衝撃の悲しいニュース。カニエ、ファレル、フランク・オーシャンからビリー、パティ・スミスなどが次々に追悼。デザイナーのヴァージル・アブローが亡くなる。享年41歳。

衝撃の悲しいニュース。カニエ、ファレル、フランク・オーシャンからビリー、パティ・スミスなどが次々に追悼。デザイナーのヴァージル・アブローが亡くなる。享年41歳。

あまりに悲しく衝撃的なニュース。デザイナーのヴァージル・アブローが、11月28日に41歳の若さで亡くなった。2019年に心臓血管肉腫という稀ながんに診断され、公表せずに闘っていた。

公式のInstagramでは、こう発表されていた。

「2年以上にわたり、ヴァージルは、非常に稀で侵襲性の強い心臓血管腫というがんと闘いました。2019年にがんと診断されてから、いくつもの困難な治療を受け、公表せずに闘う道を選びました。治療しながら、ファッションからアート、カルチャー全般に至るまでの重要な分野の舵取りをし続けました。

しかも、その全てにおいて、彼の仕事に対する美学や、無限の好奇心、前向きな思考が揺らぐことはありませんでした。ヴァージルは、自分の作品への貢献や、その他の人たちへ門戸を開けること、そしてアートとデザインでより広い平等な道を築くことを機動力としていました。彼はよくこう言っていました。『僕は全てのことを17歳の時の自分のためにやっているんだ』と。彼は、アートが未来の世代をインスパイアすると深く信じていたのです。

皆さんの愛とご支援に感謝します。ヴァージルの命を悲しみ、祝福する間、どうか静かに見守っていただければ幸いです。

ヴァージル・アブロー
1980年9月30日ー2021年11月28日」


ヴァージルはシカゴのイリノイ工科大学で建築の修士号を得たが、その間にカニエ・ウェストと出会い、カニエが彼をクリエイティブ・ディレクターに任命。ツアーや、アルバムのアートワークのコンセプトを手掛けたりもしていた。

カニエとコラボしたことが、その後のキャリアのきっかけを作った。彼の活躍は多岐にわたるが、2012年に自らのブランド、オフホワイトを創設し、2018年にはルイ・ヴィトンで初めて黒人のアーティスティック・ディレクターに就任した。

以下ミュージシャン達による追悼。

●カニエ・ウエスト
11月28日に行われたサンデーサービスをヴァージルに捧げ、アデルの”イージー・オン・ミー”をカバー。

衝撃の悲しいニュース。カニエ、ファレル、フランク・オーシャンからビリー、パティ・スミスなどが次々に追悼。デザイナーのヴァージル・アブローが亡くなる。享年41歳。

BTS
最近”アメリカン・ミュージック・アワーズ”に出演した際も、レッドカーペットでルイ・ヴィトンを着ていたBTS。

追悼のツイート。

「RIPヴァージル・アブロー。本当に悲しいです。あなたと仕事できて光栄でした。真のクリエティブな天才」

ファレル・ウィリアムス

「心が張り裂けている。
ヴァージル、あなたは、親切で、優しく、思いやりがあって、クリエイティブな天才だった。
あなたが人として行ったこと、スピリチュアルな存在として行ったことは、永遠に生き続ける。
あなたの奥さんとお子さん、ご家族に愛と光を贈ります。
あなたは今、主の元にいて、輝いている」

「まだ受け止めきれない」と続けてポストしている。

●ジャスティン・バーノン(Bon Iver)

「ヴァージル・アブローが亡くなったと聞いて、本当に本当に悲しい。すごく多くの人たちにとっての真に偉大なインスピレーションだった。僕自身も含めて。僕は彼が(ウィスコンシン州の)マディソンの大学に行ったことをいつも声を大にして語ってきた。彼は本当に優しくて、謙虚で、でもハングリー精神があり、そしていつも接し安い人だった。なんて大きな喪失なんだ」


ビリー・アイリッシュ
https://www.instagram.com/billieeilish

「めちゃくちゃショックで悲しい」

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フランク・オーシャン

「2018年だったと思うけど、僕はV(ヴァージル)に電話して、なんで1年間に何百のもショー(DJ)をやり、ファッション・コレクションを発表し、父、夫であり、全員のテキスト・メッセージに情熱と絵文字で返事して、激励して、しかもそれを簡単にこなしているように見せられるのか?って聞いたことがあった。

彼の返事が何だったのか一語一語は覚えていないんだけど、でも彼が言ったことだからそのまま引用したくなるような言葉だったはずだ。彼が言うことはいつだってそうだったから。

でも、彼がその時言ったことの要旨は、彼は生きることに興味があり、しかも、マックスのレベルで生きることに興味があるんだということ。だけど、それを今日証明するのはもう不可能になってしまった。なぜなら、彼はそれ以上になってしまったから。

