秋山黄色、2021年、ロックの革新がここに! 傑作『FIZZY POP SYNDROME』ロングレビュー

秋山黄色『FIZZY POP SYNDROME』
発売中
ALBUM
秋山黄色 FIZZY POP SYNDROME
強烈だ。長らくロックは死んだだの死んでないだの、時代時代で語られてきたものだけれど、このアルバムは、明確にロックはリアル(=現在)に存在するということを証明するものとなった。これがロックでないなら、もう完全に(新しく生まれるものとしての)ロックは死んだということでいい。リバイバルではない、サウンドの表層だけではない、まして何かに噛みつく振りをするだけの反逆者気取りでもない。今この2021年に、秋山黄色だからこそ生み出し得たロックがここにある。しかもそれはアンダーグラウンドもメインストリートも、どちらも思い切り揺さぶるような中毒性の高い音楽で。今の時代、「リアル」とはとかく内省的な表現に向きがちだ。秋山黄色の音楽も、もちろんそうした側面は色濃い。ごく私的な感情から吐き出される歌の数々はまさしくそうだったし、この『FIZZY POP SYNDROME』とて例外ではないだろう。しかしこのアルバムの開けた清々しさはなんなのか。この予兆は“サーチライト”にあった。かつてないほどの「直球」でロックンロールをかき鳴らし、《生きてる限り痛みは続く》《もがけ 僕らの足》と歌った。痛みや生きづらさが世の中への呪詛や怒りに終始するのではなく、もはやその痛みを受け入れて、時には面白がれるくらいの強さも身につけて生きて行くしかないという、言わば諦念からスタートしたたくましさこそが「リアル」であり、だからこそこの言葉は外へと向かう強さを持つ。シンセと歪んだギターの重厚なアンサンブルで聴かせる“アイデンティティ”が語りかける《数字で描けないから命だろう》という一節。予測のつかない展開に振り回されるのを楽しむような“Bottoms call”のラストの《一生逃げようよ/なあ》というフレーズ。飄々として痛快な“宮の橋アンダーセッション”の《道楽が/拾ったロックの道具になっちゃしょうもないんだよ/至って不真面目に遊んでんの》に見る核心。他にも絵空事ではない強さで迫る秋山黄色の歌が全10曲。何よりラストの“PAINKILLER”にやられる。満身創痍で《全部試さなきゃ分からないんだ/生きる価値なんてもん》と歌う、この凄み。かつてロックとは時代の痛みや歪みを表現するものだった。ロックが死んだとか言われるのは、その痛みがまるでリアルでないか、見当違いのメッセージで埋められた時だ。そういう意味で、秋山黄色はロックを「リアル」にもう一度引き寄せる革新を起こしたと言えるだろう。これは超重要作と断言。(杉浦美恵)

(『ROCKIN'ON JAPAN』2021年4月号より)

秋山黄色にインタビューしました! 次号ロッキング・オン・ジャパンで10ページで展開!
超若手としては異例の10ページを割いたこの記事で僕が言いたいことは2つだ。 1つは、この『FIZZY POP SYNDROME』というアルバムは、トレンドやバズや消耗品としてではない本物のポップとロックの力を見せつける最強の作品であるということ。 もう1つは、ここまでのアルバムを作った秋山…
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