──今回のアルバムを作るうえで、こんなものにしたいというテーマはあったんですか?今までの制作でいちばん「作ってる」っていう感覚が強かった(大森)
橘高 最初のミニアルバム『May』が映画をモチーフにしていて、次のフルアルバム『優しさに似たこの街から』はドラマで──基本はその時ハマってるものなんですけど、今回は作ってる最中に小説を読むことが多かったので、小説をコンセプトに書きたいなと思ってスタートしました。
──ああ、だから「書く」っていうワードにも重きを置いている。
橘高 そうです。リード曲の3曲、“どうかお元気で、”と“もう書き終えたはずなのに”、“まだ書いている途中なのに”も繋がっていたり、最初からちゃんとコンセプトがある作品にしようと思って作り始めた気がします。物語の流れで言うと、“まだ書いている~”、“もう書き終えた~”、“どうかお元気で、”なので、収録順とは逆になっていて。物語の順で並べた時にすごくつまらなくて、逆にして近くに並べてみても浅く見えたから、間に何曲か入れて時系列も逆になってるんですけど。聴き手に任せられるようないい曲順だなと我ながら思います。
──想像の余地、余白みたいな。
橘高 最近ようやくその感覚ができてきたというか。以前は曲の聴き方なんて僕自身の一通りしかないと思ってたんですけど、最近失恋した人にはその人の聴き方があって、今付き合ってる人がいたりもうすぐ結婚する人にもその人の聴き方があって。恋愛とか全然してなくてもSunny Girlのメロディが好きで聴いてるもいる。ちゃんと聴き手の数だけ聴き方があるようにできたなと思います。
──全体像はどんなふうに組み立てていったんですか。
橘高 リードの3曲がこういう曲になるだろうからこうしよう、という感じで。EP(『目印を耳にして E.P』)を作った段階でアルバムを出すことも、EPからアルバムに入るだろう曲も決まっていたので、そういう曲を避けて他を作った感覚はあったかもしれない。“月に惚けて”と“雨と走れば”の2曲はデモ時代の再録なので、そこも避けて。
──ああ、その2曲は確かに青みは多めかも。
橘高 ですよね。多分、2年前くらいの僕だったら照れちゃって絶対に再録しなかったと思うんですけど、逆にもう今の自分には書けないですし、この青さや痛さを後悔しないようになってきたので。それをちゃんと愛せるようになってきたタイミングで再録かなと思って。
──特に手こずったなぁみたいな曲もありました?
小野 “どうかお元気で、”なんですけど──
橘高 そうだね(笑)。
小野 レコーディングの2日前にスラップをしてほしいって連太郎に言われて。僕、一回もやったことないんで、そこから2日間ずっとスラップの練習(笑)。
橘高 歌詞が直前になって決まったんですよ。リード3曲で言うと時系列が最後で、ちょっと投げやりになってる曲なんですよね。未練もあまりないくらいの感じを出したくて「この曲はスラップだな」って。驚愕してたよね。
小野 結構嫌な顔で見ちゃったかもしれない(笑)。そのぶん自分的にも思い入れがあるというか、好きな曲にはなりました。
──大森さんは今作の印象、どうでした?
大森 今までの制作でいちばん「作ってる」っていう感覚が強かったですね。レコーディング当日に変えてみたものもありましたし、いちばん向き合えたような気がします。6曲目の“それっぽい”でシンセサイザーを使ってみたり、自分のやりたいことをやらせてもらった感覚があって。
── “それっぽい”は今作でも特に大人っぽい印象があって。
大森 ちょっとR&Bというか、最近っぽい要素もありますよね。
橘高 その皮肉も込めての“それっぽい”です。
──ああ、なるほど。
橘高 シンセサイザーとか入れる曲を作ってみたいなと思ってたんですけど、Sunny Girlじゃないなという感覚もあるのはわかっていたので、それっぽい曲になっちゃうんだったら、そのままタイトルにしようと。
──とは言え、もっと大胆にそれっぽくすることだってできたと思うんですね。
橘高 そうですね。行きすぎないラインにはしました。
──そういう匙加減は全体的に感じるんですよ。あえて振り切らずにある程度の範囲内に揃えてるというか、手持ちの武器でどれだけやれるかに挑戦してるような。この段階で武器を増やすよりは、今持ってるものと見えるものを大きくする作業をしたほうがいいと思った(橘高)
橘高 それも多分、僕が中途半端で臆病な性格だからですね。唯一無二を目指したり振り切ったりを、あんまり自分で選ぶ感覚がないんですよ。
──最初のほうで話したこととも繋がりますね。
橘高 そう、本当に。振り切ったことのできる人は尊敬しちゃうし、羨ましいとは思うけど、自分ではできないかもしれませんね。
──でも新しいものを作る時って、今までやったことないことに振り切るほうが楽な側面もありません?
