ワタリドリの行方 - —デビュー10周年の[Alexandros]というバンドについて

 2015年1月のある夜、カーテンを閉め切った部屋で、ラジオを聞きながら勉強をしていると、突然、目の前に青空が広がったような錯覚に陥った。そんな状況に陥った原因は、ラジオから聞こえてきたある曲。それが、[Alexandros]の『ワタリドリ』であった。その曲を聴くまで、私は[Alexandros]というバンドを知らなかった。知らないバンドだったので、新曲をラジオで初解禁するとはいっても、特に注意して聴くことなくシャーペンを動かしていた。しかし、イントロが流れてきた瞬間、シャーペンの動きが止まった。それと同時に、目の前がパッと明るくなり、青空が広がっている場所に連れてこられた気がしたのだ。「何だこの曲は?!」と思ったのは、曲が終わった後だった気がする。詳しくは覚えていないが、こんなに爽やかな音ってあるんだ、こんなに格好いい曲を演奏するバンドがいるんだと、相当な衝撃を受けたことは確かだ。その日は、もう勉強が手につかないほど興奮していたと思う、たぶん、おそらく、いや、そこまでではなかったかもしれないが。

 それから、私は[Alexandros]というバンドが好きになった。彼らもまた、2015年3月の『ワタリドリ/Dracula La』のリリース以降、階段を一段飛ばしで駆け上がるような怒濤の日々を送っていたことだろう。それから5年後、メンバーの庄村聡泰(Dr.)が“勇退”することとなった— 
私が初めて[Alexandros]を知ってからちょうど5年というタイミングで発表されたメンバーの“勇退”。これには縁を感じずにはいられなかったので、『ワタリドリ』の何が衝撃だったのか、バンドにとってどんな曲なのかを自分なりに考えるとともに、バンドのメンバーが変わることについても書きたいと思う。

 前述の通り、『ワタリドリ』に衝撃を受けた私ではあるが、この曲を初めて聴いた時期も関係しているのだろうと思うのだ。高校2年生。これから進路を決めなければならないが、そこまで切迫した状況でもない。何というか、宙ぶらりんな時期なのだ。私もその時期は、進路についてそこまで真剣に考えていなかった。大学に行こうか、行かないか。でも、行かないとしても、特にやりたいことはない。だったら行った方がいいかな、といった具合に。現状に不満があったわけではないが、心のどこかでは刺激を欲していた。そんな宙ぶらりんな時期に、『ワタリドリ』に、[Alexandros]に出会った。ラジオで初めて聴いてから、すぐにCDを予約した。そして、手元にCDが届くと、例のごとく歌詞カードを見ながら音量をいつもよりも上げて聴いた。歌詞カード見ることで得られる視覚情報と、スピーカーから出る音から得られる聴覚情報を同時に取り込んだ中で、最も脳を刺激したのは、やはりサビのあの部分だった。

《追いかけて 届くよう
 僕等 一心に 羽ばたいて》 (“ワタリドリ”)

何かを必死に追っているんだ。簡単に手に入らないものを追いかけて、追いかけて、もがいている。そんな印象を受ける言葉が、川上洋平(Vo./Gt)の突き抜けるようなハイトーンボイスで伝わってきた。爽やかさの中に、燃えるような強い意志や、前に進むエネルギーの大きさを感じたのだ。それもそのはず。彼らは“世界一のバンドになる”と公言していた。「世界一」、口にするのは簡単だが、それを実現するのはどれだけ難しいのか、想像すら困難なくらいだった。でも、彼らは本気でそれを実現しようとしている。何度も言うが、宙ぶらりんな時期をふらふら生きていた私にとって、彼らとの出会いは衝撃だった。一つの目標に向かって突き進む人達がこんなにも凜としていて、美しいものであるとは知らなかったから。曲を聴きながら、無意識のうちに「格好いい‥」と吐息に混じって口から漏れていたいたかもしれないが、誰も証明できる人がいないので、記憶違いかもしれない。でも、本当に、心の底から格好いいと思える曲、バンドに出会ってしまったことが嬉しくて仕方なかったということは鮮明に覚えている。
 [Alexandros]にとっては、メジャー初シングルの一曲である『ワタリドリ』。メジャーデビューシングルというと、「ここから始まります!」と高らかに宣言するような曲という印象を持つ。しかし、デビュー当時から世界を見据える彼らにとっては、そこに至るまでのプロセスの一つだという感じが強かった。「ここからはじまり」ではなく、「今後の活動のための起爆剤」として、『ワタリドリ』という曲が世に放たれた気がするのだ。もちろん、「初めまして!私たちが[Alexandros]です!!」という言葉が、声にならない叫びとして聞こえてくるような、エネルギーに満ちあふれた曲であることには変わりない。

