『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督が追悼文を発表。監督すらチャドウィックが癌と知らずに『2』の脚本を書いていたそう(涙)

『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督が追悼文を発表。監督すらチャドウィックが癌と知らずに『2』の脚本を書いていたそう(涙)

チャドウィック・ボーズマンが癌だったことは、映画のスクリーンからはまったく分からなかったが、なんと、『ブラックパンサー』の監督ライアン・クーグラーも知らなかったそう(涙)。

『2』の脚本を書いていたと追悼文を発表している。以下その全文訳。


「僕はマーベルとルッソ兄弟が選んだティ・チャラのキャストをそのまま引き継いだが、彼らの選択に永遠に感謝する。僕が初めてチャドがティ・チャラを演じているのを観たのは、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の未完成版を観た時だった。その時自分が『ブラックパンサー』の監督をするべきかどうかまだ悩んでいた。ディズニーの編集室に座って、彼のシーンを観た時のことは永遠に忘れない。最初に観たのは、ブラック・ウィドウを演じるスカーレット・ヨハンソンとのシーンで、次に観たのが、南アメリカの映画界の巨匠であるジョン・カニ演じるティ・チャラの父であるティ・チャカとの共演シーンだった。それを観た瞬間に、僕はこの映画を監督したいと思った。

スカーレットがそのシーンから去った後、2人が僕が聞いたこともない言葉で会話を始めた。それは聞いたことのあるようなサウンドで、アメリカにいる若い黒人の子供達が使うカチっというようなサウンドと同じだった。人を尊重しなかったり、不適切なことをした時に鳴らす舌打ち音とも同じで、でも音楽的な響きがあったし、古代的でもあり、パワフルで、そしてアフリカ的だった。

その映画を観た後で、プロデューサーの一人であるネイト・ムーアに会い、その言語について訊いてみた。『あれは勝手に作った言語なの?』と。そしたらネイトが『あれは、ジョン・カニの母国語のコーサ語だよ。彼とチャドが、現場であのシーンでは、あの言語で話すと決めたんだ。だから僕らもそれでいいと思った。つまりまさか、『チャドはその日、その場で知らない言語を学んだということなのか?』と思った。それがどれだけ難しいことか想像もつかなかったから、僕はチャドに会う前から、彼の俳優としての能力に感動し尊敬していた。

その後に知ったのは、ティ・チャラがこの映画の中で、どのような言葉使いをするべきなのかについては長い話し合いがあったということ。ワカンダの公式言語がコーサ語に決定したのは、サウスカロライナ出身のチャドがその場でコーサ語を話すことができたからだった。彼はさらに彼のキャラクターはアフリカの訛りで話すべきだと提案した。そうするれば、観客にティ・チャラを西洋の言語に征服されていないアフリカの王として提示できるから、と。

僕がチャドにとうとう会えたのは、この映画の監督をすると正式に契約した後の2016年始めだった。僕が『クリード』の取材を受けている時に、彼はジャーナリスト達の間をそっと通り抜けてやって来たから、控え室で会った。僕らの人生について話し合い、僕は大学でフットボールをやっていた頃について話し、彼はハワード大学で監督を目指していた頃の話をし、お互いティ・チャラ、ワカンダについてどういうビジョンを持っているのかを語り合った。

彼のハワード大学時代のクラスメートだったタナハシ・コーツが、マーベルと一緒にティ・チャラのストーリーを書いているなんて皮肉だと話した。それから、チャドが、コーツが書いた『Between The World and Me』に登場する、警官によって殺されてしまったハワード大の学生プリンス・ジョーンズを実際に知っていたことについても。

その時、チャドがいかに特別な人なのかが分かった。彼はすごく落ち着いていて、自信を持っていて、それでいていつも勉強していた。同時にすごく優しくて、一緒にいると落ち着く人で、世界一温かい笑い方をする人だった。それから彼の年齢以上のことが見えるような目をしていた。でも時々初めて何かを見たかのような輝きを見せる人でもあった。

それがその後何度も行なわれた2人の会話の始まりだった。彼はすごく特別な人だった。僕らは、先祖伝来のもの、それがアフリカの人達にとってどんな意味があるのかについてもよく話し合った。この映画の準備をしている時、彼は、すべての決定、すべての選択を熟考した。それが自分にどう影響するのかだけではなくて、それが全体にどう反響するのかを考えていた。

