RADWIMPSのバーチャルライブ「SHIN SEKAI」、そして変わりゆくエンタテインメントについて

RADWIMPSのバーチャルライブ「SHIN SEKAI」、そして変わりゆくエンタテインメントについて
年末の12月29・30日、ロールプレイングミュージックと銘打たれたRADWIMPSのバーチャルライブ「SHIN SEKAI」を体験した。
アバターを選んで自分自身がプレイヤーとなり自由にバーチャル空間を動き回りながら楽しむエンタテインメント。
メンバーも登場するのでバーチャルライブとしての臨場感もあるけれど、どちらかと言うとRADWIMPSの楽曲の世界、そしてメッセージに深く没入できる効果を強く感じた。
特にコロナ渦で生まれた楽曲“新世界”は、昨年5月の発表以降、長く聴いていく中で徐々に真のメッセージが沁みてきたところがあったのだが、この「SHIN SEKAI」によってよりはっきりとした手触りが感じられた気がした。
《僕ら空に落ちてく/ビルは剥がれ堕ちてく/金は皮膚を剥いでく/罵声は跳ね返ってく/生け贄は積もってく/運命はイビキかいてる/綺麗な0を描いてさ/新しくしよう「今」》といった鋭利で生々しいメッセージは、発表当時は正直、人々が今聴きたいものなのだろうかと思った。
でも、それから半年以上経った今、この今までだったら考えられなかったライブのフォーマットでこの楽曲の中に没入すると、そこから《「この時空で最期の恋ならば 君と越えて行きたい」》《君と描きたいのさ 揺れた線でいいから/明日の朝あたり 世界を変えにいこうかね》と歌われる楽曲の後半にかけて、まさに新たな世界に飛び立つために体が浮き上がる感覚をリアルに味わうことができる。
その「新世界の浮力」を手に入れた上で体験する“グランドエスケープ”や“いいんですか?”は新しい“グランドエスケープ”や“いいんですか?”であり、何よりその新しさを純粋に今あるべきものとして受け入れられていることを新鮮に感じた。
それがこの「SHIN SEKAI」が伝えようとしているものなのだと思った。

話は変わるけれど、この年末年始はCOUNTDOWN JAPANの開催が中止となってしまったので、自宅でテレビなども観ながら、こんな時だからこそ今までと同じように楽しさや笑いや癒しを届けてくれる安心感も感じつつ、エンタテインメントの形が変わり始めているのも感じた。
紅白歌合戦は無観客でも今までと同じようなお祭り感の演出もやろうと思えばできたと思うが、こんな時だからこそ中継も駆使しながら各楽曲の世界観が丁寧に伝わるような番組構成をしていて、それに応えるように綿密に想いを込めたパフォーマンスをしているアーティストがたくさんいた。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の約4年ぶりの続編は、楽しく爽快な中にたまに辛辣な社会的視点が混じるような連ドラ時の雰囲気を引き継いだ前半のノリで押し切っても良かったはずだが、敢えて後半でコロナ渦を正面からリアルに描いた。
映画『天気の子』の地上波初放送は、世界がこうなる前に作られたということも含めて、そのメッセージをありのまま視聴者に投げかけても良かったはずだが、敢えて新海誠監修のもとで、日常が決定的に変わってしまった世界に向けてのオリジナル特別エンディング映像が加えられた。
何にしても従来通りの方が安心だし、考えたくないことを考えて心がザワつくこともないし、テレビの前にいる時ぐらい「何もかも変わってしまった」なんてことは忘れさせてほしいと思った人もいたと思う。
でも僕はこの「何もかも変わってしまった1年」を年忘れせずに、新世界の浮力を掴むように新しい表現をしたエンタテインメントがどれも純粋に今あるべき素晴らしいものであるように感じた。
それを彩る、知っていたはずのいろんな曲やいろんな物語が、新しい曲や物語として感じられた。(古河晋)
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