本作は、前作『ホワット・ウェント・ダウン』に続く5枚目で、約4年ぶりのニュー・アルバムになる。昨年には、結成時からのメンバーだったベーシストが脱退。影響も懸念されたが、まったくの杞憂に終わったといっていい。むしろ、結論をいえば、近作になくかれら本来の魅力が凝縮された一枚、ではないだろうか。なお、『パート 1』とあるタイトルからもうかがえる通り、本作は年内にもう一枚リリースされる同名アルバムの前編にあたる。
ハードコア/マス・ロックを出自とした先鋭的なマナーが際立った、デイヴ・シーテック(TV オン・ザ・レディオ)によるプロデュースの1stアルバム『アンチドーツ』(2008年)。そして、続く2ndアルバム『トータル・ライフ・フォーエヴァー』(2010年)を境に、より「ポップ」を意識した方向性へと舵を切り、ギター・ロック・バンドとしての重厚感とスケールを上積みするようにプログレスを遂げてきたフォールズ。前作『ホワット・ウェント・ダウン』はその流れを推し進めた到達点ともいえるアルバムで、その圧力を増したアグレッシブでラウドなギター・サウンドたるや、ほとんどハード・ロックかメタルとも呼びうるカタルシスをたたえた代物だった。ジェイムス・フォード(シミアン・モバイル・ディスコ)によるプロデュースも、アークティック・モンキーズの『AM』(2013年)における仕事を洗練させたようなモダンとヘヴィネスの見事なハンドリングだった。
ただしその一方で、初期のフォールズにおける醍醐味だったエクレクティシズム(折衷主義)は、作品を重ねるごとに影を潜めていったことも事実。それこそ10年前に「ニュー・エキセントリック」と呼ばれるシーンからデヴ・ハインズ、(ブラッド・オレンジ)やファック・ボタンズ、フレンドリー・ファイアーズ、ジーズ・ニュー・ピューリタンズらと共に頭角を現わした頃のかれらがリプレゼントしていたクロスオーバー感覚や、ディレッタントなアート性、そうしたかつての面影はフォールズの手を離れ、近年の活況を呈するサウス・ロンドン周辺や〈ダーティ・ヒット〉のカタログに見出すしかない状況になっていたといえるかもしれない。
そして、フロントマンのヤニス・フィリッパケスによるプロデュースで制作されたという本アルバムである。聴いてまずもって耳を引くのは、その旺盛にレンジを広げたサウンドのバリエーションではないだろうか。今回の制作にあたってはシンセサイザーやアナログの電子器材がキーとなったそうだが、ヤニスいわくピーター・ガブリエルやトーク・トークをリズム構築の参照点にあげる “エグジッツ”、ビルドアップされたギター・ワークとエレクトロのレイヤーが絶妙な“オン・ザ・ルナ”の2曲は、とりあえず、本アルバムでかれらが目指したものが近作の傾向とは画することを告げる格好のサンプルといえるに違いない。加えて、エンジニアリングを務めたブレット・ショウ(フローレンス&ザ・マシーン、クリーン・バンディット、ドーター)によるアンビエントな空間性や音響処理を活かしたモダンな音作り。ベースが這うディスコティックでパーカッシブなエスノ・ファンク“イン・ディグリーズ”は、マッドチェスターの狂騒感も思い起こさせるサイケデリックとダンス・フィールをたたえている。“シロップス”が披露するスモーキーでチルなダブ、そしてスティーヴ・ライヒも連想させるミニマルなオープニングが印象的な“カフェ・ダセンズ”では、浮遊するようなコードの上でクラウトロックとベース・ミュージックが不穏に交差する。さらにゴスペル・フィールを纏った壮麗な“サンデー”は、中盤で突如として獰猛なテクノ〜プログレッシブ・ハウスへと姿を変える。その様相は、近作で築き上げた自らのスタイルを解体しているようにも、あるいはそれこそニュー・エキセントリック〜『アンチドーツ』の頃にまで遡り自らが通った音楽スタイルを総動員しているようにも映り、興味深い。ともあれ、本作においてかれらは、その音楽的な野心と創造性をかつてなく様々な領域へと広げ、その成果を――監視社会のパラノイアや環境破壊の恐怖、分断と孤立がもたらす黙示録的な未来を描いたリリックとともに赴くままかたちにしているようだ。
なお、ヤニスによれば、本作と控える『〜パート 2』は「ロケット・ペンダントの片割れ同士なんだ。それぞれ個別に聴いて楽しむこともできるけど、本質的には対になっている」とのこと。後者には10分を超える探索的でプログレ感のある楽曲も収録されるという。同じく今年もう一枚のニュー・アルバムが控えているThe 1975と並んで、英国ギター・ロック・シーンにおける大きなトピックとなるに違いない。 (天井潤之介)
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