古舘佑太郎という青春小説

あるミュージシャンのエッセイ本にこんな話が出てきた。
「10代のころ胸ポケットにこっそりとナイフ、もしくはカッターを隠し持っていた人は10人に1人くらいの割合でいる。現になんとなくこの人と話が合うなと感じた人に聞いてみると確かに10代のころカッターを持ち歩いていた時期があったと」

実際に刃物でなくてもティーンエイジャーの時期、それぞれ程度は違えど「心に爆弾」を隠し持っていた人の数はそう少ないものではないと思う。その時の理由のないヒリヒリ感、焦燥、周りに対する苛立ち、そんな鬱屈した時間を閉じ込めたようなバンド、それが昨年2015年3月に活動を休止した「The SALOVERS」であった。

高校の同級生で結成され、それからわずか1年で閃光ライオット、翌年にはFUJI ROCK FESTIVAL「ROOKIE A GOGO」などのフェスに出演。当時まだ18、19歳という若さでありながらファーストアルバム『C'mon Dresden.』をリリースし、若手バンドシーンで抜きん出た存在となった。まさにティーンによるティーンのための音楽で、彼らを説明する時はよく「青春」という言葉が使われた。しかしそれは一般的に言われる青春とは少し違った意味合いのようにも感じた。たとえばクラス全員が一致団結して盛り上がる学校行事の裏で、体育館裏に集まり好きな音楽や女の子の話をしたり、エレキギターを生音のままポロポロと弾いている。そんな「少人数の青春」の方が当てはまるバンドだった。

The SALOVERSには主に同世代に共感される歌詞、特に冒頭で言った「心に爆弾」を隠し持つ青年の心情を代弁するかのような歌詞も多く、たとえば最後のシングル曲となった“文学のススメ”ではこんなことを歌っている。

「拝啓 夜の街 馬鹿な顔した奴らが ブスを抱きたくて必死になって口説いてる」
「くそったれ―― 檸檬の爆弾持ってる 爆発5秒前」

今にも爆発してしまいそうな、感情的で危うい歌詞。そしてこの曲を聞いた時ある小説の主人公が彷彿した。新聞配達をしながら予備校に通う19歳の浪人生の日々が描かれた背徳的青春小説、中上健次の『十九歳の地図』だ。主人公の青年は新聞を配る際、気に入らなかった顧客の家に×印をつけていき、×が3つそろったらその家にいたずら電話をかけて感情のままにこんなことを怒鳴る。

「ばかやろう! ふっとばしてやるからな、何もかもめちゃくちゃにしてやるからな!」

ティーンの行き場のない怒りと、曇天のようにいつも頭上に広がるふわふわとした絶望。それが痛いくらい鮮やかに描かれたどちらかというと暗い作品だが、顔をしかめて怒鳴るように歌うボーカル、古舘佑太郎の姿がこの主人公と重なった。古舘自身、曲中にサリンジャーや三島由紀夫を登場させていることからも文学に造詣が深いことはあきらかで、その歌詞にどことなく純文学を感じさせるものがあることも、The SALOVERSの音楽と中上健次の小説がつながった理由の一つだろうと思う。

しかしそんな鬱屈した時も通り過ぎ、The SALOVERSは無期限活動休止に入る。そしてそれから約半年が経ち、古舘のソロプロジェクト始動のアナウンスがされ、昨年10月にはミニアルバム『CHIC HACK』がリリースされた。この作品はバンド時代に比べると少し落ち着いた印象だが、ソロだからこそできる音のアレンジや、より私小説的な歌詞が含まれ、ソロとしての今後の展望が楽しみになるような風通しの良いアルバムだ。アルバムの一曲目に収録されている“タンデロン”はこんな歌詞から始まる。

「そして僕らの未来は あの子が唄っていた 唄みたいになっちゃった」

古舘はすでにあのころぼんやりと霞んで見えていた未来にいる。しかしこの曲の中でこうも歌っている。

「Tシャツをビリビリに着て 皮肉をそっと笑って 悩ましい恋を綴ってよ」
「なくしてしまった宝石とか 思い出せない素敵な夢さ」

青春の日々はまだはっきりと彼の背後にあり、むしろそれを引きずりながら未来を生きている。The SALOVERSの音楽で描かれていた青春はまだ終結することなく彼とともにあるのだ。

「死にたくないとか生きてゆけないとか 若き日によくこぼしたあの口癖は いつの日か誰かの心を癒すでしょう」

過去、古舘が歌っていたこの言葉のとおり、鬱屈した青春の言葉は今それを過ごしている少年少女たちにも、心の爆弾をいつのまにか手放した人々の胸にも響くに違いない。だからこそ古舘自身がいつ開いても鮮やかにその時の気持ちを思い出せる青春小説として、これからもその歌をとどろかせてほしいと思う。


この作品は、第1回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞したまりなさん(24歳)による作品です。


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