あなたがいなくなって寂しい。ライアン(フランクの弟)がプロムに行った時、LVのコレクションからあなたが彼に服をくれた。彼は、大喜びで、脱げなくなっていた。僕がマイアミに行った時、2016年に海岸でDJして、ドラムとベースなしの”White Ferrari”をかけて(笑)、一緒に歌っていた。僕のデモを聴いてもらったり、Homer(フランクのアクセサリー)をまだ試作段階で見てもらったりすると、いつも、僕の背中にエネルギーを入れてくれた。

弟が死んだ時は、あまりに辛くて何も言えなかったけど、でも彼はあなたのことが大好きで、尊敬していた。彼はファッション学校に行きたいと思っていたし、デザイナーになりたいと思っていたんだ。

僕の家族はあなたを自分の家族のように誇りに思っている。悲しみというのは、表現し難い愛だ。でも僕は、ここでそれをなんとか表現しようとしている。愛してる、V。あなたはヒーローだ」


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タイラー・ザ・クリエイター

「サー・アブローは、真のオタクだった。やること全てに情熱が注がれていた。聴いたこともない曲であれ、飛行機の羽の色を何色にするかであれ、いつだってマジだった。彼のプロジェクトの中でも俺が好きだったのは、Benz G Wagonだった。自分の目では、それが何なのか理解できなかったし、脳は、それがリアルなんだと思えなかった。まさかそんなことができるなんて思ってもみなかったから、俺の体もスピリットも大喜びだった。

でも彼はやったんだ! しかも彼はそれを毎回、超え続けた。進んでいたんだ。アブロー。強烈なアフリカの名字だ。アブローと聴くと堂々とした感じがするから、数年前から俺もアフリカの名字OKONMAを使い始めた。

俺が疑問を持っているようなことに対しても、彼がやると全てが、『こっちに来てみなよ。海岸の見晴らしいは良いよ』と言っているようだった。

彼と最後に話したのは1週間くらい前で、その時は、取り止めのないことを話していたつもりだったけど、今考えると、それがすごく重く思える。時に、仲間に自分の狂ったアイディアを話すのは、もっと頑張れと言ってもらいたいためだったりする。でもヴァージルの場合は、いつだって、チアリーダーになってくれた。誰に対してもね。

彼はその手で多くの人に門戸を開き、人々を招き入れ、鍵を外に渡し、他の人も入って来られるようにしてくれた。彼が俺を助けてくれたことが、俺をどんな人間にしたかを見てもらいたかった。だけど、彼のスピリットはまだここにある。そう感じるんだ。俺は、これからも挑戦し続けて、門戸を開け続ける。彼は、ポンポンを降り続けてくれるはずだ。俺たちもやり続ける。どうか安全な旅を」


●ティモシー・シャラメ

「ご冥福をお祈りします。親愛なるヴァージル」

パティ・スミス

「ビジョナリー
あまりに早く逝ってしまった。
ビジョナリーなラインだった。
ビジョナリーなゲームだった。
ビジョナリーな心だった。
ビジョナリーな名前だった。
ヴァージル・アブロー
1980ー2021」


キッド・カディ

「昨日の朝、携帯にメッセージくれたばかりだったのに」



「僕らはいつも一緒に人生を愛して、みんなに喜びをもたらしていた」


個人的には、ヴァージルは、もともと建築の勉強をしていたこともあり、これまでのファッション・デザイナーとは視点が明らかに違うように感じていた。服で何かを表現しているというよりは、スケートーボーダーだった、それこそ17歳の青年のビジョンでストリートごと、生活そのものをデザインしているようだった。

私の家のエリアは、スケートボーダーとか若き日のビースティ・ボーイズがたむろしていたような場所なんだけど、だから、そこが自分のインスピレーションの源なんだと言って、ほぼゲットーなんだけど、本当にヴィトンのポップアップ・ストアを出したりしていた。音楽にも、家具にも、スニーカーにも、アートにも、同じようなエネルギーを注ぎ、いつもそんな時間がどこにあるんだろうと思うくらいだった。

間違いなく、革命を起こし、そして時代を牽引した。ストリート・ファッションをハイ・ファッションにしたことはもちろん多大なる功績だし、逆にそれが実現していなかったら、今頃ファッション・シーンはどうなっていただろうかと心配になるくらいだ。そういう意味で救世主でもある。

とりわけ、今のティーネージャーから20代の男子のカルチャーに、おそらく最大の影響を与えた人物の1人だ。まだまだやりたいことはあったはずだ。しかし、いつ見てもてフランクも書いているけど、マックスで生きていたと思う。ご冥福をお祈りします。



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