作曲は、ピアノを習いながらというのもあったんですけど、ちゃんと形にしたのは高校1年のときです。ちゃんと打ち込みをして」
──じゃあ、気持ちを書くことは、日記みたいな感じだったのかな。
「テスト中に、テスト用紙のはじっこに書いたりして。テスト、分からないから。あと、音符が書けるノートを持ってきて、勉強をしてるふうにして書いたりとか……めっちゃ恥ずかしい話があって、歌詞を書きながら、替え歌みたいなのにハマっていた時期があるんですよ。インストを作って、カバーというかリミックスみたいにして、そのとき好きだった子に向けた歌詞を書いて、渡したりしてました(笑)」
──(笑)。完全にミュージシャンだ。じゃあ、そのときは人に聴かせる気持ちがあったわけじゃないですか。
「ああ、確かに。生まれて初めて、人に向けて書いた歌ですね。初恋の人です、たぶん」