彼女が注目を集めるきっかけとして大きかったのは、昨年、バラエティ番組『ゴッドタン』に出演した際に披露した即興ソングだ。「テーマはゲロ!」というおぎやはぎの矢作兼からの無茶苦茶なリクエストに対して全くひるむことなく、感動的な歌をあっという間に生み出した様は、大反響を呼んだ。このことによって「眉村ちあき=即興ソング」という認識となった人も当然多いだろう。しかし、これは彼女の魅力のほんの一部分にしか過ぎない。
では、いろいろ挙げられる彼女のすごさとは? 何よりも先に全力で言及しておきたいのは、猛烈な歌の上手さだ。R&Bシンガーのソウルフルさとオペラ歌手のような優雅さを兼ね備えていて、時にはデスボイスとラップも粋なスパイスとして加えて、ディスコ、ファンク、沖縄民謡、ロック、ジャズ、ブルース、童謡など、あらゆる音楽の風味も効果的なポイントで香らせてしまう眉村ボイスを聴くのは、堪らないほど心地よい。「上手い歌」というのは技術のレベルの高さばかりが前面に出ると無機質で面白みがない印象となる。しかし、彼女の場合、そういうことは全くない。歌っている言葉とメロディの背景にある世界と完璧にシンクロ&チャネリングした声とでも言おうか。「上手いと思われよう」という邪心と無縁のまま響き渡る彼女の歌は、人間のあらゆる営みの中に息づいている「生きている」という命の光を自然に浮き彫りにする……と表現しても決して誇張にはならないだろう。先述の『ゴッドタン』で歌ったゲロをテーマにした即興ソングが感動的なものとなったのも、ここに理由があるのだと僕は思っている。「ゲロ」とは汚いものであり、正直なところカジュアルにあちこちで吐かれては困るのだが、あのネバネバした気色悪さが生きている証しであるのは否定しようもなく、とことん吐いたその先には立ち向かわなければいけない未来が待っているのも事実だ。そういうことを、あの即興ソングで彼女は紛れもなく表現していた。
そして、彼女の作詞、作曲、サウンドアレンジ、トラックメイキングのきらめきについても、ぜひ触れておきたい。職業作家によるもののような洗練された仕上がりではないが、聴くと激しく心が戦慄かずにはいられない作風は、あらゆるジャンルから自由なのが素敵だ。彼女が「好きだったアーティスト」として挙げるのはBoAくらいであり、特定の誰かからの影響は受けていないらしいのだが、それは音楽に興味がないということを意味しない。むしろ大好きで堪らないことは、作っている曲たちが明確に示している。彼女の音楽の源にあるのは、「こういう音楽を私も作って歌ってみたい!」という無邪気な衝動という他ないだろう。例えば『めじゃめじゃもんじゃ』の曲から紹介するならば――“奇跡・神の子・天才犬!”は、対バンしたPOLYSICSから受けた刺激が生まれた切っ掛けとなった。“Queeeeeeeeeen”は、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た後、帰宅してすぐに作った曲。“書き下ろし主題歌”のBメロからサビへの転調は、『関ジャム』のクイーンの特集を観て学んだ手法が活かされている。“荻窪選手権”は、ファンクを作りたかったので在日ファンクの“爆弾こわい”を20回くらい聴いて研究した――というような本人が語っているエピソードを踏まえて上記の曲を聴いたとしても、POLYSICS、クイーン、在日ファンクを思い浮かべる人は、あまりいない気がする。「言われてみれば、ああなるほど」というくらいのところだろう。しかし、そこが実に良いのだ。
惹かれた音楽をそのまま真似るのではなく、震えた心が導いた音を素直に反映しているように感じられるこれらの曲に渦巻いているものには、「憧れ」という言葉がとてもよく似合う。実際に会ったことがあるわけではないイエス・キリストと十二使徒を想像しながら『最後の晩餐』を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチ。北欧神話をモチーフとして楽劇『ニーベルングの指環』を作曲したリヒャルト・ワーグナー。実在する銀色の自動車=デロリアンを改造した姿として未だに架空の存在=タイムマシンのデザインを提示した『バック・トゥ・ザ・フューチャー』……などなど、「こんな感じだろうなあ」、「こんな風だったらいいなあ」、「こんなだったら楽しい」と自由に想像を羽ばたかせた人間の心は、とても美しいものをたくさん生み出してきた。それは真実とはかけ離れたものだとしてもリアル極まりない。そういうものに通ずるフレッシュな息吹に満ち溢れながらオリジナリティを発揮している彼女の音楽を聴くのは、桁外れにワクワクできる体験だ。
身体能力の圧倒的な高さに裏打ちされた予測不可能な動きのダンスとアクション。ステージと客席の境を一切作らずに繰り広げるスリリングなライブパフォーマンス。「株式会社 会社じゃないもん」の代表取締役社長として次々と打ち出す斬新な経営ビジョン、狂熱の株主総会、バスジャックライブや無人島イベントなどのブッ飛んだ企画。突然ファンに呼びかけて行うハンカチ落としや、どーんじゃんけんぽん大会。ハゲに対する並々ならない深い関心と愛情。ビルボード1位やグラミー賞受賞を目標として掲げるスケールの大きさ……魅力は、その他にもいくらでも挙げられる。そして、そんな彼女が自身を「シンガーソングライター」や「アーティスト」ではなく、「弾き語りトラックメイカーアイドル」と称していることにも触れておきたい。昨年、本人にこの点に関して訊いたところ、「アイドル」という呼称がマイナスに働く場面も大いにあり得ることを承知しているが、明確なジャンルとしての枠組みがあるわけでもないこの言葉が含んでいる可能性は無限大であり、音楽だけにとどまらないあらゆる活動をエンターテインメントへと昇華することにも繋げられるのだという旨を語っていた。彼女の核にある雄々しいファイティングポーズが窺われて、とても嬉しい気持ちになった。
テレビやラジオなどを通じて眉村ちあきに触れると天真爛漫な発言や行動が目や耳に留まりやすいのは事実であり、容姿も思わず顔が綻ばずにはいられないほど愛らしい。しかし、彼女の本質にあるのは音楽家としての圧倒的な表現力、クリエイターとしての豊かな才能、人としての美しい志の高さだ。その点は実際に曲を聴けば真っ直ぐに伝わってくるので、興味がある人は早速チェックした方がいい。本人の言葉を借りるならば「メジャー感のある曲」である“ピッコロ虫”や“ブラボー”辺りが、まずは最初の入り口として最適だろう。そして、“荻窪選手権”や “ナックルセンス”を聴きながら無我夢中で踊ったり、“宇宙に行った副作用”や“東京留守番電話ップ”で妖しい異世界を感じたり、“ツクツクボウシ”や“ビバ☆青春☆カメ☆トマト”を元気いっぱいに歌ったり、“スーパーウーマンになったんだからな!”や“おじさん”で涙腺を緩ませたりしたら、あなたは立派なマユムラー(眉村ちあきファンの呼称)だ。その先には、楽しくて仕方がない世界が広がり続けることを全力で保証する。(田中大)