 そして、デビュー10周年、メジャデビュー5年目の年に、ドラムのサトヤスが“勇退”を発表した。時を同じくして、“脱退”だの“卒業”だの“活動休止”だの様々な言葉が世間を騒がせている中、“勇ましく退く”という彼ららしい表現で、私たちはその事実を知ることとなった。その時、私は初めて、大好きなバンドのメンバーがいなくなるということを経験した。好きなグループが解散したり、応援している芸能人がテレビの画面から姿を消したり、もっと言えば、身近な大切な人を亡くしたり。今、この瞬間、ずっと続くだろうと信じて疑わなかったことが、ある日突然泡のように弾けてなくなってしまうことがあるのだ。私の場合、「サトヤスは[Alexandros]のドラマーであり、病気が治ればまた繊細で大胆で、華のある彼の音が聴けるはず」ということを信じていた。信じて疑わなかった。でも、それが実現することは金輪際ないと知ったとき、なんともいえない悲しさや悔しさがこみ上げてきた。でも、それと同時に、サトヤスを含め、[Alexandros]のメンバーがどういう思いで決断したのかを想像した。メンバーそれぞれの思いを書き綴った文章や、動画によって私たちは彼らの思いを知ることとなった。しかし、それは、文字や映像として表すことのできるものである。つまり、文字や映像の裏には、私たちが見えていない葛藤や複雑な思いがたくさん渦巻いているのだと感じた。「変わらないものはない」という事実が突きつけられながらも、これまで聴いてきた曲やライブを思い返すと、やはり体温が少しだけ上昇する気がした。そこで思った。「変わらないものはない。でも、彼らが奏でる音やライブパフォーマンスなど、私たちに届けられたものは、私たちの中に変わらずに存在する」ということを。一度出会った人(もの)は変わるかもしれないが、出会った事実だけは変わらない。だから、私の中でサトヤスが鳴らした音はずっと消えない。[Alexandros]というバンドのドラマーとして出会ってしまったのだから。だから、こう言いたい。「これまでありがとう」ではなく、「出会ってくれてありがとう」と。

 今年はデビュー10周年イヤーでもあるため、また怒濤の1年になることだろう。そして、リリースから5年たった今もタイアップが付いている『ワタリドリ』。そこに、こんな歌詞がある。

《ありもしないストーリーを
 いつかまた会う日まで》 (“ワタリドリ”)

次はどんなストーリーを見せてくれるのだろうか。彼らが掲げる、「世界一のバンドになるという」目標にはどのくらい近づいているのだろうか。彼らのことだから、この先何があっても進み続けるだろう。5年前、中途半端に生きていた私に青空を見せてくれた『ワタリドリ』。目標に向かって必死にもがき続ける人が見ているのはこんな空なのかと思った。今、そういう生き方をしているとはいえないが、自分もこれからワタリドリのように目的地に向かってまっすぐ突き進んでいきたいと、社会人になる一歩手前で思うのだった。そして、[Alexandros]という大きな船から降り、別の道を進むサトヤスに贈る言葉は、やっぱりこれだと思う。《いつかまた会う日まで》。私たちは、大きな船から降りた者の行方を追うことは難しいが、いつかまた、船の隣に派手な装いのトリがふらっと現れそうな気がする。その時と、これからの[Alexandros]の活動とを楽しみに、私も前に進んで行きたい。


この作品は、「音楽文」の2020年2月・月間賞で入賞した山形県・藤崎洋さん(22歳)による作品です。


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