新木場でフリート・フォクシーズを観て、また編集部のある渋谷に戻って校了直前の作業に追われている。
行き帰りの夜風は本当に冷たかったが、帰り道のほうは、体がぼうっとして温かかった。
ずっと、あの完璧なメロディと演奏と声のハーモニーが、頭の中でぐるぐると続いて鳴っていたからだ。
フリート・フォクシーズのアルバム『ヘルプレスネス・ブルース』はもちろん素晴らしい作品だったけれど、個人的にはそれほど繰り返して何度も聴いたりはしなかった。めちゃくちゃ美しくて、真摯で、でも傷ついていて、そのストイックな気高さに自分はなんとなく気後れする……というかなんというか。まあ、あの悲しみに同一化するほどは、どうしても入れ込めなかった。
でも、今日のライヴは当たり前だけど、アルバムを単に再生するのとはまったく次元の異なる体験で、本当に感動的だった。強引に例えて言うなら、家でただディズニーの映画を見てる状態から、実際にディズニーランドの真ん中に連れていかれたような。とにかく完璧に構築された声のハーモニーと、時に荒ぶり、時に羽毛のようにふわりと鳴らされる楽器のアンサンブルが、1曲終わるごとにすうっと静寂に吸い込まれていく感じが、もはやこの世のものとは思えなかった。巨大な不幸や悲劇に立ち向かうための、柔らかなスキルとタフネスが、1ミリのブレもなく肉体化されている圧巻のショウ。
でも最後の”ヘルプレスネス・ブルース”が鳴り止んで、今日で脱退してしまうドラムのジョシュがシンバルを外して観客にプレゼントする晴れやかな表情を見ていたら、やっぱりここには、さらに先の意味での希望もまた、あるんだと思えた。それは、この理想的なコミューンから出ていくことも、また自由であるという希望だ。逆説的な言い方だけど、そういう意味でフリート・フォクシーズは、さらに進化していくバンドなんだろう。
今日どうしても行けなかった人とか、「やっぱり!……やっぱり見に行けばよかった!」みたいな人も多いはず。ぜひ、夏フェスで再来日!とか切に願います。(松村)