「アジカンという呪い」を超えて - ASIAN KUNG-FU GENERATION『荒野を歩け』が拓いた地平

アジアン・カンフー・ジェネレーションが、「10代のころ好きだったバンド」から「10代で好きになって、今もなお愛すべきバンド」になった。
2016年末に発表された再録盤『ソルファ』のときからそうなる予感はしていたけれど、過去の楽曲の再演を経て発表されたこの完全新作は無敵だ。肩の力が抜けたバンドサウンドは『サーフ ブンガク カマクラ』を思わせるWeezer的パワーポップに結実しているが、あの頃とは違ってバンドの基礎体力がガッツリ向上した感じも受ける。ゆるく主旋律をなぞるギターも今までになくメロディアスに歌うようで心地良いし、渋味を増しつつ軽やかに歌い上げるヴォーカルも最高だ。映画『夜は短し歩けよ乙女』の主題歌として、「どうしても主役になれない、にっちもさっちもいかない僕らのうだつの上がらない青春活劇」を象徴する一曲だと思う。
ただ、自分はそれ以上に、「アジカン、決意をしたな」と思った。

時は少し遡る。リアルタイムでCDを買ったりライブに足を運んだりという行為から何年も遠ざかっていた自分は、なつかしさという単純な理由で再録盤『ソルファ』を手に取った。そこから結成20周年ツアーの武道館公演に参加し、また少しずつ彼らの音楽を聴くようなライフスタイルに戻ったのだが、離れていた間に行われていたデビュー10周年ライブのドキュメンタリーブックに目を通す機会があった。そこで、自分としては衝撃的だった後藤正文の発言を目にしたのだ。

「でもね、そういう偶像性が上がっていくと、僕らとしてはとっても窮屈なわけで。そうなるとみんな、音楽を聴かなくなるっていうか、ライヴにしても"観に"来ちゃうから。いや、いいんだよ? ライヴは観るものだから。でも4人でいればなんでもいいっていうのは違うだろう、と」(『ジュウネン、キセキ。』エムオン・エンタテインメント刊)

「アジカンの、ではなく、音楽のファンであってほしい」という願いは、このバンドの根源を成すものだ。だから、必要以上に偶像性を背負わされたくない、という彼らのスタンスも、アジカンというロックバンドを好んでいる人にとっては、ある種当たり前のことであるのかもしれない。自分とて、後藤のそういった問題意識や苦悩に無自覚だったわけではない。ただ、「自分は誰よりもアジカンを理解している」という無根拠な万能感に浸っていた10代の頃と違って、20代になった自分は、その言葉の意図するところを身をもって自覚することができてしまったのだ。
10代の自分にとって、アジカンはヒーローだった。何か秀でたものを持っているわけでもない、ひとの輪に屈託なく入っていくのも躊躇う、そうやって理由もなく迷いや悩みを引き摺り続けてしまうあの頃の自分に、アジカンはずっと寄り添ってくれていた。街中を歩いていても気づかなさそうなほど、どこにでもいそうな普通の四人が、ひとたび楽器を手にして演奏を始めればあまりにもカッコいいロックスターへと変わる。そんな夢を、自分はアジカンに託していたし、それによって勇気を貰い、時には生きる気力をも分け与えられていた。
だからこそそんなアジカンを、あの四人を必要以上に神聖視して、心の拠り所にするために固執している部分があった。同年代のひとにはきっと共感してもらえるだろうが、当時の自分がどれだけ「アジカンのゴッチ」に憧れ彼のようになろうとしていたか(もちろん無条件に追随していたわけではないけれど)、あまりにも青くて思い出すと笑ってしまう。
今思えば、それもまたファンとしての一つの在り方だったのだろう。ただ、そういった憧憬を素直に受け止めるだけにアジカンは留まらないし、リスナーとの向き合い方、己の発信の仕方を常に手探りで暗中模索してきたバンドだ。それゆえの困惑が上記の発言に表れていて、その内容以上に、ここまで来ても彼らはまだ真摯に迷い続けているんだな、と衝撃を受けたのだった。

