Yogee New Waves『PARAISO』:夏の夜の夢、が終わったあとで
2014.09.01 23:00
9月10日、Yogee New Wavesの1stアルバム『PARAISO』発売。
2014年の東京であればこそ生まれた、いいアルバムだ。現在発売中のJAPAN10月号「NEW
COMER」のコーナーでこのバンドについてはがっつり書いているので読んでほしいが、そこで書ききれなかったことをここで書いておく。ちょっと長いです。
Yogee New Wavesの「ヨギー」というのはマハリシ・マヘシュ・ヨギという人の名前から取ったそうである。ロックファンであれば知っている人は知っているヨガの導師で、ビートルズが一時期傾倒したことでも有名な、ヒッピーの指導者みたいな人だ。それを知って、なるほどと思った。だからヨギーの音はサイケデリックなんだなあと。
彼らがヒッピーにあこがれているとか、そういうことを言いたいのではない。いや、ひょっとしたらそういうところもあるのかもしれないが、同時に彼らは、このご時世そんなものはどこにもないということも、重々承知しているような気がする。少し回りくどい言い方になるが、ヒッピーイズムなるものが描く理想の限界を知った場所から歩き始めているからこそ、彼らの音楽は切ないのだ。そう、現代の東京で鳴らされるサイケデリアとは、切ないものなのだ。なぜならそれは手を伸ばせば届く夢の理想郷ではなく、はるか遠くにある現実の彼岸だからだ。
『PARAISO』というアルバム・タイトルが象徴するように、Yogee New
Wavesは「楽園」を目指す。常にあてもない旅を始めようとするし、ここではないどこかを思い描くし、なんかいい世界がどこかにあるんじゃないかという夢を捨てようとはしない。だが、そんなふうに夢想しながらも、彼らは結局「ここ」から動けない。「ここ」こそが僕らに残された唯一の「楽園」であると、タイトルの意味もすり替わっていく。“Hello
Ethiopia”、“Earth”、“Climax
Night”……すべての夢は結局のところ現実に凌駕されていくのだが、そこに宿る切なさこそが、Yogee New
Wavesの本質ではないかと僕は思う。
そして、その「切なさ」を、彼らは受け止める。受け止めて、それを呑み込んだ先で、それでも新しい何かを生み出そうとする。その現実主義的ロマンチシズムとでもいうような態度が圧倒的に新しい。都市という「楽園」に安住するのでも、そこから無鉄砲に飛び出すのでもなく、そこで暮らしながらそこにある切なさと向き合い続ける、という闘いかた。たまたまかもしれないけど、そういう意味でヨギーという言葉とニュー・ウェイヴが合体しているこのバンド名は、すごくシンボリックだと思う。
彼らの音楽がシティポップと形容されうるとすれば、それは都市のロマンを描いているからではなく、都市の退屈と惰性を描いているからだ。その退屈と惰性を、彼らは否定も肯定もしない。そこにしか彼らの現実はないからだ。でもその現実の中で、彼らは闘っている。何かを変えてやろうと目論んでいる。何が、どう変わるのかは分からない。だが何かが変わり始めているという予感は、このアルバムの中に確かにある。