レディー・ガガが演じる、そして歌う。人間の弱さと強さ、歌が生まれるときを描く『アリー/ スター誕生』を観た

レディー・ガガが演じる、そして歌う。人間の弱さと強さ、歌が生まれるときを描く『アリー/ スター誕生』を観た - (C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

歌はなぜ生まれるのだろう。『アリー/ スター誕生』が胸を打つ音楽映画であるのは、優れた歌い手が演じているとか、ストーリーテリングが見事であるとかそういったこと以上に、そういったことを総動員して歌が生まれる瞬間を真摯に描こうとしているからだろう。もともとはイーストウッドが監督する企画だったという本作は、やがてブラッドリー・クーパーの初監督作となったが、ある意味「イーストウッドの血」のようなものを濃く感じるものとなっている。すなわち、どうしようもなくアメリカ映画なのだ。「夢」が眩しく輝く国で、「夢」に敗れる人間や「夢」が生み出す痛みについて見つめるということ。1930年代から何度も語られてきた物語であり、ところどころに現代性は散見できるものの、話自体はけっして真新しいものではない。だが、その「新しくなさ」でこそ変われない人間の弱さや悲しさを捉えようとする。

本作の誠実さを表しているのは何より演出である。音楽映画といっても装飾的な劇伴はほとんど使わず、揺れるカメラによるクローズアップと素っ気ない編集によってドキュメンタリー作品のような親密さでアリーとジャックを映し出していく。とりわけ注目してほしいのは、アリーがはじめてステージに立って「スター」になる瞬間を収めたシーンだ。ふつうビッグ・コンサートを映す場面であれば大観衆を映してシンガーが熱狂とともに迎えられていることを強調しそうなものだが、本作ではそれまでと同様にカメラはアリーそのひとの側から離れない。そのことで彼女の不安や興奮、喜びといったものを親密に捉え、そして、彼女が「スター」になることを引き受けた瞬間、すっと引きのショットを挿入してオーディエンスを映すのである。「スター」はあらかじめ「スター」なのではなく、わたしたちと同じ小さな人間だからこそ人びとを感動させる。


レディー・ガガはここで、たとえば“ボーン・ディス・ウェイ”のようなハイパーなポップ・スターではなく、あくまでひとりの女性としてのアリーを繊細に演じている。そういう意味では、最近作である『ジョアン』や彼女に密着したドキュメンタリー『レディー・ガガ: Five Foot Two』で見せたような素顔と地続きにあると言えるだろう。その圧倒的な歌唱力はもちろん本作の歌の力に絶大な説得力を与えているが、それよりも、アリーがなぜ歌を歌わずにいられないのかを彼女の人生を生きることで体現している。アリーが愛するジャックはたしかに「スター」だが、それ以上に傷と欠点を抱え、うまく生きることのできない男だ。アリーは「スター」に引き上げられたから、ではなく、自分の愛する男と痛みを分け合うことによって、歌の物語と一体になっていく。

『アリー/ スター誕生』はタイトル通り、たしかにスターが生まれる様を語った映画なのかもしれない(原題は『A Star Is Born』)。だが、ここでアリーとジャックが「スター」なのはある種の偶然のようなものであって、彼女たちは器用に生きられないただの人間に他ならない。その弱さと、悲しみを何とか乗り越えようとする強さによってのみ歌を生み出していく。そんな映画だ。レディー・ガガもまた、スターであると同時にひとりの人間であるように。(木津毅)


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