新たなフロントマンを迎え、チェスター・ベニントンの死後初となるライブを行うことを発表したストーン・テンプル・パイロッツ。
チェスターは2013年から2015年の間、当時薬物中毒に苦しんでいた故スコット・ウェイランドに替わって、リンキン・パークと兼任でバンドのボーカルを務めていた。
ストーン・テンプル・パイロッツの再結成(2008年)後、チェスターがバンドに参加した経緯、そして今に至るまで何があったのか、rockinon.comに掲載した記事でまとめてみたい。
そもそもSTPは1990年代前半に沸き起こったグランジ・ムーブメントの隆盛の中で人気を集めたが2003年に解散。ボーカルのスコット・ウェイランドは、元ガンズ・アンド・ローゼズのメンバーとともにヴェルヴェット・リヴォルヴァーを結成していた。
2008年にバンドは再結成を発表、フェスへの出演をアナウンスする。
スコットはヴェルヴェット・リヴォルヴァーと決別、「今さら多くを語ったところで言いわけになってしまうと思うけれど、あのバンドにはいろいろな面で問題があった。もちろん音楽的に楽しめる要素も多かったし、インスピレーションに溢れていた時期もあった。しかし、メンバーのうち一人を除いた全員がしばしばリハビリ施設に入るという状況だったことは忘れがたい事実だ」とコメントし世を驚かせる。
そしてSTPが本格始動、再結成ツアーを行う。
9年ぶりの新作ディスクレビューはこちら。
バンドはライブなど活動を行っていたが、2013年、バンドはスコットのクビを宣言。声明文には「ストーン・テンプル・パイロッツはスコット・ウェイランドとの関係を断ったことを公式に発表しました」とだけ書かれており、理由などはわからなかった。
この声明に対し、スコットは「ストーン・テンプル・パイロッツから自分が『断たれた』ことを今朝、音楽誌で読んで知ったよ。一体、どうすれば、自分が結成し、自分がヴォーカルを務め、最大のヒット曲の多くを共作してきたバンドから『断たれる』ものなのかどうかわからないけど、それは弁護士が考えてくれるようなことだ」とコメント。
なお、2012年から計画していた『コア』(1992年)の全曲ライブを実行に移す際、多くの楽曲でついてスコットの声が出なくなってしまっていたため方針が二転三転し、バンド内の軋轢を生んだことがこのクビ宣言に繋がったと考えられている。
スコット追放(2月)から間もなく、バンドは5月にはチェスター・ベニントンをボーカリストに迎えた新曲“Out Of Time”を公開。
バンドはチェスターについて「長年魅了されてきた声の持ち主なんだ。僕らは、常にリンキン・パークが彼のプライオリティになることを知っているけど、一緒に何かをやれたらクールだと思ったんだ」とコメント。
さらにチェスターは「俺は13歳の頃からストーン・テンプル・パイロッツを愛していて、本当に大きな影響を受けてきたんだ。彼らと一緒にクリエイティヴな何かをやれる機会がいざ来たら、僕はそのチャンスに飛びついたんだよね」とファンであることを表明。
また、リンキン・パークのメンバーも応援してくれていることを明らかにした。
チェスター加入と同月、STPがスコットを訴える。訴状ではスコットの薬物依存とスコットが練習などに現れないことから、バンドの活動が著しく損なわれていたことを明らかにしている。
さらに訴状ではスコットに対して、ソロ活動の宣伝のためストーン・テンプル・パイロッツの名前を使うことやライブでストーン・テンプル・パイロッツの楽曲を演奏するのをやめるように訴えている。
STPは5月18日・19日にチェスターをボーカルとしてライブを決行、さらに5月19日に新曲“Out of Time”の無料配信をスタートさせた。このような動きにスコットは自身のFacebookでバンドを批判。
以下がFacebookに投稿された文章の一部。
「みんなと同じように俺は自分のバンド、ストーン・テンプル・パイロッツが新しいヴォーカルを迎えてライヴを行ったことを読むことになったよ。正直言って、驚いた。そして傷ついた」「連中が自分をなんと呼ぼうと構わないけど、とりあえずあれはストーン・テンプル・パイロッツではないんだよ」
バンドからの訴えに対し2013年、スコットは「バンドには自分を排除する正当な権利を持っていない」として反訴、500万ドル(約5億円)に及ぶ損害賠償を求めた。
ただ、スコットはチェスターについては怒りを感じていなかったようで、「俺はチェスターのことは昔から知ってるんだよ。(2001年の)ファミリー・ヴァリューズ・ツアーで一緒になってから親しくなったんだ。俺はチェスターが悪意をもってバンドに加わったとは思ってないよ」とインタビューに答える場面も。
