現在発売中のロッキング・オン6月号では、ブラーのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「紀元2000年までバンドを続けたい。そして、90年代はありとあらゆる領域でブラーに注目し、やがてその意味を理解するんだ。その時僕らはBLUR(アイマイ)じゃなくて、そうだな、CLEAR(ハッキリ)とかそういう名前になってるはずだよ」
●2ヶ月間無休の疲労困懲全米ツアー、帰国してみると事務所の「不始末」で膨大な金が消えてる、出したいセカンドアルバムも出せない、ヤケで深酒、彼女と喧嘩……思い出させるみたいで悪いですが、楽な一年じゃなかったですね、昨年は。
デーモン・アルバーン(Vo/以下、D)
「ああ、トラブルのてんこ盛り。夏頃が一番つらかったな。とにかく人間、何やってるんでも意味が感じられなくなったら、どうしたって自己破壊的な方へ向かうよ。アメリカはひたすら目をつむって夢遊病者みたいに移動してた」
●もう駄目だ、やってけないんじゃないかと自暴自棄になったこともありました?
D「うーん……それはなかったと思う。てのは、更に屈辱的なことにレコード会社の大勢が、僕らの目指してた方向性に反対で、『もっとアメリカっぽい音にしろ』とか言ってたんだ。そりゃあの頃は、世界的流行だったもんね。でも僕らはそんなの全然興味なかった、2ヶ月アメリカをツアーしてもうウンザリだった。ルーツに立ち返って自分らしさをもう一度取り戻したいって心境になってたんだ。で、あまりに大勢にねじ伏せられそうになったんで、却って意地になってさ。『あと半年もしたら英国的サウンドの大反撃が起こるんだから』、って言い続けたんだ。幸い、予測は当たったけど」
●思い通りに活動できないのは辛いもんでしょうが、あなた方の場合、苦境を創作に転化した力の源は何だったんでしょうか?
D「何で立ち直ったか? はは、うん。絶対的決意、だろうな。それと自分たちはいい曲を書いてるんだという確信と。グレアム(・コクソン)と僕は昔から契約なんか関係なく音楽作ってたし。状況を乗りきるには『クソったれ、てめえらがのたれ死んでも僕たちはやるんだよ』とか呟いて、もともと自分のためにやってるんだって心に叩き込むしかなかったけど。でも僕らがきちんと意図を説明して、それが理解されてからはみんな寛容だったよ。結果的に一番良かったことは僕らがアイデンティティを見出して、何故こうしてるのか判ったってことだろうな」
(以下、本誌記事へ続く)
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