アレハンドロは今回、『ヴァルニキュラ』の時のようにわたしの曲に自分を合わせていくという抑圧は受けてないし、わたしはわたしで男性のプロデューサーとひとつになったとしてもただのボーカリストとして型にはめられるんじゃないかと気にする必要もなかった。
すべてのか弱さを集めて強さへと変えていくようなことだったのね。別に弱いままでいいと。わたしたちはお互いのことを支え合えられたし、そうやってお互いに果敢になれた。それと『ヴァルニキュラ』を作っている間に、女性はプロデューサーとしていかに過小評価されることが多いかということを話していたこともきっかけになったのかもしれない。
Björk - lionsong
その時、お互いにひとつなるという最大の勇気を奮い立たせる気になったのかもしれない。そうしながらも、お互いのミュージシャンとしての威厳は変らないままにするという。どんな正義のための闘争にしても、たとえば、黒人の権利というのは黒人を排除することで実現できることではなくて、白人と同等の強さを持った形で一緒に社会で生活できることを実現させられるものだから。
女性の問題もそれと同じ。分け隔てることでなんの役に立つのかはわたしにはわからないと思うし。今では性差別の弊害を誰もがもっと自覚できるようになったんだから、コラボレーションをやったとしても、男ばっかりが評価されないようにするのが重要だと思う。
「Utopia(理想郷)」という夢は実現された?
音楽を作るにあたっての障害などから縛られずに自由になれたかという意味では、できたと思う! だけど、このアルバムのそもそもの狙いは理想的な完璧な状態を狂信的に押し付けることではなくて、わたしたちの願いを見極めて、なにが現実で、どうすればみんな助け合っていけるのかってことも見極めていくことだと思う。
最初にこれだと思えたことを追求することと、それを貫く勇気を持つこと。今のようなトランプの時代には、目標やマニフェストや現在に対する代案を用意しておくことがとても重要なことだと思う。これは人類としての死活問題よね。
Björk - the gate
ミュージシャンのわたしとしては、悲劇の後には誰もが新しい世界を築いていかないといけないということ、編んだり、繕ったりして埋め合わせていかなきゃならないんだということを、音楽と詩的なアングルからみんなに投げかけていくことができると思う。そういう世界はなにも自然と用意されるわけではないし、自分から作り出さないとできないものなのね。
ありもしないものを自分から想像して生み出して、未来に向けて洞窟を掘っていって自分の空間を主張していかなければならないの。その時点では自分の縄張りをほしがるという問題で、その洞窟を掘る作業そのものがユートピア的なものなんだけど、将来的にはそれがみんなの現実へとなっていくわけ。
プレッシャーやハードな仕事を実は楽しんでいる?
どっちもちょっとはあると思う。わたしたち人間は自然界の生き物として、もともと狩猟をするか、集団をなして、ぎりぎりのところで生きていけるようにできているわけだから、ものを作っていくということは生きることそのものを肯定するものであるはずなのね。だけど、あんまり働き過ぎないこともとても重要だと思っていて、ワーカホリックなことはすごく豊かさに反することだと思う。
Björk - moon
たとえば、わたしの『バイオフィリア』リリース当時に行った北欧の学校と提携した教育プロジェクトなんかでは、学校の授業量を少なくして自由な時間を多くすることで、子供たちの想像力も最大に養われるのは明らかだということがわかったの。子供たちも満足させられるだけでなく、最終的に子供たちのオリジナリティを引き出すことができるから。
大都市で真夜中まで働いているようなことは家族というものを壊していくものなのだって知ったのよ。それに、そういう状態だと新しいアイディアなんか生まれてこないし、古いものをループにして繰り返しているだけだから。
ビョークは『Utopia』について以前、「『ヴァルニキュラ』は私個人の喪失についてのアルバムだったけれど、新しいアルバムはより一層大きな愛についてのものになるはずです。愛を再発見するような……精神的な意味でね」と語っていた。
現在のところ、同新作からはリード・シングル“The Gate”のみがリリースされている。