高校在学時に参加した00年代生まれによる音楽プロジェクト・from00で制作された“恋よ、踊り出せ”がバイラルヒットを記録し、Instagramのフォロワー数も4万人超え。この夏に配信された“最後の花火”、9月リリースの “溶けないで”では外部のプロデューサーを招き、その音楽性を奔放に広げ続けている。
まだ10代とは思えない(この春、高校を卒業したばかり!)ポップセンスと演奏技術を有したココラシカ。メンバーのこうき(Vo・Key)、らな(B)、こた(Dr)にバンドの成り立ちと音楽的なスタンス、“最後の花火”と“溶けないで”の制作などについて語ってもらった。
インタビュー=森朋之 撮影=堤 智世
──ココラシカは軽音楽部が盛んなことで知られる都立鷺宮高校で結成されたそうですね。軽音に入って、最初から「サブスクに曲を出してます」って言ったら、自分の本気度も見せられるし、メンバーを探すのもやりやすいんじゃないかなと(こうき)
こうき そうです。
らな 軽音部に入りたくて、鷺宮高校を選んだんですよ。
こた 僕も同じですね。軽音がやりたいのと、家から近い高校がいいなと思って。
──こたさんは高校に入ってからドラムを始めたんですよね?
こた はい。もともとはギター&ボーカル志望で、第2希望がベース、第3希望がドラムだったんですけど、ドラムに回されて。
らな 新入生はとりあえず仮バンドを組むんですけど、ギターとかが人気なので、人数調整をしなくちゃいけないので。
こうき (笑)。バンドを組むのも初めてだったし、仮バンドのときは「とりあえずこの3人でスタジオに入ってみようか」くらいの感じだったんですよ。
らな 高校に入ったばっかりだったし、最初は超気まずかったです(笑)。
──初々しい(笑)。ピアノ、ドラム、ベースの編成にこだわっていたわけでもなかったんですか?
こうき そうですね。最初はギターを入れてもいいかなと思ってたんですけど、僕らと趣味が合う人がいなくて。
こた 曲の方向性というか。あと「この人はバンドを続けてくれそうだな」と思える人もいなかったので。
こうき 軽音って、モテたいからギター始めました!みたいな奴も多いんですよ。それもいいとは思うんですけど、モテないとわかるとどっか行っちゃう(笑)。
──本気で音楽をやりたい3人が集まったと。音楽の趣味も合ってた?
こうき そうですね。バラバラなところもあるんですけど、共通点もわりとあって。やっぱりブラックミュージックかな?
こた そうだね。
こうき 超昔のブラックミュージックというより、最近のお洒落な音楽を聴いてるところも結構似ていて。iriさん、Vaundyさん、藤井 風さんとか。
──なるほど。らなさんのルーツもそのあたりですか?
らな 最初はRADWIMPSとかの邦ロックが好きだったんですけど、私のお母さんがいろんなジャンルの音楽を聴いていて。わりと小さい頃からiriさんや韻シストのライブとかにめっちゃ連れて行ってもらってたので、その影響もあって、そういう音楽を聴くようになりました。で、小学6年生の終わりくらいにベースを習い始めて。ずっとバンドをやりたいという気持ちはあったんですけど、ベースの音使いがいちばん好きだったんですよね。
──すでにベース歴7年なんですね。こたさんが音楽をやろうと思ったきっかけは?
こた これ!みたいな理由があるわけではないんですけど、中1のときに知り合いからウクレレをもらって。4弦じゃ足りないと思って、中2のときにギターを買ってもらったんです(笑)。そこから音楽がさらに好きになって、バンドをやってみたいと思うようになりました。中学1年までは音楽に全然触れてなかったんですけどね。幼稚園から小学校2年くらいまで親に無理矢理ピアノを習わされて、それがすごく嫌で。学校の宿題やって、ピアノの練習を1時間やらないと遊びに行けなくて、「遊ぶ時間がない!」って音楽が嫌いになっちゃったんですよ。そこから好きになるまでにだいぶ時間がかかりました。
こうき やらされる音楽って、めっちゃつまらないからね。
こた リスナーとしては、(ココラシカとは)ジャンルがだいぶ違うんですけど、ボカロがめっちゃ好きなんですよ。ネットサーフィンが好きだったので、そこで歌い手さんをいろいろ調べて。いちばん好きだったのはEveさんですね。オリジナル曲を出し始めたときも、「こんな音楽をやるんだ!」って。世界観も確立しているし、かっこいいことこのうえない。
こうき Eveさんは俺も好き。
──こうきさんは10歳くらいの頃から作曲家を目指していたとか。
こうき 僕はもう、音楽をやってる家系なんですよ。会ったことはないんですけど、ひいおじいちゃんも音楽家で、おじいちゃん、お父さんもそう。僕もちっちゃい頃から「こういう家系なんだから、音楽家にならなきゃ」って思い込んでいたんです。全然そんなことはないんだけど、勝手にそう思い込んでて、「無理に音楽をやらされてる」みたいな意識もあって。
──幼少期から音楽のトレーニングも受けていた?
こうき どっちかというと作曲ですね。5歳の頃、公園からの帰り道で適当に歌ってたら、お父さんが「いい曲だね! 形にしよう」って言い出して、その曲をYouTubeに乗せて(笑)。小3のときに作曲を習い始めて、そのためにピアノも弾くようになりました。しばらくは適当な感じでやってたんですけど、コロナ禍があったり、いろいろ自分の将来のことを考えるようになって。そこからですね、やっぱり音楽をやりたいと本気で思うようになったのは。作曲もちゃんとやるようになったし、高校に入ってからバンドをやろうと決めて。
この3人でどうやるか?がいちばん大事なんです。このふたりよりも上手い人はめちゃくちゃいる。でも、3人でやる意味が絶対にあると思ってるんです(こうき)
──こうきさんのオリジナル曲を初めて聴いたのはいつだったんですか?
