リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念のオンライン世界記者会見に参加した。メンバーたちの発言を中心に徹底レポート!

リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』20周年記念のオンライン世界記者会見に参加した。メンバーたちの発言を中心に徹底レポート!

リンキン・パークのデビュー・アルバム『ハイブリッド・セオリー』は、2000年10月24日に誕生した。音楽シーンに多大な影響を与え、現在も愛聴され続ける歴史的傑作の20周年を記念し、『ハイブリッド・セオリー 20周年記念盤』が発売される。

そのリリースが迫った米国時間の9月29日、オンライン世界記者会見が行われた。

2017年の10月27日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルで開催されたチェスター・ベニントン(Vo)の追悼公演以来、メンバー5人(ドラマーのロブ・ボードンは欠席)が揃って取材に応えるのは初めて。『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスのBBCラジオ1を始め、十数ヶ国のメディアが参加し、『ハイブリッド・セオリー』とバンドの過去20年のレガシーに賛辞を送った。

過去3年の数々の取材でマイク・シノダ(Vo)が散々質問されてきたバンドの今後に関しては、質問されることも語られることもなかったが、かつてのバンド名だったハイブリッド・セオリーを改名する必要に迫られた時に、チェスターが「リンキン・パークはどう?」と言い、ブラッド・デルソン(G)が「意味は?」と聞き返すと、「分からないけど、響きがクールだろ」と提案したエピソードなど、時折チェスターの思い出話が自然と出てくる感慨深い会見となっていた。

当時の彼らはまだ、バンドのアイデンティティと本当にやりたい事を模索している最中だった。「僕達がデモを作ってる間、チェスターもまた、どんなボーカリストになりたいかを見つけている途中だった。彼はすごくユニークに自分を表現できたけど、僕達の音楽スタイルには何がフィットするか、何がベストかを歌いながら探っていた。僕は彼の声をレコーディングしながら、彼がやることに反応して、それがゆっくりと少しずつ、僕達のアイデンティティに発展していった」

https://www.youtube.com/watch?v=5xd9lQ0G78Q

『ハイブリッド・セオリー』に関して最も誇りに思うことを質問され、フェニックス(B)は、彼らが多くの壁にぶつかったにも関わらず、自分達のやりたいことを守り抜いたことを挙げた。

「僕達は『ハイブリッド・セオリー』でバンドを軌道に乗せたわけだけど、多くは僕達が何をするかを探る道で、そこから僕達は自分達の意見や信念を守るようになったんだ。決しておとぎ話で一杯の道ではなかった。僕達は沢山『ノー』と言われたし、立場が上の多くの人達から、やってることを変えろとか、特定のメンバーがやってることを変えろとか、色々と言われてた。

そのプロセスの中で、僕達がどんな風に何をやりたいか、やりたくないかを見つけていった。そして有難いことに、自分達の信念に従うことで結果的に成功したんだ。ものすごくね。だから『ハイブリッド・セオリー』を通して、僕達自身を信じて僕達自身に賭けることができるほどの軌道に乗って、もし僕達がやりたくないなら、それは試みる価値がないんだって考えられるようになった」

 
そしてマイクが、アルバムのプロデューサーを選んだ時のことを振り返った。

「ドン・ギルモアを選んだ時、やりたいビジョンがあって信念に従うのと、自分達で全部やれると思うエゴとの間でバランスを取ろうとしてた。ドンといい会話をしたんだ。ドンは多くの素晴らしいオルタナティブ・ロックのアルバムを手がけてきたから、ベース、ドラム、ギター、ボーカルのレコーディングの仕方を熟知してる。

僕達のサウンドを磨き上げて完全にしてくれる。それで彼に、『ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックは聴きますか? そういう音楽のレコーディングは分かりますか?』って聞いたら、答えはノーだった。『君達はそれがやれるんだから、そこは君達を信頼する。残りを、俺がやるよ』って。あの質問ができるぐらい意識的で、その上でドンと仕事をすることに決めて良かったと思う。あれで、僕達は全てを知らないんだから、知らないことを認めたんだ」


そうして開発されたリンキン・パーク独自の“ハイブリッド・サウンド”は全世界を席巻し、今世紀最高のセールスを誇るデビュー・アルバムとなった。そのサウンドは今聞いても衝撃的で革新的でパワフルであり、音楽ファンのみならず、多くのミュージシャン達にも影響を与え続けている。まさに、タイムレスな名盤だ。

https://www.youtube.com/watch?v=vjVkXlxsO8Q

「当時このアルバムを体験した後、ずっと俺達と体験し続けてきた人達にとって今でも重要な作品になっている上に、ギターを初めて手にしたキッズが“ペイパー・カット”のギターを学んでるとか聞くと、信じられないことに思える。このアルバムが今も今日的であり続けているのは、制作時に僕達が望んでいたことではあったけど、期待も予想もしていなかった」と、ブラッドが熱っぽく語り、マイクは、「若手のアーティスト達から影響を受けたと言われると、大抵、ビックリする」と、嬉しそうに語った。

「BROCKHAMPTONのメンバーと話したのを覚えてるんだけど、『『ハイブリッド・セオリー』は僕のトップ5アルバムに入る作品だ』とか言われて、『マジ? 『ハイブリッド・セオリー』の1%も、君達の音楽には入ってないと思うけど?』って。『いや、本当に影響されてる』って言うんだ。