『みんなまさかこんな作品ができるとは思っていないと思う』『これは“スター・ウォーズ”であり、“ロード・オブ・ザ・リング”であり、だけど、これは僕らの物語であり、そしてそれ以上にでかいんだ!』と。彼は僕らが劇的なシーンを撮影しようと、時間が超過して苦戦しているような時にそういうことを言ってくれる人だった。または、彼が自分でアクションシーンのスタントをするために、ボディ・ペイントをしているような時だったり、または、極寒の水の中に飛び込んだりしている時にこそ。

僕はそれを聞いてうなずき笑っていたものの、彼を信じてはいなかった。自分ではこの映画が成功するのかまったく分からなかったんだ。それに自分がやっていることに自信もなかった。だけど今振り返ってみると、チャドには僕らみんなには分からないことが分かっていたんだと思う。彼は長期戦の視点で立ち向かっていたんだ。自分は苦しんでいたのに。

彼は、脇役のオーディションにすら来てくれた。普通はこれだけの大作の主役がやることではない。彼は、エムバクのオーディションにも何回か来た。ウィンストン・デュークとの相性を観る脚本の読み合わせでは、いつの間にか2人でレスリングをしていたし、シュリを演じたレティーシャ・ライトのオーディションでは、彼女らしいユーモアによって、落ち着いた国王ティ・チャラを100%チャドの素顔であるように笑顔にさせた。

撮影中は、オフィスで会ったり、アトランタで借りている家で会った。そこで、台詞について話し合い、またそれぞれのシーンにいかに深い意味をもたらすことができるかを話し合った。衣装についても、軍隊的な訓練についても話し合った。彼には、『ワカンダの人達は、戴冠式の時に踊るべきだ。 もし槍を持って立ってるだけだったら、古代ローマ人と同じじゃないか』と言われた。また初期の脚本では、エリック・キルモンガーが、ティ・チャラはワカンダに埋められるべきかを訊くようになっていた。だけど、チャドは、キルモンガーが、その他の場所で埋めるように訊くのはどうだ?と言ってきた。

チャドは、自分のプライバシーをすごく大事にしていたので、彼の病気の詳細については、知らなかった。彼の家族が声明文を発表した後で、僕が彼と仕事していた間ずっと彼が病気だったと知った。だけど彼は、人の面倒を見る人であり、リーダーであり、信念を持った人であり、威厳があり、プライドがある人だったから、彼の苦しみを、コラボレーター達からは完全に隠していた。彼は美しい人生を過ごし、そして偉大なアートを作り上げた。毎日、毎年。それが彼だった。彼は最高の花火のようだった。僕は死ぬまで、彼が放った数えきれない輝きその場で目撃したことを語り続けるだろう。彼はなんて素晴らしい軌跡を残してくれたんだろう。

僕は人を失ってここまで深い悲しみをこれまで味わったことがない。僕は去年、彼が言う言葉を準備し、想像し、書いていた。だけど僕らはそれをもう観る運命にはない。もう二度と彼のクローズアップをモニターで観ることができないんだと思うと、もう1回やって欲しいと言えないと思うと、僕の心は永遠に引き裂かれる。

それにもう二度と僕らは話し合いや、フェイスタイムができないんだと思うと、または携帯でメッセージをやり取りできないと思うと、さらに心が張り裂ける。彼はコロナ禍では、僕らの家族にベジタリアンのレシピや食事療法を送ってくれて、僕にも試すようにと言ってくれた。彼は、僕や僕の愛する家族が大丈夫かと連絡をくれた。彼自身が癌の苦痛を味わっていたにもかかわらず。

アフリカのカルチャーにおいて、僕らは、愛する人達を先祖に渡したとよく言う。遺伝的に繋がっている場合も、そうでない場合も。僕はチャドが演じたティ・チャラがワカンダの先祖達とコミュニケーションを取るシーンを監督する特権に恵まれた。アトランタの廃墟となった倉庫にいて、ブルー・スクリーンがあって、巨大な映画の照明があった。だけど、チャドのパフォーマンスが、それをリアルに思わせてくれた。恐らくそれは僕がチャドに会った時から、先祖が彼を通じて話しかけてきていたからだと思う。今になって明らかなのは、彼が先祖の中でも最もずば抜けた人達を素晴らしく演じてくれたということ。彼が生き続け、僕らに恵みを与え続けてくれることは疑いようもない。

ものすごい悲しみとともに、また彼がここにいてくれたへの深い感謝とともに、僕は彼が今先祖になってしまったという事実を深く考えなくてはいけない。だけど、彼が僕らを見ていてくれていることは間違いない。僕らが再び会う日まで」


https://www.youtube.com/watch?v=Uw-BXcHrWNg&feature=youtu.be

涙しかない。
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