らな 軽音部に入ったとき、自己紹介タイムみたいなものがあって。みんなは「こういうバンドが好きです」みたいな話をするんですけど、こうきは「サブスクに曲を出してるので聴いてください」って言ってたんです。そのときは「へー、すごいな」くらいだったんだけど、聴いてみたら「キーボードで作った曲なんだな」ということがわかって。キーボードとボーカルというのも新鮮だったし、すごく惹かれましたね。
こうき 中学を卒業するタイミングで曲を作っておきたかったんですよ。軽音に入って、最初から「サブスクに曲を出してます」って言ったら、自分の本気度も見せられるし、メンバーを探すのもやりやすいんじゃないかなと。軽音に入ったときは「ずっと考えてたことをやっと言える」って楽しみでした(笑)。
こた 僕はその話を聞いて、「こいつの曲なんて絶対聴かねえ」と思ったんですけどね。
こうき (笑)。
らな 「なんだ、こいつ?」みたいな(笑)。
こた 「サブスクに曲があるとか、いきなり何言ってんの?」って。でも、軽音の仮バンドの時期が終わって、本バンドを組むときに、こうきが誘ってくれて。「優しいじゃん」と思って、曲を聴いてみたら「ああ、こういう曲を作る人なんだな」って自分の中で腑に落ちたんですよね。納得できる音楽だったというか。
──こうきさんの人柄と曲が結びついたと。
こうき その話、初めて聞いた。
こた 言わなかったっけ?
らな そこまではちゃんと聞いてなかった。
こた そうか。曲を聴いたときに違和感がなかったというか、「この人がこういう曲を作るんだな」ってスッと入ってきたので、一緒にバンドをやってみたいなと思って。これも軽音部の話なんですけど、本バンドが決まらない人たちだけで集まる集会があるんですよ。そこに入っちゃうのが怖くて(笑)、こうきが誘ってくれたときは藁をも掴む思いで「お願いします!」ってめっちゃ熱弁して。
こうき すごい下からだったよね。「本当にすいません」みたいな。
らな ちょっと怖がってた?
こた マジで怖かった(笑)。ココラシカのグループLINEを遡ると、最初のほうは俺だけ敬語なんですよ。
──それほどの熱意で「やりたい」と言ってもらえると嬉しいですよね。
こうき そうですね。ちゃんと音楽をやりたいという気持ちが強かったし、そこはここ(こうき、らな)の間でもマッチしていて。そこにこたが入ってきてくれたというか。技量とかは、頑張れば成長できるものだと思っていて。上手さよりも気持ちの面で合う人とやりたかったんですよね。
──こうきさんは曲も作れるし、歌えるし、ひとりで音楽をやるという選択肢もあったと思うんですが。
こうき そういうのは本当に一切なくて。この3人でどうやるか?がいちばん大事なんです。こういうことはあまり言うべきじゃないけど、このふたりよりも上手い人はめちゃくちゃいる。でも、3人でやる意味が絶対にあると思ってるんです。もっと言えば、音楽の前に「自分たちがどう生きていきたいか」ということが大事で。生きていく中でつらいこと、楽しいこととかがいろいろあると思いますけど、その表現方法として音楽があると思ってるんです。それは僕ひとりでは絶対にできないし、やっぱりこの3人だからできる音楽をやりたいんだろうなと。
──すごい。高校生のときからそういう話をしてたんですか?
こた 結構してましたね。
らな 受験のタイミングで「この先、どうするのか?」という話をめっちゃして。放課後も公園とかでずっと会議してたし、こうきが今言ったようなことも話してくれてましたね。
こた このふたりは最初から「プロになる」という話をしてたんですけど、僕は高校3年のときにかなり悩んでいた時期があって。こうきからは「音楽を続けなきゃいけない」というところにフォーカスを当てすぎないでほしいということも伝えられていたんですよ。それ以外の道もあるよって言ってくれて、それで救われた部分もあって。ゆっくり考えて、高校3年の後半には「この3人で音楽をやりたい」という決意が固まりました。高校に入ってからドラムを始めたので、「足を引っ張るかもしれないけど、ごめんね」というところもあったんですが、それでも一緒にやっていられるのはふたりの人格のおかげだと思います。
──音楽に対する思いの強さでつながっているバンドなんですね。
こうき そうですね。僕が曲を作って、バンドのことも率先してやってるので、僕のバンドだと思われがちなんですけど、そうじゃなくて。このふたりが僕の思いをちゃんと汲み取ってくれてるから成り立っているんじゃないかなと。
──そのスタンスは、ココラシカの音楽性にもつながっていると思います。これまでに発表されている楽曲は基本的に、ピアノ、歌、ドラム、ベースの音だけで構成されていて。
こうき この先はいろんな音を混ぜることもあると思うんですけど、最初に出したEP『Sign』は、いったん3人で作ろうと思って。ストリングスを入れている曲もあるんですけど、自分たちの未熟さも含めて、まずは音源として出したかったんです。そこを起点にして、どんどん成長していく姿を見てもらえたらいいのかなって。
──ピアノトリオに特化したアレンジもすごく個性的です。同世代のバンドの中でも際立ってますね。
こた 確かに個性はめっちゃあると思いますね。
こうき ピアノトリオでよかったなって思うこともよくあります。作曲は得意なので、いろんな曲を書けるんですけど、「ピアノトリオでどう表現するか」というところが今のココラシカらしさにつながっていると思っていて。「何をやってもいい」ってなると世界観がバラバラになる気がするし、制限された中で、どうやっていろんなアプローチをやっていくかがやり甲斐にもつながっているんじゃないかなと。