他のアーティスト達にも言われたことだけど、『ハイブリッド・セオリー』を聴くまでは、メタルとか、ラップとか一つのものを聴いてたけど、このアルバムが違う世界を見せてくれた、違う音楽に触れさせてくれたって。当時の取材で、僕達が何を聞いてるのか聞かれたら、ポーティスヘッドザ・ルーツエイフェックス・ツインデフトーンズって答えてた。

僕達はこれらのアーティストのファンが、他のアーティストに興味を持つように指し示したんだ。当時の僕達の音楽は、それが僕達が聞いてるもので、それが僕達だった。でもそういうことを言ったり、やったりしてるバンドがいないことに気づいたよ。だから、新しい音楽を聴いて、すごく沢山のスタイルがシームレスに融合されているのを耳にすると、僕達が様々な音楽をブレンドして、音楽間のギャップの橋渡しをする一員になれたことを誇りに思うんだ」


『ハイブリッド・セオリー』が日本で発売されたのは2001年の2月だが、それまでに彼らは本国で、数百人のライブハウスから数千人の劇場へ急激な成長を遂げていた。そしてその1年後には、自身のフェスティバル、「プロジェクト・レヴォリューション・ツアー」でアリーナ会場を回るほど巨大になった。20年を経た現在も、デビュー作で彼らほどのスピードと規模で大ブレイクしたバンドを私は見たことがない。

https://www.youtube.com/watch?v=TDV0WvTunWA

ボックスセットに収録された2002年の「プロジェクト・レヴォリューション・ツアー」の公演や2001年のフィルモア公演のDVDを見返した感想を尋ねられたマイクは、初めて気づいたということを話した。

「僕とチェスターがMCで話す時、二人ともアクセントがある変な話し方なんだ(笑)。『僕達、普段はこんな話し方してなかったよ』って思った。注目に値すると思うよ。それで、何で僕達はこんな風に演技してたんだろうって考えた。

まず第一に、僕達は、人生においても音楽においても、自分達自身を探っている最中だったからだと思う。第二に、僕達のバンドに対する期待が本当に急激に成長していたから、100%の自信が持てていなかったんだと思う。僕ら6人がスタジオで作業をしている時は、100%の自信があった。でもステージ上や取材で色々な人達と接してるとプレッシャーを感じるから、僕達は時々ペルソナを作ってその後ろに隠れるってことを少しやってたんだと思う。

同じ質問に50回全く同じように答えてたし、ステージ上で演技みたいなことをやってたんだ。僕達がまだ若者なのに、大きなフェスのヘッドライナーをやることを期待されていたからなんだ。これらのショウを見て、どれだけビッグだったか認識した。それまでは観客として見てた人間だったのに、あれほどの観客を前にするようになって、そのプレッシャーがあったんだなって」

 
『ハイブリッド・セオリー』は、アルバムのジャケットもタイムレスな魅力を持っている。デザインを手がけたのは、彼らのアートを長年担当しているフランク・マドックスだが、戦士のイラストはマイクが描いたものだ。

「当時バンクシーやシェパード・フェアリーが最新のアーティストで、彼らのストリート・アートが大好きだった。まだストリートの壁でしか見られなくて、ギャラリーには展示されてなかった。

猿が『今、笑ってろ。いつか俺達が権力を握る』っていうサインを掲げているバンクシーのアートがあって、僕とジョーは、こういうイメージをアルバムのアートワークにしたいって言ってたんだよ。結局、羽の生えた戦士にしたんだけど、戦士は僕達のやっている音楽のハードな面、羽はライトな面を表現しているんだ」


会見最後のコメントを求められ、フェニックスはファンに感謝を述べた。

「最初の日から僕達は恵まれていて、大勢の人達がファンベースを作って僕達と繋がってくれて、友達とシェアしてくれて、前線に立って僕達が音楽を発表するのを助けてくれた。今も、大勢の人達が変わらずそこにいて、僕達をサポートしてくれてる。特別でユニークなことで、ファンだけでなく僕達自身が祝うべきことだと思う。

それが僕達が活動する理由だから。最初から、僕達が本当にやろうとしてたのは、誰かと繋がって僕達の楽曲を共有したい、人々との繋がりをシェアしたいってことだったから」


ジョーがそれを引き継ぎ、「バンドを始めた時、僕達の音楽には怒りがあって、それが最終的に共感に置き換えられて、僕達のコミュニティが築かれた。だからみんなは、そのことを覚えていて欲しい。自分達を大事にして、物事が凄くシリアスになっても深刻に捉えすぎずに、お互いに助け合って欲しい。そうすれば、なんとかなるよ」と、締めくくった。

リンキン・パークは休止中のままだが、リンキン・パークのファンの世界規模のコミュニティは、現在も活発に活動と交流を行なっている。『ハイブリッド・セオリー 20周年記念盤』の発売日となる10月9日は、メンバー全員にファンが質疑応答をする会見の後、2002年の「プロジェクト・レヴォリューション・ツアー」のラスベガス公演が上映されるオンライン・イベントが開催される予定。チケットは公式サイト(https://watch.linkinpark.com/)で購入できる。大いに盛り上がることだろう。(鈴木美穂)
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