群馬出身の3ピースバンド、popoq(読み:ポポキュウ)。メロディもビートもノイズも美意識のもとに混ぜ合わせて構築するオリジナルなサウンドメイクと、儚くも柔らかい歌声によって独自の音楽世界を描いてきた彼らが、1stフルアルバム『00』(読み:リンリン)をリリースした。アートワークはEveのジャケットや映像も手掛けてきたMahが担当。ビートミュージック的な意匠を取り入れるなど音楽的な進化も果たしながら、このコロナ禍を生きる人間としてのリアルな思考や皮膚感覚から生まれた物語を描き出した本作の成り立ちについて、バンドのこれまでや彼らが根源的に音楽に求め続けている「夢」や「様式美」の話も交えながら、メンバー全員に語ってもらった。
インタビュー=天野史彬
「現実を見ると辛いことが多いから夢を見るんだよ」(上條)
――「popoq」というバンド名は非常に独特ですよね。記号的というか、視覚的というか。右京(Dr・Cho) 「popoq」っていう名前は、幼少期に僕の頭の中に字面として浮かんでいたものなんです。今回のアルバムの『00』っていうタイトルもそうなんですけど、左右がコントラストになっていたり、ちゃんとデザインされているものが幼い頃から好きで。言葉以外のところから見えるパワーを、自分は信じているような気はします。きれいなものが好きだし、でも、きれいなものを見る時はその逆も見ようと思うし。
――そういうデザイン的な感性は右京さんによる部分が大きいんですよね。上條さんとオグラさんに、彼の感性はどう見えていますか?
上條渉(Vo・G) 僕は右京とは高校から一緒なんですけど、悪い意味ではなく、人と違う感性だなとは思っていました。ただ、僕はずっと友人関係だったので距離感がかなり近くて。オグラさんのほうが客観的に思うことはあるかも。
オグラユウキ(B・Cho) そうだね。僕はpopoqが結成されて少し経ってから加入したんですけど、右京くんは初めて出会うタイプの人間だなと思いました。右京くんはSFが好きで、まさにそんな感覚が人柄から出ているなと。なんというか、宇宙人みたいな。
一同 (笑)
右京 宇宙のことを考えるのは好きです(笑)。幼い頃からそういうことを調べるのが好きだったんですけど、そのぶん、みんなと話が合わないことも多くて。
――popoqは、結成時からバンドの方向性は見えていたのでしょうか?
右京 最初から方向性が定まっていたわけではないんです。ただ、まずはコピーから始めて、オリジナル曲を作ろうとなった時に、彼(上條)が作ってきてくれた曲を聴いて「夢の中にいるような曲だな」と思って。そこを広げていきたくて、ドリームポップやシューゲイズ、エレクトロっていわれるような音楽性に繫がっていったと思います。
上條 その頃、岩井俊二さんの作品のような淡い情景の映画だったり、花を想像させるものだったりが好きだったんですよね。そういう感覚があったので、「夢」をキーワードにしながら曲を作ることが多かったんです。それは目標に向かって見る夢もそうだし、眠って見る夢もそうだし。その頃は、現実で耐えられないことがある中で、それを忘れられるような、自分がいちばん居やすい場所、理想郷みたいなものを空想的に作ってみたかったっていう感覚だったのかもしれないです。そういう部分を右京が感じ取ってくれたのかもしれない。
右京 当時、上條くんから「現実逃避」と僕は聞いていて。「現実を見ると辛いことが多いから夢を見るんだよ」と上條くんが話すのを聞いて、僕もそういう感覚でものを見ることが多いから、共感できるなと思ったんです。僕自身、散歩しながら空を見てインスピレーションを受けることもあるし、そういう部分でシンパシーを感じたんです。
――なるほど。ただ、「現実逃避」という言葉を使うと、ネガティブに捉えられる場合もあると思うんです。「現実を見るべきじゃないのか?」と。もし、今の自分たちがそういう意見を言われたら、どんなアンサーを出しますか?