ロックバンドには「望まれる姿」がある。初期衝動という(形骸化した)言葉に象徴されるような音像についてはもちろん、アジカンの場合、本人たちの思う以上に「この四人であること」「アジカンらしくあること」が望まれていた。それは、例えば『マジックディスク』に代表されるギター・ベース・ドラム以外の楽器の投入や、ライブでのサポートメンバーを含む五人・七人編成に対するファンの反応に如実に表れていると言えるだろう。音楽的には豊饒になるはずの進化が、必ずしもファンに諸手を挙げて肯定されるわけではない。
自分自身、今はそういった拘り薄くアジカンを聴けているけれど、10代の頃の自分は、多分「四人であること」「アジカンであること」双方を強く望んでいたと思う(当時の日記を見返したら、「ゴッチは絶対ソロをやらないと思う」なんて書かれており、これまた笑ってしまった)。
アジカンは、ずっとそこに葛藤を抱いていたのではないか。「やりたいこと」と「やってほしいと望まれること」の板挟み、とまとめてしまえば単純ではあるが、彼らはそれだけ大きなバンドになってしまった。思えば、『ソルファ』のヒットというシンデレラ・ストーリーを歩んだアジカンがその次に制作したのは、『ファンクラブ』という重く鬱屈とした決して明るくないアルバムだった。自身の歩んだ道程を疑うことはなくとも、常に自問自答しながらやってきたバンドなのだ。
なんて不器用だ、と思う。最初から反応など気にしないで好き勝手にマニアックな音楽を作ればいい。あるいは、くまなくリサーチをしてリスナーの望むような音楽だけを作ってもいい。でも、アジカンはそのどちらにも振れない。しっかりと先を見据えて走るのではなく、際どい厚さの刃の上に立ちふらふらと歩いているような、そんな危うさだ。
けれど、それが人間的でもあるよな、とも感じる。

ここまで語って、ようやく新曲の話に戻れる。『荒野を歩け』は、前述したように非常に肩の力の抜けた、万人に訴求するであろうキラーチューンだ。周囲の反応を見れば、「アジカンらしい!」「あの頃のアジカンが戻ってきた!」といったものが散見される。新しさも進化も存分に盛り込んだこの曲に対して、それらの意見を全肯定もできないし、らしさ、という曖昧な言葉を使うことには躊躇するが、ある種、「ド直球なアジカンらしさ」のパブリックイメージに合致した側面も持つナンバーである現れかもしれない。
アジカンは――特に『マジックディスク』以降は――ずっと気負ってきたバンドであるように見える。それは一度でもヒットを出してしまったバンドとしての宿命でもあっただろうし、バンドに大きな影響を与えた震災の後のアティチュードでもあっただろう。しかし、『荒野を歩け』にはいい意味でそれがない。例えば『Wonder Future』というアルバムが「気負ったアジカン」のかっこよさの最高峰だとするのなら、『荒野を歩け』にあるのは「気負わないアジカン」のかっこよさだ。
どちらがいいとか、どちらが悪いとか、それは個々人が判断することではあるけれども、自分はまず、ここにきてアジカンが『荒野を歩け』のような楽曲を発表したことが嬉しい。
アジカンはずっと、自分たちがアジアン・カンフー・ジェネレーションであることへの迷いを抱いてきたバンドである、というのが真なら、それは言うなれば、「アジカンという呪い」だ。ファンに、あるいは世間に「かくあれかし」と望まれ、そうやって人々の願いや祈りを一身に集めてきたのがこのバンドで、その重みと誠実に向き合ってきたからこそ彼らは悩み続けた。
だが、ここにきてアジカンは、その「呪い」を背負うことを決意したのではないか。
反抗ではない。恭順でもない。望まれる物を受け止めて、それもまた自分の一部にしていく。「かくあれかし」何するものぞ、と笑い飛ばす。そんな力強さが、青春の無敵さとオーバーラップしつつ、『荒野を歩け』という曲では光り輝く。

――「君らしくあれ」とか 千切ってどこか放す(『荒野を歩け』より)

結成20周年記念ツアーのステージで、後藤は「アジカン以上のバンドは組めない、この四人が集まると変なパワーが生まれる」と語ったという。本人たちも予測のつかない部分でアジカンというバンドは駆動し、大きなエネルギーを生み出してきた。それがバンドというものの宿命ならば、「アジカンという呪い」もまた、打ち倒すものでもなく、かといってその奴隷になるのでもなく、最終的には背負うべきものであったのだと、彼らは悟ったのではないだろうか。そして、その流れから生まれたのが、この『荒野を歩く』なのではないか。
この決意はどう転ぶのだろう。「アジカンという呪い」を背負う、というクリティカルな判断をした彼らが、この先どんな作品を作っていくのか。しっかりと見届けたくなる、そんな曲だった。


この作品は、「音楽文」の2017年5月・月間賞で入賞した柴山ヒロタカさん(26歳)による作品です。


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