ハッピーエンドだけどエンドじゃない - ランクヘッド『pluequal』ツアーファイナル恵比寿リキッドルーム公演の不完全なライブレポート

開演予定時刻の19時をすこしだけ過ぎて始まった一曲目は「白い声」、メジャーデビューシングルでありバンドがとても大切にしている曲でもあり、近年ではアンコールの最後などでしか演奏されない曲を最初にもってきたことで、バンドがこのライブを重要だと思っていることやそれに対する決意のほどが感じられた。
小高芳太朗の奏でるアルペジオののち、バンド全体が合流すると弾けるようにフロアからたくさんの拳が上がるのがわかる。

お客さんほんとうにたくさん入ってる、だってソールドアウトだもんな。そんなことを僕は右手に持ったiPod touchにてYouTubeの生配信を観ながら思う。
そのとき僕の乗った都営浅草線は浅草駅を過ぎたところ、仕事を休んだり早退できなかった僕は定時で仕事を切り上げられたものの、まだリキッドルームにたどり着けずにいた。

YouTubeなどでのライブの生配信にはどこか抵抗があって、去年のフジロックの中継とかも観られないでいたのだけど、このときはうれしかった。
これから観にいくライブの中継を観るというはなんとも妙な話だし、不思議な気分だったけど、でもうれしかった。
バンドはこのライブをその活動のなかでとても大事なものとして位置づけていたし、この生配信もそのためのいろいろな施策のひとつだったから、それならばとありがたく観させてもらうことにしたのだった。

二曲目は「シンフォニア」で、照明は白を基調とした前曲とはうって変わってカラフルに彩られていて綺麗。それに、大勢のオーディエンスの腕に付けられた色とりどりに光るツアーグッズのブレスレットが、まるで照明に共鳴しているみたいに見えた。そしてそれらの光を受けるメンバーはとてもいい顔をしているように見える、たのしそうなんだけど、それだけじゃなくて何かこれまでの歴史や道のりを噛みしめるような表情をしているのを、iPodごしに見ていた。

それにしても選曲、しょっぱなから飛ばしているなと思う。
それに、この二曲の歌詞をならべると“独り”と“僕ら”の対比が鮮やかに際立って、これらはまるでバンドとファンの関係性を表しているようだなとこの日は特にそう思った。なぜかというと、図らずともこのライブの主題はファンとの関係性であるかのようになってしまっていたからだ。

  そうやって独りで生きてきたんだって
  君は笑いながらちょっと泣いた
  僕はなんだかほっとしてしまった
  僕だけじゃなかったってほっとしたんだ
  「白い声」

  響きあう音が 交じりあう僕らの声が
  生きている事を確かめあうみたいに
  ここにいる 僕らは今ここで生きているって
  それだけで救われたって
  それだけで、ああ、救われていいんだ
  「シンフォニア」

つづいては新譜『plusequal』から「ヒナタ」と「光のある方へ」が演奏される。こうやって見晴らしのいいアングルから撮られてバランスが調整された音響にて楽しむのもわるくないなこれは便利だなとライブ配信に対して手のひら返しをしていたところでちょっとした問題が発生する。東銀座にて階段を降りて東京メトロ日比谷線に乗り換えたあと、ネットワークの調子がわるく映像が途切れるようになってしまったのだ。
「きらりいろ」も(きらりいろ!)「SHIBUYA FOOT」も途切れ途切れの視聴となりやきもきする。画面に表示される白い輪っかが非情で非常に憎い。こんなことなら地下鉄は避けて陸路(JR山手線)で向かえばよかった、いやこんなのそもそもライブに遅刻する俺がわるい。とひとりごちる。

観客各位はそれぞれの都合のもとにライブにいったりいけなかったり遅刻したり早退したりする。どんな会場でもどんな日取りでもどんな時間でも都合のつくつかないが必ず発生する。
たぶん、それぞれがそれぞれの生活のあい間を器用もしくは不器用に縫って、決められた会場の決められた日取りの決められた時間に集う。それはやっぱりあたりまえのことなんかじゃ決してなくて、いちケースいちケースがとても特別なことなんじゃないかなと、定刻から大幅に遅刻をしているいま、あらためてそう思う。

駅に着いて地上にでると配信がスムーズに聴こえるようになりほっとする。iPodは胸ポケットにしまって、熱のこもった「体温」を聴きながらにぎやかな恵比寿の街を小走りでリキッドルームにむかっていると、次の曲は「シンドローム」でちょっと笑ってしまう。まだ序盤なのに「体温」からの「シンドローム」ってほんとうに飛ばしている、シングルコレクションかよ。新譜以外の曲は既存の曲たちからのオールスターみたいなもので、これはきっとひさしぶりにライブにきたひとたちの為なんだろうなと思う。なんか決戦みたいなんだよな、今日のライブは。

