●セットリスト
1.Flamingo
2.LOSER
3.砂の惑星
4.飛燕
5.かいじゅうのマーチ
6.アイネクライネ
7.春雷
8.Moonlight
9.fogbound
10.amen
11.Paper Flower
12.Undercover
13.爱丽丝
14.ピースサイン
15.TEENAGE RIOT
16.Nighthawks
17.orion
18. Lemon
(アンコール)
EN1.ごめんね
EN2.クランベリーとパンケーキ
EN3.灰色と青
米津玄師の全国アリーナツアーが、3月11日、国内ファイナルを迎えた。影アナが始まるとうわーっと拍手が起こり、暗転すると、ざわざわと音をたてながら人の波が前へ流れていく。そんな開演前の様子からも、オーディエンスの昂揚感はよく伝わってきた。
1曲目は“Flamingo”。米津の背後にあるスクリーンにピンク色の三角形が3つ映り、頭上にある三角形のトラスもピンク色に光る。このトラスは、ライブ中、上昇したり下降したりしながら、側面のLEDパネルに様々な色・映像を映していた。これまでに見たことのないステージセットだ。2曲目の“LOSER”では、米津のいた三角形の花道がせり上がり、フロアから驚きの声が上がる。米津は花道の先端にしゃがみこみ、その様子を見下ろしながら高笑いしていた。中島宏士(G)、須藤優(B)、堀正輝(Dr)というおなじみのメンバーによるバンドサウンドは、このツアーを通じて結束がより強くなっていて、“砂の惑星”では顔を見合わせ楽しそうに音を合わせる場面も。テンポアップする箇所では米津も、それに合わせ頭をブンブン振っていた。
「ツアーファイナル幕張、今日は楽しい日にしましょう!」と短く挨拶すると“飛燕”から次のセクションへ。この日のセットリストは、アルバム『BOOTLEG』とシングル『Lemon』、『Flamingo / TEENAGE RIOT』の収録曲が中心。昨年秋のツアーを踏襲した流れも一部見受けられたものの、演出が新しくなっていたほか、米津自身のパフォーマンスも変化・進化していた。前半戦では特に“かいじゅうのマーチ”が印象に残っている。この曲では、彼の声質のひとつの特色である、温かみのある中低音が豊かに鳴っていたのだ。
満月の下、男女1名ずつのダンサーが舞った“Moonlight”。白い煙に包まれながらの“fogbound”。“amen”では十数人のダンサーがうごめくなか、米津はその先頭に立ち、天へ歌を捧げた。米津の美学が隅々まで行きわたった総合芸術的な光景は非常に美しいものだが、彼の音楽世界の深淵、深い森の奥に踏み入ってしまったような気がして、おそろしい気持ちにもなる。会場全体が息を呑んでその展開を見つめていた。
いくつもの光の柱が出現し、ダンサーのシルエットが映し出された“Paper Flower”では、曲が進むにつれ、米津の声の張り方も、バンドサウンドも、どんどん生っぽくなる。すると、同曲終了と同時にドラム隊が登場。ダンダダンダン、と地を揺らすようなリズムによって先ほどまでの静寂は破られ、“Undercover”へ突入した。ここから一気に「動」のセクションへ。エレキギターを構えた“爱丽丝”では、喩えるならジャンプ後の着地でグッと踏ん張るスケーターのように、高音を思いきり振り絞り、その歌に情熱を閉じ込める。続く“ピースサイン”でさらに勢いづくとバンドサウンドも躍動。“TEENAGE RIOT”はどこまでもまっすぐに突き抜けていった。
ここでMC。米津は、ドラマ主題歌などをきっかけに、自身の楽曲が想像を超える広がり方をした2018年のことを「環境が変わった1年」、「それに対し自分をどう作り変えるべきか考えた1年」と表現。「変わっていくことは自分が音楽を作る上での基本理念」としながらも「自分が米津玄師っていう船だとしたら、その船から誰一人落としたくない。それは無理だと言われるけど、やりたいんだからしょうがない」と熱く語った。
歌詞を読めば分かるように米津は端正な言葉選びをする人であり、ライブのMCにおいても、伝えたいことをある程度端的にまとめて発言しているようだった。一方、この日に関しては、少しの遠回りも挟みながら、頭に浮かんだ事柄をわりとそのままアウトプットしていた印象。「だってみなさん一人ひとりに膨大な情報量の人生が詰まってて、(自分との間に)何かしらの共通点があったからここに来ているわけでしょ? それは天文学的確率というか、美しいとしか言いようがない。こんなに美しいことはないです」、「だから自分が音楽を続けていく限り、この美しい光景が続いていけばいいなと思います」とMCは締め括られた。
そしてその直後に演奏されたのが“Nighthawks”である。《何もないこの手で掴めるのが残りあと一つだけなら/それが伸ばされた君の手であってほしいと思う》。サビにあるそのフレーズは、今まさに米津が語った、彼自身の意思とぴったりと重なるもの。星空のような照明の下では、フロアからステージへ、いくつもの腕が伸びていた。
ドラム隊に囲まれたフォーメーションで歌い上げた“orion”を経て、本編は“Lemon”で終了。アンコールの演奏曲は、昨年の幕張公演と同様の3曲だった。“ごめんね”は、元々ライブでの光景を想像して作った楽曲とのこと。そのため、昨年はまだリリース前だったにもかかわらず米津がシンガロングを促していた覚えがあるが、今回はその時よりもはるかに大きな歌声が上がっていた。
個人的であることと普遍的であることは相反さない。米津は“Lemon”という楽曲の制作やその後の広がり方に対してそのような結論を出した。そしてそれと同じような温度感が数万人の集まるこのライブにおいても存在していた。米津玄師という名前が急速に広まっていき、その事象が何万人もの人々を彼の元へ連れてくる。それでも米津は自身の表現を究めるのみであり、目の前に現れた何万人は、彼にとってはあくまで、これまでの人生で同じ様な涙を流したことがあるかもしれない「一人ひとり」である。この日のライブから伝わってきたのは、そういう、米津玄師というアーティストの誠実さそのものだった。(蜂須賀ちなみ)