右京 「現実を打破したい」と思った時に、考えることをやめてしまったら、そのままステイしてしまうから。だから「現実逃避」といっても、それは「逃げ」というわけではなくて。発想によって物事を変えていくっていうことだと思います。僕はそれを音楽でしたかったんです。
――「夢」を見て、それを描くことは思考停止ではなく、現実的な思考と結びついている。
右京 僕は昔からハブられたり、輪に入れないことが多くて、それに対してどうしてもネガティブに考えてしまうことが多かったんですよね。でも、妄想を膨らませることや考えることで、前向きになれた体験があって。最近もそうです。特に去年以降のコロナ禍で「今を生きている」って毎日実感させられたし、だからこそ、過去も見つめ直したり、実はいつのまにか当たり前になっていたことについて、何度も繰り返し考えたし。思考をループさせて考えることは、大事なことだと思う。
コロナ禍になって、身ぐるみ剥がされたような気持ちになったんです。「自分が本当に残したいものはなんだろう?」って(右京)
――上條さんはどうですか?上條 僕も、今はあまり「逃げ」という言い方はしたくないんです。現実が嫌で、それに対して「こうだったらいいな」という理想があったとしたら、自分たちの音楽はそれに近づく一歩を踏み出すためのものであって、イメージはすごくプラスなものなんです。今回の『00』というアルバムは特に、今までと同じように「夢」や「理想郷」というテーマは通じている部分もあるけど、その捉え方や伝え方が変わったと思っていて。前は確かに、あくまで「自分のため」というか、自分が作る理想郷で共感してくれる同志と輪になるイメージだったけど、今回は、とにかく「相手に伝わるように」ってことを考えて作った作品なんです。いろんな人の、いろんな場面に当てはまるような作品になってほしくて。もちろん「伝わるようにする」というのは、「わかりやすくする」ということではなく。
――それは、右京さんが言うようにコロナ禍の影響もあると思いますか?
上條 コロナ禍の影響は大きいと思います。コロナ前はライブをやるのも当たり前で、自分が時の流れについて行ってるようなイメージがあったんです。でも、いざコロナ禍になると、決まっていたものがなくなり、ライブもできなくなり、自分が流されていた「流れ」が流れなくなった。そうなると自分で突破口を見つけなきゃいけないけど、行き詰まってしまうこともあるし、「どう打破しよう?」、「どうしていけばいいんだろう?」と考えていく中で生まれた気持ちが、今回のアルバムにはあるような気がします。
右京 僕も、アウトプットの場所が失われて「それでも前向いてやっていくかどうか?」って立ち止まったんですけど、やっぱり僕は音楽を作っている瞬間に支えられてきたなと思って。何かを忘れるということではなく、何かに夢中になるっていう行為がなかったら、僕には周りに見えるものすべてが暗く見えてしまうんですよね。なので、コロナ禍に入った直後は浮き沈みが激しかったんですけど、それが「作ることは絶対続けよう」と思うきっかけになりました。今回のアルバムは、何かを考えて作り始めたというより、勝手に手が動き始めた感じで、コロナ禍になって、身ぐるみ剥がされたような気持ちになったんです。「自分が本当に残したいものはなんだろう?」って考えるきっかけになったと思います。
――新作『00』について、まず音楽的な面で言うと、どんなことを意識していましたか? 作曲はすべて右京さんのクレジットですね。
右京 今まではみんなでスタジオに入ってインスピレーションを合わせて作っていたんですけど、去年出した『Crystallize』から、ほぼ僕がデモを作る形にシフトしていて。9曲それぞれ違う色のものを入れたいっていうのはありましたね。部屋に籠るようになって、海外のことに目を向けることも多くて。そうやって自分の中で未規定だったのものに出会った感覚を、一つひとつ、アウトプットしていきました。たとえばアルバム後半には打ち込みの曲もあるんですけど、それは去年、今まであまり聴いていなかったハウスやIDMを聴いて生まれた、「バンドでこういうのをやってみたい」という好奇心から取り入れたんです。