この日のライブの背景についてすこしだけ説明をしたい。
7月19日の恵比寿リキッドルームでのランクヘッドのライブは、4月に発売された12枚目のアルバム『plusequal』にともなうツアーのファイナルなのだけれど、そこにはいささか普通ではないある物語のようなものが付随してしまった。それをざっと要約してみるとこうなるだろうか。

まず、6月上旬にボーカルの小高芳太朗がブログにて公開した文章の内容は、おおまかに云うとこうだ。

“ファイナルのチケットが会場のキャパシティに対してぜんぜん売れていない、それもあってこのままではこれまでのような活動の継続が危うい、それを回避するためにどうしてもリキッドルームをソールドアウトさせたい。”

そのファンにとっては衝撃的かつ前例があまりない類の賛否を呼びかねない告白やら吐露やらを受けて、まず熱心なファンがいろいろな宣伝に動いて、それに背中を押されたり蹴っとばされるようにランクヘッド自体ももっと動いて、もちろんその流れがもたらしたのはいいムードだけではなかったように見えたけれど、でも結果的には当初四分の一も売れていなかったチケットがひと月ほどでソールドアウトするに至ってしまった。
この騒動はランクヘッドのファン以外にもすこし広がって、バンドが活動することについてのあり方や宣伝方法についての議論を巻き起こしてもいるようだった。

という訳で今日のライブは図らずともスペシャルなものになってしまった。おそらくずっとバンドを支えてきた熱心なファンだけでなく、近年離れていたファンや初見のひともおおくいて、異様な雰囲気が、ライブがはじまるずっとまえから漂ってしまっていた。

そんなどたばたを僕は(いろいろなことを思いながら)SNS上で眺めていた。行動したことといえばそのブログの翌日にチケットを買ったことくらい。そう、リキッドルームのチケットは買っていなかった。このツアーの初日である5月の新宿ロフトでのライブを観ていたので、ファイナルはいいかな、このツアーはもう観たし、それに金曜だし、と考えていた。つまりじぶんの都合を優先したのだ。
それを恥じるつもりはないのだけれど、バンドの生々しい現状を聞いて、いままでリリースされたCDはすべて買って、ライブも毎年観ていたひとりのランクヘッドのファンとして、この日にいけなくもないのにいけなかったら、このバンドを15年間ずっと好きでいた意味がすこし薄らいでしまうのかもしれないな、それにこいつがこんなに困っているんだし。と、不遜な目線で思った。
仕事は休めないかもしれないし早退できないかもしれないし残業をするはめに陥るかもしれないけど、遅刻することになってもなんとか開演中に恵比寿にはたどり着けるだろうという算段だった。
……結果として遅刻しているわけなんだけど、それでも時間はたぶん半分以上残っている。チケットを無駄にすることにならなくてよかった。

リキッドルームに到着したのは開演時間を45分ほどすぎたころ。重い扉を開けてひとのおおさにびっくりする。ほんとうに後ろまでぎっちり埋まっていて、なんだかそれだけで感慨深い。いや、フロアが埋まって喜ぶべきなのはバンドの側であるはずなんだけど、なんだか僕までこの光景がうれしくてしょうがなくなってしまった。

うれしかった。だから遅れてきた僕が位置できたのは、小高芳太朗がちょうど柱に遮られてしまう入り口すぐのスペースだったのだけれど、これはまるで売り切れた後になんとか捻出した注釈付き指定席だな! みたいな感じでもう逆にうれしかった。
変な話だけど、フロアに降りられなくて、視界がよくなくて、そんな場所でしか観られないいまこの状況が、すごくうれしかった。お客さんがおおいとは云えないこのバンドのライブもたくさん観てきたから、ちょっと考えられなかったりもする。ランクヘッドを観にきたひとがこんなに集まっていることがうれしかった。

ライブは中盤にさしかかって新譜から「極光」「心音」「いつかの」を演奏。ステージの見晴らしはよくなくても音はよく聴こえる。ギターロックバンドとして得意の速い曲だけじゃなくて、テンポを抑えた重めの曲でも表現力が冴え渡っているのがわかるし力の入りようもよく伺える。

そして代表曲でもある「夏の匂い」と「プルケリマ」がそこにつづいて、やっぱり大盤振る舞いだなとつい笑顔になってしまう。当然だけどこの日は歓声も拍手もいつもより大きくて、ライブはバンドとオーディエンスの双方で成り立っているんだよな、みたいな当たりまえのことを、よりつよく感じた。届けることと受け取ることのコミュニケーションのようなものが高濃度で成立しているんだな、みたいなことを思った。