その後もバンドとスコットとの不和は続くものの、チェスターはインタビューに答え、STPに「見合うレベルの新しい作品を書いていく」と前向きな姿勢をみせていた。
2013年8月、「ストーン・テンプル・パイロッツ with チェスター・ベニントン」として新EP『ハイ・ライズ』のリリースを発表。また、10月19日(土)・20日(日)の2日間に亙ってさいたまスーパーアリーナで開催された「LOUD PARK 13」への出演も発表される。
スコット追放について、ベーシストのロバート・ディレオはクビにするしか「選択はなかった」と語る。
そしてチェスターは「俺はみんながこうと決めた決断を尊重しているよ。それにそういう話を実際にするというのがどれだけ大変なことかも、俺にはよくわかるから。でもね、それと同時に驚くようなことじゃないよね。このバンドを知っている人間なら、誰でもどうしてこういう判断が下されたのかもわかるはずだよ」と発言、バンドにしっかりと関わっていきたい意思を明らかにした。
リンキン・パークとSTPの2バンドを掛け持ちしていたチェスター。棲み分けについて「両バンドがいい関係にあるから、お互いに尊重し合ってもらっている」と説明。また、以下のように語っていた。
「俺のプライオリティはいつでもリンキン・パークにあると知ってもらわなければならなかったんだ。俺がストーン・テンプル・パイロッツとしてやるどんなことも、バンドとしてのリンキン・パークにとってどんな形であっても差し障りがあってはだめなんだ」
2013年10月にリリースされたEP『ハイライズ』ディスクレビューはこちら。
チェスターがリンキン・パークの新作『ザ・ハンティング・パーティー』の制作作業に入ったため、STPでの作業はしばらく先送りにされていたが、2014年7月、バンドは新作制作へ。
なお、スコットはSTP脱退後、ソロ・バンドのザ・ワイルドアバウツとしての活動を中心としていた。
また、スコットはガンズ・アンド・ローゼズのギタリストであるロン“バンブルフット”サールが、ヴォッタ兄弟と始めた新バンド、アート・オブ・アナーキーに参加。2015年8月にリリースされた1stアルバムのデュスクレビューはこちら。
2015年11月、チェスターはリンキン・パークでの活動に専念するためSTPのボーカルを辞退したことが明らかになる。
この脱退は全員の合意に基づくもので、あくまでも友好的な判断であったことをチェスター、バンド双方が声明を出している。
また、チェスターは「とんでもなく光栄な経験だったし、夢がかなったようなことだったし、これからはSTPとリンキン・パークのどちらの未来についてもすごく楽しみにしてるよ」ともコメント。
この離脱だが、チェスターが最近のレコーディングに参加していないことを聞いたスコットが音楽サイトの「Alternative Nation」にそのことを話したことから発覚し、チェスターとバンド側が急遽公式に発表するに至った、という経緯があった。
チェスター離脱発表のたった1ヶ月後の12月3日夜、スコット・ウェイランドが自身が率いるザ・ワイルドアバウツのツアーバスの中で薬物の過剰服用のため亡くなる。48歳だった。
突然の死にSTPやヴェルヴェット・リヴォルヴァーのメンバー、ニルヴァーナ、コートニー・ラヴ、ジョー・ペリーらが追悼のコメントを寄せている。
2016年2月、ディーン・ディレオは新ボーカルの一般公募に踏み切り、その条件を明らかに。
また、ディーンはチェスターについて「ベニントン氏は自分の持てるものはすべてこのバンドに注ぎ込んでくれたんだ。チェスターのことは心から愛してるよ」「でも、時間的な制約のせいで、俺たち全員が望んでいるような形で活動できていないことは明らかだったんだ」とコメント。
また、スコットの死について「ほんと悲しいよ。もう最悪だよな」「(スコットを)毎日思い出すし、思い出す時は、力がみなぎってて、活き活きしてて、希望に満ちてた頃のスコットで、クリエイティヴィティとインスピレーションが電光石火のように火花を散らしていた、そんな時期のスコットなんだ」と語っていた。
2017年7月、チェスターの突然の訃報が伝えられる。STPはこの訃報を受け、追悼文を発表。
以下がその全文だ。
チェスターへ
今日は悲しい日だ。これからは君の笑い声や友情、そして愛情を分かち合えなくなってしまった。
君のおかげで幾度となく、素晴らしい人間になるとはどういうことかを考えさせてもらったよ。
これから、君は僕たちに未来への光や希望への導きをくれるんだね。
愛してる、チェスター。寂しくなるよ。
そして今月、STPが新たなフロントマンを迎え、チェスターの死後初となるライブを行うことが分かった。このフロントマンの詳細はまだ明かされておらず、11月14日にカリフォルニアで行われるライブにて明らかになる。