橘高 そうなんですよねえ。そうなんですけど、それもみんなやってるし……僕が聴き手の時って、なんでこのバンドが好きなのに違うバンドがやってるようなことをやっちゃうんだろう?って思うことが多かったんですよ。僕らは大きいフェスに出たり武道館に立ったりするような、みんなが知ってるバンドではないので、この段階で僕たちの武器を増やすよりは、今持ってるものと見えるものを大きくする作業をしたほうがいいと思ったんですよ。言い方は悪いですけど、そんなに売れてないのに新しいことをやってもなぁって。今あるこれをもっと大きくする作業をやったほうがいいのかなと思ってます。
──そうして作り終えて、あらためて感じたこともありました?
橘高 きれいに収まったなとは思います、良くも悪くも。それこそ、アルバムとしてはもう少しとっ散らかってもよかったというか、“街獣”とか“それっぽい”、“不眠症”あたりはもう少し遊んだ曲を入れてもよかったな、アルバムの中ではみ出しすぎた曲が一曲くらいあってもよかったかもって、今話してて思いました。
── “街獣”はわりと異彩を放ってますけどね。コード進行もそうだし、跳ねた感じもあって。
橘高 本当は“街獣”で読み方を「かいじゅう」にしようと思ってたんですけど、ちょうどサカナクションが……(笑)。あの曲がよすぎたので勝てないと思って避けて、そのまま「まちじゅう」と読むことにしました。そこもやっぱり避け癖があります、僕は。
──でも面白くもありますよ。避けて避けての繰り返しで結局自分の道が見えてくるというパターンは。あと、アルバムタイトルや最後の曲に「いつか」と入ってますよね。「いつか」って明確ではない先のことじゃないですか。
橘高 そうですね。
──ちょっとぼんやりした未来のことを指す言葉が出てきたのって、今の心境とリンクしてるのかなって。
橘高 僕らはアルバムのペースが早いほうだと思うんですけど、いつか書き切っちゃうんじゃないか?という気がしちゃって。……「ずっとライブハウスにいるから」って言ってた先輩が辞めたんですけど、その打ち上げで「やり切った」って言ってたんですよ……「嘘つけ!」と思っちゃったんですね。たとえば僕が100点のライブをできたら「やり切った」ってその場で辞めれると思うんですけど、100点のライブなんて日は来ないんで。100点の楽曲も多分ないですし。でももしかしたらどこかで「やり切った」って思える日が来るのかな?っていう──書き切っちゃうのかな、いや書き切るわけない、っていうどちらの感覚もあったので「いつか」という言葉を使いました。「歌き終える日が来ても」のあとに何かが続く気がしたからそのあとの言葉は止めたし、それを探して見つけるツアーにしたいんですよ。バンドを続けていくと見えてしまう、辞める/辞めないとか年齢的なこととかってどうしてもありますけど……どうなんだろうな。もしかしたらツアーファイナルで見えるかもしれないし、まだわからないかもしれないし。
小野 最近その感覚はわかるようになってきて。前までは連太郎の考えてることがそこまでわからなかったんですけど、前回のアルバムツアーくらいから確かに自分も感じるなということは増えてきました。
大森 一緒に音を出すことで、徐々にわかるようになってくる部分はありますよね。
──「いつか」ってわりと先のニュアンスを含みますけど、その手前にある今目指すべき目標で言うとどうですか。
橘高 今は同世代とやることがすごく多くて、今日は勝った/負けたとかがすごく多いんですよ。けどやっぱり最前線でやってる先輩のバンドとやるとずっと負けるんで、そういうライブハウスでもそれ以外でもずっと勝てるバンドになりたいですね。これは僕の友達の言葉なんですけど、「オーバーグラウンドを知らないアンダーグラウンドになりたくない」っていうことはすごく思います。どっちも見てみて、好きなほうを選べればいいなと今は思っていて。別に売れたいとかいうより、Sunny Girlというものにずっと触っていたいから、そのためにはどうするかを模索し続けたいです。
──とは言え、オーバーグラウンドと売れることはわりと近いところにあって。そこの景色は見たいという。
橘高 これもどこかプライドなのかもしれないですね。昔、「売れたい」って言ってる人をバカにしてた自分もいたんですけど、今はそうなっちゃってる気もします。「売れたい」という言葉を使ってないだけで、大きいところでやりたいですしフェスにも出たいし……でも結局はSunny Girlを長く触りたいから、できるだけ軸を崩さずに広げていきたいという、今はそこが大事ですね。