  抗い続けよう
  僕らのこの弱く儚い心で
  喜び続けよう
  たとえ未来が暗闇で見えなくても
  あなたと手を繋いでいよう
  「小さな反逆」

観るのが3回目になるんだけど、そのたびにどんどん壮大になっている「小さな反逆」はまるでこの日のこのバンドのテーマソングかのようだった。この曲を終えて、ライブは終盤をむかえる。

持ち前の疾走感があふれる「朱夏」、この季節にぴったりの「スターマイン」、リキッドルーム全体が飛び跳ねているようだった「アウトマイヘッド」とテンポが速い曲がならんで、僕は演奏を聴きながら同時に、盛り上がってるフロアも眺めていた。思い思いに手を挙げ、思い思いに飛び跳ねるフロアをじっと観てやっぱりじーんとしてしまう。なんなんだろうか、このじぶんに芽生えている謎の保護者目線は。

小高芳太朗がギターを置いて僕は(来たな)と思う。必殺の「ぐるぐる」が投下されてまた一段と会場が盛り上がる。この男がジャズマスターを手放してハンドマイクになると緻密なバンドアンサンブルと引き替えに更なる表現力や訴求力を手にする……、みたいな気がするからとても好きだ。
つづいてハンドマイクのまま「僕らは生きる」を演奏。この曲ももってきてほんとうに総力戦。観客を巻き込んでの大合唱のなか、小高芳太朗はもちろん、ギターの山下壮も、ベースの合田悟も、ドラムの桜井雄一もみんな、さっき映像で観ていたときよりもよりいい顔をしているように見えた。もちろん彼らがこのとき何を思っていたかはわかりえないのだけれど、でもいろいろあった挙げ句、最高の景色と最高の声が届いているんじゃないかなと思う。

万感の大合唱を終えて最後は新譜からの「はじまれ」。過去の曲が豪華と書いてきたけど、この曲なんかは特にそれらと互角以上にやりあえると思っていてぜんぜん昔の曲に負けていないし、そういう曲をつくりつづけられるのがランクヘッドの強みだと思っている。それにこうやって結成20周年をむかえてなお、はじまりでもはじまるでもなくはじまれと歌えるのがいいなって、勝手に思っている。

  さあ、始まれ
  「はじまれ」

本編最後の曲だけど、でもほんとうにここから、もしくはいつでも、はじまればいいんだって、聴きながらそう思ってしまった。

本編を終えてすぐ会場をあとにするひとがいて、これはたぶん僕とは逆の場合で、アンコールの最後まで観ることができない都合のことを思った(そのため見晴らしのいいところまで無理なく移動できてしまった)。
そしてアンコール。ここからの選曲もこの日だからという感じがして感慨深い。
もし事務所も車もなくなったとしても、君たちがいるし、いてくれたことは財産だと思う。という旨のMCのあとに演奏された「共犯」もまたこの日のハイライトだったように思う。

  現実や限界や諦めが
  これからも僕らを飼い馴らそうとしてくるだろう
  でも君となら 僕らなら
  こんな夜を切り裂いて
  震えるようなもっと凄い景色を見に行こうぜ
  そう 君となら

  これはある種の共犯めいた僕らの誓いの歌
  「共犯」

……なんだかこの日のための曲なのかと勘繰りたくなる歌詞が今日はとてもおおいのが印象的で、つまるところランクヘッドはひととひととの関係性をずっと歌ってきたバンドだった。そこをつきつめて共犯にまでのぼりつめてしまったのがおかしいくらいだけど。

そのあとはバンドの所信表明的な「前進/僕/戦場へ」を、そしてダブルアンコールではこれしかないという「カナリア ボックス」を披露する。

  あなたに会えた
  僕らは泣いて笑って生きていく
  この目と手と声と耳と
  命全部で歌いながら
  あなたに会えてよかった
  あなたに会えてよかった
  あなたに会えた世界に歌声が響くよ
  「カナリア ボックス」

多幸感なんて評したら大げさだろうか、この日のライブはたのしいを通り越してちょっとむず痒いけれど幸せ、なんて言葉を用いたくなってしまうような感じだった。
バンドが泥臭く助けを求めて窮状を声にだして、それにファンが応えソールドアウトにこぎつけてしまったし、ランクヘッドはその熱に応える演奏をした。
だからこのライブは、この一ヶ月すこしのどたばたからの、正直なころ想像しづらかったハッピーエンドなんだなと僕は思った。もちろんエンドじゃなくて、これからもつづいていって欲しいわけなんだけれど、でもこのライブは幸せな結末をむかえることができたんじゃないかなと思った。
3回目のアンコールを求める規則的な拍手が鳴りやんだあとに最後にステージに向けて自然発生的にわき起こった拍手を聴きながら、そう思った。


この作品は、「音楽文」の2019年8月・最優秀賞を受賞した東京都・ヨシオテクニカさん(36歳)による作品です。


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