シンガーソングライター/ラッパーのクボタカイが映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』の主題歌として書き下ろした新曲“隣”。坂口健太郎演じる映画の主人公・未山の心情や記憶に寄り添う、とても美しくて高貴なバラードだが、それと同時に、僕はこの曲をどうしようもなくクボタカイという人の正体が滲む告白のようだと受け取った。昨年リリースした“ピアス”で《身体に傷や穴を空けるのは 心に傷や穴があるから》と歌っていたのと呼応するように《穴空きの心の中》と始まるこの曲は、クボタがなんのために音楽をやり、言葉を紡いでいるのかを図らずも明らかにしている。誰にでもある心の「穴」、自分自身の穴を埋め、聴いているあなたの穴も埋める、そんな音楽でありたい――最近の彼の楽曲からはそうした強い意志を感じる。それはジャンルや曲調を超える本質としての「ポップス」を目指すということだ。今のクボタカイはそこに向けて確実に歩を進めている。
インタビュー=小川智宏
24歳になった時点で、人に優しくしたいし、自分だけじゃないところにちゃんと目を配りたいなと思った。その思いはより強くなっていってる気がします
――3月3日に開催したワンマンライブ「ロマンスを持ち寄って」、素晴らしいライブでした。お客さんの声出しが解禁されたこともあって、すごくいい空気が生まれていましたね。「そうですね。ようやく声出し解禁ということで、周りの方からは『やっと戻るね』って言われたんですけけど、そもそも僕のライブ活動のほとんどはコロナ禍でやっていたので、戻るというより変わるというか、初めてぐらいの気持ちだったんです。でもすごく安心というか、こんな感じなんだっていうのがありましたね。ライブって演者が発するもので、それを観に来てくださる方がいるってものだと思っていたんですけど、今回は特に自分側がもらったというか。お客さんが発するエネルギーを今まででいちばん受け取ったんじゃないかなっていうライブでしたね」
――ライブのタイトルの「持ち寄って」という言葉も、そういう双方向のコミュニケーションという意味合いが含まれていたのかなと思ったんですが。
「まさに双方向のコミュニケーションをしたかったんです。みなさんそれぞれの人生があって、出会いがあって別れがあって……もちろん僕はそれを知らないけれど、そういう自分にとっていちばん大事な傷を皆さんに持ち寄っていただいて、お互いにぶつけ合いたいなってすごく思って、このタイトルにしました」
――そういう思いはクボタくんの中にずっとあったものですか?
「ずっとあった気もするし、より強くなっている気もします。人間的な面もあるかもしれないですけど、昔、本当に音楽始めたての時とかは、『俺はこうなんだ』という気持ちが強かった気がするんです。けど、この間誕生日を迎えて24歳になった時点で、人に優しくしたいし、自分だけじゃないところにちゃんと目を配りたいなと思ったというか、他に人生があるっていうことをちゃんと知ることができたというか。その思いはより強くなっていってる気がしますね」
――この1年、曲作りという部分ではどんなことを考えながらやってきましたか?
「曲によってそれぞれ違う意図はあるんですけど……もともと僕はヒップホップが好きで、最初はその要素が強い曲を作っていたんです。でもやっぱりポップスへの憧れを捨てきれなくて。僕、ポップスって日本の中で最強だなって思っちゃう瞬間があるんですよね。ポップスを志すにあたっては伝わりやすさとかも大事だって思うし、だからこそ最初はそれを注視していた気がするんです。でも今はそれだけじゃなくなってきたというか。もちろん伝わりやすさは大事なんだけど、ちゃんと自分の言いたいこととかやりたいこととか、そういうエッセンスがまず基軸にあって、そのうえでどういう言葉選びをするかとか、どういうふうに皆さんの耳に入りやすいサウンドにするかとか。ジャンルも伝わりやすさも自分の言いたいこともっていう、その調整加減はこの1年でどんどんいいほうにチューニングできてるかなっていう感じですね」
(未山の)優しさのベールをいかに内側から叫んで剥がすかっていうのは、ある種自分の殻を剥がすっていうことでもあったんです
――先日のライブでも「心の穴を埋める存在でありたい、そういうものを作っていきたい」ということを言っていましたけど、新曲の“隣”をはじめ最近の曲にはちゃんと聴き手の居場所がある感じがして。コミュニケーションとしてのポップスのあり方がどんどん高まっている感じがしますね。ポップスって単純に耳触りがいいとかキャッチーだとか、そういうことではないですからね。「なんか……すごいつらい時に地元の宮崎の街を散歩していると、中学生ぐらいから知ってくれている古着屋のおっちゃんに出会ったりするんですよ。なんて言うんだろうな、そういう街のおっちゃんってめっちゃポップスだと思うんですよね。本当につらい時には顔色ひとつで察知してくれて、普段は6時に閉まるはずのお店なのに、5時ぐらいに『カイ、もう今日店閉めるから飲みにいくぞ』って連れていってくれて、ずっと笑顔で喋ってくれて。『これめっちゃポップスじゃん』と思ったんです。この人もいろんなつらいことがあったり、事情があったりするんだろうけど、傷を笑顔で変えてくれたり、弱い状態でも強くあろうとしたりする。それがすごくポップスの本質な気がして。音楽を聴いてない時に『ポップスだ』って思うのも不思議だなと思いましたね」
――今のはすごいポップスな話だし、“隣”な話ですね。
「すごく抽象的な話ですけど(笑)」
――“隣”はさっき言っていたチューニングがすごくいい形になった曲だと思うんです。確かに映画の世界観だったり物語だったり、未山をはじめとした登場人物の心情だったりを歌っている側面もすごくある曲だし、そういう意味ですごく映画に寄り添って書いたんだろうなって思った部分もあるんですけど、同時に、というかそれ以上に、すごくクボタカイな歌詞を書いてきたなと思ったんですよ。結局そうなったなって。
「めちゃくちゃ嬉しい。そこはすごく大事にしていたところだったんです。もちろん映画への書き下ろしの曲ですから、その内容に寄り添うってことはマストだし、すごく大事なことなんだけど、そのうえで自分も納得できる、自信を持ってクボタカイの曲ですと言える曲を作りたかったので。だから結構、ああでもないこうでもないって試行錯誤をしました。自分の曲の中では1、2を争うぐらいじっくり作ったんじゃないかな。これだっていうものにたどり着くまで諦めたくなかったし、監督さんと話して、ご意見ももらったりして。映画の中には直接登場はしないんですけど、未山が高校時代に書いたラブレターというのがあるんですよね。その手紙の内容を監督が実際に書いて渡してくださったんです。この“隣”はその手紙をもとに書かれた曲という設定になっているんですけど、その手紙を読んで『あ、そういうことか』ってわかった感じがして、そこから加速していきました」
――その手紙の中に、自分と通じる部分が見つかったという感じ?
「そうですね。同列に並べるのはおこがましいけど、共感できる部分が多々あって。だから、その優しさのベールをいかに内側から叫んで剥がすかっていうのは、ある種自分の殻を剥がすっていうことでもあったんです。僕もそうありたいというか、それがポップスだと思ってるので。『自分つらいんだぜ』っていう感じだけだったら……まあそれもいいんですけど、僕はそれを内包してそっと出た言葉だったり、そういうのを大事にしていきたいなと、音楽でも生活でも思うので」