ストーン・ローゼズの初の本格的伝記が明かすアメリカでブレイクできなかった理由とは?

ストーン・ローゼズの初の本格的伝記が明かすアメリカでブレイクできなかった理由とは?

ザ・ストーン・ローゼズの初の本格的伝記『The Stone Roses: War and Peace』がアメリカで今月刊行されているが(イギリスでは6月)、著者のサイモン・スペンスが5年がかりで実現させたこの本の制作過程やローゼズについて語っている。

今回の本がオフィシャルではないにしても本格的な伝記となっているのはレニの協力を全面的に得ているからで、レニのつてを頼ってスペンスはこの本のために関係者とのインタヴューを400時間以上にわたって行ってきたという。ただ、メディアやプレスにはまったく答えないというスタンスをこれまで貫いてきたレニを説得するのも一苦労したそうで、これだけで3年がかりの作業になったとか。最終的にはやはりメディアから完全に姿を消していた元ザ・ローリング・ストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの伝記をスペンスが書き上げていたことにレニが興味を感じて2011年から今回の本用の取材に乗り出したという。

この本の最大の特徴は取材に答えた関係者がこの本のためにあらためてローゼズについて語っていることで、これまでのローゼズ本の類のものがすべて1996年の解散以前の雑誌記事のインタヴューや発言を再構成したものに終始しているのに対して、今語っておきたい自分たちにとってのローゼズという話を、取材を受けた人間はみな語ってくれたとスペンスは説明している。

「インタヴューで話した人たちはみんな、ローゼズの本当の物語を紐解こうとする試みがようやく出てきたということについてすごく満足してくれた様子だったよ。本質的にローゼズの関係者というのはみんな固い絆で結ばれているから、この本の前には誰にもキー・パーソンとなる人物に接触できなかったという問題があったんだよ。でも、ぼくはレニとこの本を作ってたわけだから、門戸がすべて開かれてたんだ。みんな話したがってたよ。話してほっとしたようだったね。やっと本当のことを話せたとね」

レニとスペンスはおよそ110人ほど取材相手としてリストアップしたというが、最終的には70人程度となったという。なかにはレニがこの本用には取材しないでほしいと指定した人物もいて、そのひとりがローゼズのマネージャーを1986年から92年まで務めたギャレス・エヴァンスだったという。ファーストのリリースでローゼズとマンチェスター・シーンが一大現象となったタイミングで、ローゼズがきちんとアメリカ進出を図れなかったのも、大半はエヴァンスのでたらめな交渉とバンドとの意思の疎通のまずさに起因していたとスペンスは説明していて、エヴァンスを解任して『セカンド・カミング』をリリースした後も、ファーストでアメリカ進出の時期を逸した痛手は結局、回復できなかったと解説している。

いずれにしても、本の制作に乗り出した時点でローゼズの再結成はまだ夢の話だったスペンスは語っていて、その変化の様子については次のよう振り返っている。

「ぼくたちがこの本の制作に取りかかった時、ローゼズ再結成の確率はゼロだったんだから、今とはまるで状況が違ってたんだ。絶対的なゼロだったから。それが半年くらい経ったら、いろいろ雰囲気が変わり始めてね、妙な感じになってきたんだよ。最初はさっぱり気づきもしなかったけどね。でも、レニがイアン(・ブラウン)と数年ぶりに食事をしたということがあったりしてさ。そうかと思えば、マニと奥さんが(ジョン・)スクワイアの子供たちのベビーシッターをやってるっていう話も聞きつけるし。そのうち、ひょっとしたら、ぼくにとってもこれは千載一遇の話かもと思ったんだ。だけど、明らかなようにこの本を再結成と関わらせるつもりはバンドにはなかったんだ。それで再結成をバンドが本当に決心した後は、バンドは完全に周囲をシャットアウトしたんだよ。ほとんど『インディ・ジョーンズ』の世界だったよ……すべての出口が完全に崩壊するぎりぎりのタイミングでバンドは宝物を手中にして滑り込むようにして脱出してきたんだよ」

なお、本にはこれまで未発表となっていた初期のローゼズの写真もふんだんに使われているが、これは主に3人の写真家によるものだとか。一人はローゼズが1985年にスウェーデンで一緒にツアーをしたトクシン・トイのオフィシャル・フォトグラファーで、この写真家からこの当時の写真を大量に入手することができたという。もう一人はボブ・マーリィやセックス・ピストルズの写真で有名なデニス・モリスで、ジョンとデニスが不仲になるまではバンドもしょっちゅうデニスのスタジオに入り浸っていたので、折に触れてデニスはバンドの姿を撮っていたのだという。さらに3人目はギャレス・エヴァンスの元交際相手のスー・ディーンで、実はスーは写真家でもあったとのことで、86年から87年にかけてのローゼズの写真を大量に持っていたとのことだ。

こうした写真もレニのネットワークで大量に入手することに成功したが、版元のペンギンの編集部からはコストがかさんで「おかげで破産しそうだよ」とぼやかれたとスペンスは語っている。

(c) NME.COM / IPC Media 2012
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