【約6年ぶりの新作直前】サカナクション山口一郎が難産の果てに名曲を生み出してきた軌跡を辿る

俺が“エンドレス”の歌詞書いてる間に溜めてたエネルギーを一気に発散したっていうか。だから本当に“エンドレス”ができた瞬間にひとつ終わりましたもんね、あの曲ができた時の感動っていうのは、アルバムが完成した時よりもあった。ミックスが終わった瞬間に俺とエジー(江島啓一/Dr)はもう初めてだけどおもいっきり握手しましたしね。あんなこと今までなかったけど。何か僕の中ですごいドラマチックだったんですよ。あのタイミングでもう締め切りも過ぎてて。ROCK IN JAPANの出演当日で、もう次の日に歌録りしないと絶対間に合わないっていう状況で。書ける訳ないと思ってたけど書けてしまって。そのあと5万人の前でステージに立つっていう内から外への極端な瞬間にできたんだけど。それを書き終えた瞬間にアルバムの景色が見えた。あの曲は『ルーキー』の時からあったから、1月からやってて震災越えて、身内の死を越えて、最もリスペクトしてたミュージシャンの死も越えて「ここでか」っていう思いはありました。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2011年11月号/“エンドレス”)

そもそもシングル曲となることを企図して制作が開始された“エンドレス”は、主に歌詞の部分で山口を苦しめ続け、紆余曲折を経てアルバム『DocumentaLy』のなかで重要な位置を占める楽曲となった。着手から完成までじつに8ヶ月。プライベートも含めてさまざまな悲しみに直面しながら産み落とされた歌詞は「今、この時代、この世界で音楽を作る意味」を正面から歌っているように思う。フェスに出演する当日、「そのあと5万人の前でステージに立つっていう内から外への極端な瞬間にできた」というタイミングは重要だ。山口は「『ここでか』っていう思いはありました」と述懐しているが、「ここ」、すなわちメジャーとマイナー、あるいは他者と自分、その交点にこそサカナクションの音楽はあるのだ。ちなみにここで山口が言っている「最もリスペクトしてたミュージシャン」とは、2011年7月に逝去したレイ・ハラカミである。


今回の曲はメンバー5人が僕の家に集まって、中学校とか高校の時の音楽作ってる延長線上、家でみんな集まってセッションするっていう、楽器も大きい音を出さないでイメージを固めてくのがひとつのテーマで。僕の部屋で生まれたものが外に発信される、リアルにそれを伝えるのがテーマだったから。それをやりたくて作っていったから自分たちが今どんな音楽が好きでどんなマインドなのか5人で確認していった中で、構成や曲の雰囲気やアレンジを集めてて。だから今こういうことをやりたいんだとか、あいつこんなことやりたいんだとか結構わかってやってた中での歌詞だったんですよ。でも歌詞ってもう僕の世界だから、メンバーにとって待つものになってるんですね。だからその部屋で作っていた時の気分をちゃんと曲に込めなきゃいけなかったし、仮タイトルが“ミュージック”っていう、まぁ本タイトルになりましたけど、自分たちの音楽ってなんなんだろうって歌いたいっていう部分もあったし。それで5人でやりたかったことってのは、クラブミュージックのグルーヴっていうものと歌謡性っていうものと、あとロックっていうものを宣言する、エモーショナルなものをトラックに混ぜ込んでいって歌詞をハメるっていうのが――テーマはあったし、すごく歌いたいことは決まってたけど、それを美しく言葉で昇華して歌にするのが今まで培ってきた技術とはちょっと違う技術と、今までやってきた自分のエモーショナルな無意識な部分でその、情熱みたいなものがなんか混ざり合わなかった。だから結構新しいことやらなきゃいけないって感じでしたね。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2013年2月号/“ミュージック”)

メンバーが山口の自宅に集まり、セッションを重ねて楽曲を作っていく制作スタイルは、この曲が収録されたアルバム『sakanaction』を通して貫かれたもの。その作り方、“ミュージック”という曲名、そしてアルバムのセルフタイトルにいたるまで、サカナクションは山口の言葉にあるとおり「自分たちの音楽ってなんなんだろう」というテーマにストレートに切り込んでいった。しかしこれまでの歩みを振り返ってもわかるとおり、そうしたテーマはサカナクションにとっては決して新しいものではなく、むしろもっとも根源的で避けて通れないものだ。形を変えながら繰り返し目の前に現れるそのテーマに、山口はサカナクションのもつ音楽性、そして積み重ねてきた言葉のすべてを注いで向き合い、そして生まれたのがこの“ミュージック”であり、この曲を掲げたアルバム『sakanaction』はバンド史上初となるオリコン1位を記録、そしてバンドは『NHK紅白歌合戦』出場というエポックを刻むことになる。しかしその一方で、『sakanaction』以後の山口は極端なまでに内省的な楽曲を書くようになっていく。ある意味で「答え」ともいえるこの曲とアルバムができたこの瞬間、サカナクションの物語はひとつの区切りを迎えたということなのかもしれない。


(歌詞制作は)苦労しましたね。でもこの冒頭の部分だけですね。そこができてからは早かったです。だから「どれくらい歌詞進んでますか」って締め切りギリギリに言われ続けてたけど「1行もできてない」って言うしかない(笑)。ここができないことには先に進めないから。だからそこを生み出すために躍起になってずーっとやってましたね。この感覚って、今までで近いと思ったのは、“エンドレス”とか“ミュージック”だったんです。あの2曲も相当時間かかったし、“エンドレス”に至っては7、8ヶ月かかってたから。今回も書いてる時、半狂乱でしたね。妥協できないんですよ。1回妥協しちゃうと、もうそれでよくなっちゃうって自分でわかってるから見つけるしかなくて。

ほんとに大事なタイミングだっていうのもわかってたし。『グッドバイ/ユリイカ』っていうのが、自分の中で思ったよりも結果が出なかったんですね。紅白とかにチャレンジしたあとだったわりに。それは曲調のせいだっていうのもすごくわかってたし。今、フェスとかに行ってる若い子たちが求めるような楽曲ではないことは自覚してた。だから次に出すこの曲っていうのは、そこに言い訳できないというか。かと言ってフェス向けな、“アイデンティティ”なものを作るかっていうとそうではないと。だけどちゃんと伝わるものを作んなきゃいけないっていうところは、ほんとに針の穴を通すような部分で難しかったんですけど。
(『Cut』2014年12月号/“さよならはエモーション”)

『sakanaction』でのメジャーシーンにおける活躍の反動かのようにディープでメロウな内容となったシングル『グッドバイ/ユリイカ』に続くシングル『さよならはエモーション/蓮の花』もまた、内省的な側面が強く出た作品となった。上記発言の中で山口が苦労したと語っている歌詞の冒頭とは《そのまま/深夜のコンビニエンスストア/寄り道して/忘れたい自分に缶コーヒーを買った/レシートは/レシートは捨てた》という部分。ここのパートのぐっと日常にクローズアップするような「今ここ」の具体性は、たとえば“目が明く藍色”の《制服のほつれた糸 引きちぎって泣いた》という出だしにも重なる。つまり、「今自分がどこにいるのか」という現在地から書き始めることが当時の山口にとっては必要であり、そのために乗り越えなければならない壁がこの曲だったということだ。なぜそれが必要だったかといえば、もちろん、その現在地から先へと進む道を描くためであり、この壁を乗り越えたからこそ、サカナクションは“新宝島”という「確信」にたどり着けたのである。


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