ジョン復活が嬉しい一方、レッチリとの別れを語るジョシュのコメントは心が痛い(涙)

ジョン復活が嬉しい一方、レッチリとの別れを語るジョシュのコメントは心が痛い(涙) - pic by The Meadows 2017pic by The Meadows 2017

ジョン・フルシアンテレッド・ホット・チリ・ペッパーズに戻ってきて嬉しいファンの方は大勢いると思うが、この10年間バンドを繋ぎ止めてきたギタリストのジョシュ・クリングホッファーのコメントを聞いたり、読んでいると心が痛い。

現在発売中のロッキング・オンのコレポンにも掲載しているので、そちらも是非読んで欲しいのですが、ジョシュは、バンドとの脱退についてポッドキャスト『WTF with Marc Maron』で語っている他、『ローリング・ストーン』誌のインタビューでもほぼ同様のことを語っている。以下両方から要約。(RS)と書いたものは、『ローリング・ストーン』誌からの引用。
https://www.rollingstone.com/music/music-features/josh-klinghoffer-red-hot-chili-peppers-interview-945881/

そうでない部分は、ポッドキャストから。ポッドキャストは1時間20分あり、彼の生い立ちから、キャリア全般について詳しく語っている。彼が、ベック、PJ ハーヴェイ、ジョン・ブライオン、ヴィンセント・ギャロ、ジョン・フルシアンテ、ナールズ・バークレイらといかに仕事してきたのかという話なども大変興味深い。レッチリについて語っているのはその中の10分ほど。日本でもiTunesで聴けるはず。


●脱退するとはまったく思ってなかったことについて。
「曖昧なことは何もなくて、理由は、『ジョンが戻ってきたいから』ということだった。ジョンとバンドは関係を取り戻していて、音楽的にもフリーとの関係を取り戻していると。ジョンとフリーが一緒にいたりするのは知っていたけど、でもまさかすでに一緒に演奏もしているとは知らなかった。ただ、彼らに告げられた時、彼らへの愛と、彼らと一緒にできたことへの愛で一杯だったから、その後、その気持ちを損なわないように、そこで凍らせてバリアを作ったんだ」

「彼らとの10年間は、完璧なディケードだった」

●ジョン・フルシアンテと比較されるプレッシャーについて。
「最初に(レッチリと)やったツアーでは、もちろんみんなが僕とジョンを比較するのは明らかだった。だからそれについて考えすぎていたと思う。もちろん自分のスタイルもあったはずなのにね。でもチリ・ペッパーズの曲は世界的に有名なアンセムなわけで、それに敬意を表したいと思った。でも同時に自分らしくいられないのも無理なわけでね」

「ジョンの復活と僕の脱退が5年前に起きていたら、僕は崩壊していたと思うよ。なぜなら、『自分は最悪だし、このバンドにとって何の価値もないんだ』って、悩んでいたことがやっぱり全部本当だった、ということになってしまうからね」

「でも(僕がバンドに入って)3枚目となるアルバムを1年以上かけて一緒に作っていたし、つまり彼らと曲をたくさん書いたことになる。ただ今回作っていた曲は全部お蔵入りということだと思うけどね」

●ジョンが復帰することについて。
「間違いなく彼が戻るべき場所だから、『僕がいるべきなんだ』なんて思いもしなかった。だから僕は彼のためにも幸せだし、彼がバンドのみんなと復活することが幸せだ」

「すごくセクシーな元の彼女がよりを戻したいと言ってきたようなもので、僕の立場はないからね(笑)」

●フリーとの関係性について。
「ジョンとフリーは、2人だけの音楽的言語というものを築いている。それはジョンが17、8歳で、フリーは30歳になる前に築かれたものだ。ヒレル(・スロヴァク)が亡くなった直後で、バンドはまだメジャーな成功をしていなかった。だから当時のメンバーは人間的にも今とはすごく違った人達だったと思う。時代もまったく違っていた。でも僕がバンドに加入したのは2009年で、それはすごく違う時代だった。彼らが僕にどれだけオープンだったのかという意味では感謝しきれないくらいだ」

https://www.instagram.com/p/B4a4NP2Hz1m/

「ただ、僕が書いた曲はほとんど起用されなかった。良い曲を書いたと思ったのに、起用されなかったから面白いと思った。フリーは僕との言語を作ろうと可能な限り努力してくれた。だけど、僕がどんなに頑張っても、ジョンとフリーが築いた歴史や内容には、勝てるわけがないんだ」

●バンドとの関係性について。
「結果的に10年間バンドにいて、ツアーは2回やったし、アルバムはほぼ3枚一緒に作った。だから彼らと一緒にやったことを本当に誇りに思う。何かを作ったと思えるし、音楽とは離れた部分でも、1人の人間として、ツアーする仲間全員にとって僕は何かしらをもたらしたと思えるからね」

●どのように脱退を告げられたのか。
「その時フリーが僕の家の近くに住んでいたから自転車で彼の家に行ったんだ。彼らは単刀直入に、『ジョンに戻ってくるようにお願いすると決めたんだ』と言った。僕はそこでしばらく静かに座ったままでいて、それから、『驚かないよ』って言ったんだ。『みんなと音楽的にまたはクリエイティブな意味で、(ジョンの復帰が)絶対に不可能だと言えるものを一緒に作ったと言えたら良かったのに』ってね。だけど、そんなこと絶対に不可能だからね」

●驚かなかった理由。
「ジョンが、アンソニーと連絡を取ったのは知っていたからね。だから何となくそう思ったんだ」

●アンソニーは何と言ったのか ?(RS)
「アンソニーはほとんど何も言わなかった。でも彼の目を見るとそれがいかに苦痛な決断だったのかは分かった。アンソニーはすごく心が優しくて人を助けようとするタイプの人だからね。彼は僕を支援し続けたいという気持ちと、この関係性を切らなくちゃいけないという状況に挟まれた父親的な存在になっていたと思う。すべてはジョンとフリーの関係性からきたものだったと思う」

https://www.instagram.com/p/B4afBcKnLRn/

●そのミーティングは何分くらいだったのか?(RS)
「たぶん、35分から40分くらいだったと思う。『普段の僕だったらすぐにこの場から立ち去ったと思うけど、でもこれでこの4人で会うのが最後だと思うと、重みがある。だから、もう少しここに座っていたい』って言ったんだ。みんなとハグして、チャドからは僕が家に着く前にテキストメッセージが来てた。僕とチャドはすごく良い友達になっていたからね。それで家に着いてからは1日中テキストメッセージを送っていた。というのも、バンドは僕に告げてから1時間以内には、バンドのインスタグラムにステイトメントを発表していたからね」


「クレイジーだと思ったよ。フリーがポストしたんだ。書いたのは間違いなくフリーだって分かる内容だったからね。クレイジーだと思ったよ。それは死を告げるのと同じだった」

「本当に死だと思ったんだ。でも死から逃れてその後生き続ける体験なんて何度もするものじゃない。だからすごく落ち込んで裏庭に座って、すごくエモーショナルな午後を過ごした。でも、そうやって立ち止まって、自分のエモーションを感じるなんて経験滅多にできないからね。それは良いものでもあったんだ」

ジョシュはポッドキャストでは、かなりさくさくと答えているのでそれだけがせめてもの救いだ。明らかに傷心なのに彼らの決断を理解していて、これまでの経験を感謝しているのも素晴らしい。良い人すぎてこちらが泣けてくる。


また朗報は、ジョシュは、Pluraloneとして3月から開始するパール・ジャムの全米ツアーで前座を務めるということ。今後の活躍にも注目したい。


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