歌詞、音楽的アプローチ、19年の歩み、変わらないスタンス、リスナーとの関係性、という5つの視点から『音楽』を読み解いた全容はぜひ誌面でチェックしてください。
あなたの願いがあなた自身である、というメッセージ
本作『音楽』の1曲目のタイトルが、SUPER BEAVERというバンドの歌詞表現の根幹にあるものがなんであるかを言い表している。“切望”。SUPER BEAVERは「こう生きろ」と高圧的に諭すのでもなく、「こう生きれない」と嘆くのでもなく、「こう生きたい」という願いを歌にし続けてきたバンドである。もはやロックミュージックと理想主義が切り離されたかのように思える時代の中で、彼らは彼らなりの地に足の着いたやり方で、何度でも理想を歌にし続けてきた。生身の人間として、生活者として、他者と接し、社会と接し、己の孤独と接しながら生きる。その「生」の渦中で生まれる「願い」を、彼らは歌にしてきたのだ。シンプルなようでいて細部まで緻密に突き詰められた虚飾のない言葉は、独り言のようでありながら人々の悲しみも祈りも重ね合わせる普遍性を帯び、その言葉があることによって音楽と聴き手はまるで「友」のような関係を結ぶ。思えば不思議なものだ。叙情的なラブソングやリアリティを求めるバンドが増えていく状況を尻目に、「こう生きたい」という理想を言葉にし続けたSUPER BEAVERの音楽こそが強烈なラブソングであり続け、切実な人生のドキュメントであり続けているのだから。『音楽』。大胆なアルバムタイトルであり、本質的な意味ではセルフタイトルとも言える。この言葉が歌詞に登場するのは本作のラストを飾る“小さな革命”。この曲で彼らは、聴き手にこんな提案をしている。《愛とか 夢だとか 希望とか 未来のこと/そっと声にして》。この提案こそがSUPER BEAVERの音楽の秘密である……というか、これはSUPER BEAVERそのものである。彼らがそうしてきたように、あなたは、あなたが願うものによって、自分が何者であるかを語ってもいい。SUPER BEAVERはそう伝えている。(天野史彬)
消えてしまいたい夜があることも、ちゃんとわかっている
6年ほど前、まだ学生の頃に出会ったSUPER BEAVERはかっこよくて、あまりにかっこよすぎる大人で、正直自分とは距離があると感じた。それには見た目の派手さも影響していたかもしれないが、どうしてこんなにも真っ直ぐ、人として正しいことを歌い切れるんだろうと、自分にない部分をもれなく持っているような気がして卑屈な気持ちにもなった。でも、ビーバーの歌が綺麗事に聞こえたことは一度もなく、どうして私のような人間の気持ちに寄り添える歌を歌えるのか、不思議で仕方がなかった。後にバンドの歴史や人となりを知り、このポジティブさは彼らが後天的に掴んできたもので、一生手の届かぬ夢ではないと思えるようになったが、今でも人間力の差を見せつけられて、遠い背中に感じられるときもある。『音楽』には、そんな気持ちのリスナーがいることもお見通しだと言わんばかりの曲が盛り込まれている。《自分のことが自分で嫌になって/消えたいと思うときもある》というフレーズで始まる“裸”。《死にたいとか 絶望とか 今日まで堪えたのも、誰だ》と呼びかける“小さな革命”。今までにないほどマイナスの感情を直接的に描いている。命の尊さ、個の尊さを歌い続けてきたビーバーの前で、「死にたい」というのは使ってはいけない言葉かのようにどこか感じていたが、そう思ってしまうこと自体が悪ではなく、ビーバーの4人だってひとりの人間として落ち込んだり怒ったりすることもあるのだと示すことで、さらにもう一歩私たちに近づいてきてくれた。
今の私が、ビーバーが歌う一言一句全部に共感できなかったとしても、人生経験を積んで段々わかってきたり、こういう意味だったのかと発見したりする楽しさがあるから、これからもビーバーの音楽とともに生きていこうと思うのだ。(有本早季)
(『ROCKIN'ON JAPAN』2024年4月号より抜粋)
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