昨夜のジャパン編集部ブログの、
ゆらゆら帝国解散についてのやつ(by井上貴子)。
(このブログです → http://ro69.jp/blog/japan/32775 )
この2007年11月号掲載の、ジャパンでの最後のインタビューを
しているの、私です。
この時に一回(写真左の号)、BUZZの2001年3月号で一回
(写真右の号)、の計二回、坂本慎太郎にインタビューしたことがある。
その時に彼から受けた感じを、昨日ゆらゆら帝国の
公式サイトにアップされた文章を読んで、思い出した。
どういう感じか。
言葉ですべてを説明し、伝えることは無理かもしれないけど、
でも、少しでもしっかりと説明し、伝えることができるよう、
できうる限りちゃんと言葉にする。
という感じだ。
あの坂本慎太郎の文章、どう書けば自分たちの
意志がちゃんと伝わるか、どう言葉にすれば、
納得はされなくてもわかってはもらえるか、
ということを考えながら書かれた、とても誠実なものだと思う。
どっちにしろ、誰かには勘違いされるかもしれないが、
ゆえに、人によってはちゃんと伝わらないかもしれないが、
だからって「それでもいいや」ではなく、
ひとりでもそういう人が少なくなって、ちゃんと伝わる人が
多くなるには、どういうふうに言葉にすればいいか。
ということに、心血が注がれていると思う。
だから、よけいなことが一切書かれていない。
本当に必要なことを、読む人によってのブレが
なるべく少ない形で、文章にしていると思う。
そもそも、ゆらゆら帝国の音楽がそうだった、わけではない。
ゆらゆら帝国の音楽は、もっと感覚的で、もっと抽象的で、
ある意味もっとあいまいで、もっと五感に訴えるものだ。
そこが(いや、「そこも」だな)ほんとにすばらしかったともいえる。
が、ただし、そういう音楽をやっていながら、
坂本慎太郎はインタビューで、
「いやあ、感覚的なものなんで、ちょっと言葉にできないですねえ」
とか、
「そういうの、言葉にできないから音楽やってるんじゃないですかね」
みたいなことは、絶対に言わなかった。
まったくその逆だった。インタビューという場において、
その感覚的なものを、できうる限りちゃんと伝わるように、
言葉に置き換えていく能力に、すごく長けていた。
論理では語れないものを、なんとか少しでも論理に近づけていく
作業を怠らない人、というか。
逆に言うと、そういう人だからこそ、あんな、論理をすべて超えたところで
鳴っている、みたいな、とんでもない作品を作り続けられたのかもしれない。
この自分がやった二本のインタビュー、ゆらゆら帝国の
メカニズムを解き明かす上で、どちらもすごく面白い内容に
なっている、という自負はあるんだけど、というような事情だったので、
インタビュアーが優秀だったわけではない。
語り手が優れていたのだと思う。
1きけば期待した答えの10倍くらいのものが返ってくるような、
すごく取材がしやすく、かつ、取材しがいのあるアーティストだった。
「だった」って、別に坂本慎太郎が終わったわけじゃないですね。
ゆらゆら帝国は終わったけど。
なので、今後も楽しみにしています。