マニック・ストリート・プリーチャーズrockin'on sonic出演決定! 転換点『ホーリー・バイブル』を振り返った決定的インタビューで傷だらけのバンドヒストリーを辿る 

マニック・ストリート・プリーチャーズrockin'on sonic出演決定! 転換点『ホーリー・バイブル』を振り返った決定的インタビューで傷だらけのバンドヒストリーを辿る 

現在発売中のロッキング・オン10月号では、マニック・ストリート・プリーチャーズのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。



「当時はブラーやオアシスが突然出てきて売れまくっていた。なのに俺たちはこんなショボいスタジオで、死んだように冷たいポストパンクアルバムを作っている。それで悟ったんだ。『このアルバムを、俺たちの本質に可能な限り忠実なものにするしかない』」


1993年にリリースされたセカンドアルバム『ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル』は玉石混交といった出来だった。イングランド南部のバークシャーにある邸宅、フックエンド・マナー内のスタジオを借り切り、莫大な費用をかけて制作された本作は、若い世代の心情を焼き付けることはできなかった。また、ファーストでの大言壮語は見る影もなく、とはいえ「パンク界のガンズ・アンド・ローゼズ」としてライブを続けていく将来も見えなかった。そんなわけで、1993年10月、ツアーでドイツを回っていた4人は絶好調とはほど遠い状況だった。

「『ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル』の魅力は、その空っぽさだ」とニッキーは語る。「魂がこもっていないんだ。それで、1日使うだけで2000ポンドもする、ただ広いだけの、アリーナロック御用達のスタジオを使ってもダメだって悟ったよ。それに、ドイツツアーは最悪だった。最初のギグで、リッチーはどこかに行ってしまった。この日は昼間からずっと、ジョニーウォーカーの黒ラベルを飲み続けていたよ。そんなことはそれまでは一度もなかったのに。ギグの直前も、そんな感じだった。でオフの日に行く場所と言えば、死の収容所だったんだから!」と言い、彼は笑う。

ドイツツアーから戻ったジェームスは「『ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル』や、自分たちが演奏している曲にすっかりうんざりしていた」と言う。当時まだ両親と暮らしていた彼は、ドイツツアーが始まって間もなく、母親がガンと診断されたと知らされた。この一件、そして長年の交際相手との別れが合わさって、彼は人生の優先順位の見直しを余儀なくされたという。

「母が病気と知って、頭に来てしょうがなかった。実家で何か良くないことが起きているのはわかっていたんだけれど、両親からは何の話もなくて。それで『クソ、俺は大事な何かを見失っていたんだ』って悟った。だから(ツアーから)家に戻った時は、本当に嬉しかったし、(実家のある)カーディフ以外の場所でレコーディングはしたくないと思ったんだ。『17歳の時の自分みたいな人間になりたい』っていう自分の気持ちに気づいてね。今思えば、バカみたいな話なんだけど、バンドを初めてまだ数年だったんだから。でもあの時すでに、初心を忘れているように感じてたんだ」
 
4人それぞれに違う道をたどって、マニックスのメンバーは同じ場所にたどり着いた。いかにもドラマーらしく、ストイックさが身上だったショーンでさえ、「前のアルバムでは、俺たちはすっかりいい気になっていた。でも自分たちが思うほどの出来ではなかった」と感じていたという。
 
そこで、サードアルバムの制作にあたり、再び豪邸を改修したスタジオで名の通ったプロデューサーを起用しようという案を、メンバーは却下し、ウェールズのスタジオにこもる道を選んだ。やせこけた向こう見ずの青年4人が、4年前に飛び出てきた場所に戻ることにしたのだ。(以下、本誌記事へ続く)



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