今や「ボカロP・石風呂としても人気を博している
コンテンポラリーな生活・朝日(G)を中心として結成された」といったプロフィールも不要なほど、その自由闊達かつルール無用なバンドアンサンブルを通して眩しい存在感を放ち続けている
ネクライトーキー。「何も変わらない僕らの日常」を「明日何かが起きるかもしれない革命前夜」に塗り替える、オルタナ青春群像劇とでも言うべきポップでリアルな楽曲世界を、ここでは以下の5曲を通して読み解いていきたい。(高橋智樹)
①オシャレ大作戦
朝日が鳴らし続けてきたルサンチマンが「音楽を極限まで遊び尽くす」という形で結実したこの楽曲を、希望なき時代へのパンキッシュな闘争宣言として受け取ったのは僕だけではないと思う。《お金もない、努力もしない/二十五を過ぎたら死ぬしかない》という灰色の葛藤を「さぁ!」と快活にポップの彼方へ撃ち放つもっさ(Vo・G)の無限の肯定性と、各メンバーのソロパートも導入したプレイヤー志向ぶりが交錯する――そんな極彩色のカオスに、
イエス“ロンリー・ハート”以上のオーケストラヒット連打が痛快に拍車をかけている。
②許せ!服部
4つ打ち基調のビートに乗せて繰り返し歌われる《許せ!服部》のフレーズは、お金やら何やらいろんなものを貸してくれている友人への(至って自分勝手な)免罪符。《流れに流れた時の中でも/消えない物があるもんさ/愛とか恋とか/そんなよくわからんもんとかじゃない/金さ/金だけだ》――隙間の多い愉快犯的なアンサンブルといい、軽快なリズムと朝日のディストーションサウンドのコントラストといい、
ブラー“ガールズ&ボーイズ”にも通じる中毒性を備えた1曲。
③めっちゃかわいいうた
キャッチーさの結晶のようなもっさの声で《価値も意味もないような/かわいいだけの歌になればいいな》と掲げられる言葉とは裏腹に、朝日の渾身のリフや藤田(B)&カズマ・タケイ(Dr)のタイトなリズム、中村郁香(Key)のうねりまくりのシンセなど「オルタナポップの輝度」と「バンドとしてのアイデンティティ」が凝縮された1曲。《腹の立つことがあれば/ネクライトーキーと/(叫びゃいいからさ)》のラインには、今この時代の最高の「逃げ場所」を音楽で構築するというトライアルへの意欲も滲む。
④音楽が嫌いな女の子
「石風呂」時代の楽曲をネクライトーキーのメンバーとともにバンドアレンジでセルフカバーしたミニアルバム『MEMORIES』収録曲。《ずっとついて行くとか/一生好きとか/言っていたような女の子揃って/いなくなったんだよな》という「インディーズあるある」な怨念を藤田の熱唱に託し、悲哀も自虐も《ほらもっと掻き鳴らせ》ともっさのボーカルとともに前へ先へと突き動かす図は、ネクライトーキーという音楽回路への朝日の信頼感を何より明快に物語っている。
⑤ぽんぽこ節
メジャーデビューアルバム『ZOO!!』収録。「ぽんぽこ節って何?」という思考よりも先に、ファンキーな16ビート/シャッフル感の心地好いポップソングのパート/紅蓮の5拍子ハードロックと《ぽんぽこ節の「なんたるか」/教えたろかニンゲンドモ》のリフレインが入り乱れる、4分間のプログレ的な音の坩堝へと叩き込まれる。訳知り顔の能書きを(丁寧かつ鮮やかに)無効化し、触れる者一人ひとりを刻一刻と高揚感の果てへと誘うネクライトーキーという磁場の抗い難い訴求力を、この曲は実に朗らかに、しかしまっすぐに証明している。